USA Diary

February, 2003

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2月1日(土)スペースシャトル・コロンビアが着陸を15分前にして爆発し、七名の乗組員が亡くなりました。アメリカ中が半旗をかかげて悲しみましたが、スペースシャトルはもはやアメリカだけのものでなく、各国から宇宙飛行士が乗り、国際宇宙ステーションの建設を目指していますから、この衝撃は世界中にひろがりました。
2月2日(日)Linux の聖書研究アプリケーションを紹介するため、インストールして試してみました。明日から出かけるので、大急ぎで紹介文を書いて、アップロードしておきました。
2月3日(月)ロスアンゼルスの東、マーター・ドロロサ・リトリートセンターまで車でやってきました。思ったより早く着き、N先生が一緒でしたので楽しくドライブできました。Sさんからいただいたおむすびの昼食もおいしくいただきました。
2月4日(火)マーター・ドロロサというのは、マザー・ドロロサという意味だそうで、ここはカソリックのパッショニストというオーダーの施設です。カソリックの施設にはどこも十字架のステーションがあって、十字架刑の宣告から埋葬までが十四の場面にわけて描いてあります。ひとつひとつ、十字架を覚えながら回りました。
2月5日(水)ここには、私たちのグループの他に大勢の高校生たちのグループが日帰りで、スクールバスを連ねてやってきていました。他に司祭たちのグループも一緒でした。高校生たちもあまり騒がしくなく、司祭たちの表情がとても良かったのが印象的でした。一番騒がしかったのが、私たちのグループだったかもしれません。
2月6日(木)帰りはひとりでした。途中で一回レストエリアに寄っただけで、340マイルを一気にドライブして帰って来ました。
2月7日(金)日本語の神学校が始まり、今日は最初の講義に行ってきました。昨日ロスアンゼルスから帰ってきたばかりでしたので、バークレーまでの道はそんなに遠く感じませんでした。神学校での講義は十数年ぶりのこと、最初は戸惑いましたが、徐々に感覚を取り戻して、けっこう楽しく授業をすることができました。
2月8日(土)ロスアンゼルスにくらべて、こちらは朝夕寒さを感じます。今朝も出かけるのに、車のウィンシールドの氷を掻きとらなければなりませんでした。
2月9日(日)夕方、家内と一緒に一時間ばかり散歩に行きました。おかげで体が暖まりました。
2月10日(月)ビデオ屋さんから "i am sam" を観ました。知的なハンディをもったサムが、娘ルーシーの親権をめぐって裁判で争うという設定ですが、サムの目から見た「普通の人」のもろさ、足りなさが良く描かれていました。
2月11日(火)ワイヤレスのリモートコントロールマウスを買って使うことにしてありましたが、今まで良く動きませんでしたが、今日、新しいドライバを入れて動くようにしました。今度の日曜日、スライドを使ってメッセージをすることにしました。スライドの操作は、話し手がするのが一番です。
2月12日(水)テロ警戒信号は Low, Guarded, Elevated, High, Severe の五段階あるのですが、High まであがりました。どこかの高校では構内で銃撃事件があった場合の訓練がありました。テレビのニュースも殺伐としています。
2月13日(木)近くの病院で、病気の方のケアについてのシンポジゥムがあり、参加しました。期待した内容とは少し違いましたが、楽しく学んでくることができました。
2月14日(金)神学校の授業に行きましたが、時間に遅れて生徒さんたちを待たせてしまいました。十分時間を見て出たはずなのですが、今日はヴァレンタインデーで、すごい渋滞に遭ってしまったのです。
2月15日(土)近くに Smart & Final という店ができたので、のぞいてみました。レストランで使うような調理器具やスチロール製のカップやパッケージがたくさんおいてありますが、結局買ったのはペーパータオルとキッチンのゴミ袋だけでした。
2月16日(日)水曜日にすこし寒い思いをしたからでしょうか、その後、喉が痛く、咳が出たのですが、今日の礼拝でのお話はなんとか無事に終えました。
2月17日(月)きょうはプレジデント・デー。私は月曜が休みなので祭日でもあまり変わり映えはしません。風邪があまり良くならないので、すこしからだを休めました。
2月18日(火)先週からケーブルテレビが映らなくなったので、修理を頼みましたが、来てくれなかったので、今日また催促しました。明日、来てくれるとのことです。こういうことは一度で済まないのが通例ですから、忍耐が必要です。
2月19日(水)家内がサンディエゴにいた時の診療記録を取り寄せるため、病院に行きましたが、「南カリフォルニアの病院のことはわかりません」などと言われました。同じ HMO なのに、と苦情を言いましたが、請け合ってくれず、ウェブページで調べて、こちらで手続きすることにしました。
2月20日(木)日本にいくためにチケットを注文しました。ディスカウント・チケットがとれ、レールパスも買いました。これから、日本での予定を組み、あちらこちら連絡しなければいけませんが、Eメールのない人もいて、連絡に手間取りそうです。Eメールに頼ってばかりも良くないですね。
2月21日(金)午前中、上原令子さんのコンサート。この方は、私が牧師になったばかりのころデビューした沖縄のシンガーで、ずいぶんひさしぶりでした。同じ沖縄出身の方が、彼女に花束を用意してくださり、文字どおりコンサートに「花」を添えてくれました。
2月22日(土)昨年の6月1日から土曜日の朝の祈り会を始めて一年になりますが、来月から再び水曜日の夜に戻すことになりました。九ヵ月の間、新しい方々と男性の参加を願っていましたが、二、三度来た人も続かなったのは残念でした。
2月23日(日)サンディエゴ時代からの知合いの方が、こちらでの研究生活を終えて日本に帰ることになり、今日、昼食をともにして別れました。日本での一層の活躍を期待し、祈っています。日本にいるよりも、さまざまな人にめぐり会えるのは、ここにいる私たちの特権です。そうした方々の少しでも役にたてればありがたく思います。
2月24日(月)今日は、あるお宅に昼食に招いていただき、楽しく、有意義な時を持ちました。帰りに家内の検査の予約があって病院に寄りましたが、あっという間に終って、せっかく持っていった本は読めずじまいでした。
2月25日(火)今日スタッフミーティングの前にレストルームに行っておこうとして行ってみたら、他の二人の牧師も同じところにいました。"Shall we meet here?" なと冗談が出てしまいました。
2月26日(水)このところ、良く雨が降ります。夜、静かに降ってくれる、お行儀の良い雨です。カルフォルニアは十一月から二月にかけて雨が降らないと、他にはめったに雨がありませんので、とても貴重な雨なのです。
2月27日(木)テロへの警戒信号が High(オレンジ色)から Elevated(黄色)に下がりました。赤、オレンジ、黄、青、緑にそれぞれの段階が色分けされているのですが、この社会も、地球も緑をとりもどすのはいつのことでしょうね。
2月28日(金)今日で北米聖書神学院の前期のコースを終えました。三月はロスアンゼルスから回ってくるビデオを見ながら、勉強するのだそうです。私のビデオもロスアンゼルスに回るようですが、私はあまりビデオ向きではないので、さて、どうなることでしょうね。
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