USA Diary

February, 2001

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2月1日(木)リトリートでは良く歩き、良く食べ、良く眠れましたし、行きも帰りもドライブしてもらってですので、あまり疲れずにすみました。ポケットコンピュータを持っていきましたので、さっそくこのダイアリーをダウンロードして、これをアップロードしています。先月の29日から31日のダイアリーはポケコンでベッドの中で書きました。もうすこしキーボードが大きくて、文書入力に専念できるポケコンがあったら、執筆業の人は便利だろうなと思いますが。ノートブックコンピュータは私には中途半端な大きさで、ポケコンのように、乾電池二つで動いてくれないのがいやなのです。
2月2日(金)今日の英語会話クラスでのショート・メッセージでは、ブッシュ大統領の就任演説をとりあげました。大統領が聖書の中の「良いサマリヤ人」の部分を引用したのですが、その意味を伝えることができました。聖書が分からなければ、政治も分からなくなるというのが、この国です。
2月3日(土)一週間教会と家を空けると、あとが大変ですね。オフィスと家の書類をなんとか早いうちに片付けなければと思いながら、後回しにになっています。今日も未整理の書類を積み重ねたままにしてしまいました。
2月4日(日)もう二月ですね。「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」という言い古された言い回しがありますが、そんな感じです。バレンタインデーから寒さが和らぐと言われていますが、そういえば、一月よりは寒くはないようです。暖房のためにすごい請求書が来ていますので、早く暖かくなってくれないと、私も困るのです。
2月5日(月)娘がサンフランシスコに行きましたので、彼女の部屋が空きました。そこで、私のコンピュータを彼女の部屋に移し、そこを仕事場にしました。
2月6日(火)教会のコンピュータに Linux を入れようといろいろやっています。Vine Linux 2.1 でうまくいきました。でも、誰が使うんでしょうね。みんな Windows で満足していますので。
2月7日(水)私のオフィスのコンピュータの Linux も Vine Linux 2.1 にアップグレードしました。
2月8日(木)夜、宣教委員会でしたが、風邪をひいてしまったようで、帰ってきてぐったり疲れました。
2月9日(金)教会のリソーグラフ・プリンタが、製造から十年たって、部品を保存する法定期限が切れました。メインテナンス契約を更新できないので、新しいものを買ったらと、いうことで、新しい機械のデモンストレーションがありました。コンピュータ・インターフェース付で、コンピュータからのプリントは一段ときれいでした。それでいて、古い機械よりも値段は安いとか、技術の進歩には目をみはるものがありますね。
2月10日(土)セキは出るし、熱もあり、夜良く眠れず、明日に備えてゆっくり休むことにします。
2月11日(日)今日は、ヴァレンタイン礼拝だというので、家内と一緒に礼拝で歌を歌うはめになりました。風邪で調子が悪く、ちょっと間違えましたが、家内のオリジナルの曲なので、誰も気づかなかったようです。礼拝後理事会、連絡会もあり、強行軍でした。帰ってからダウンしてしまいました。
2月12日(月)今日は風邪で休み。
2月13日(火)英語部の先生も風邪で、今日は牧師祈り会は休み。教会に行っても、英語部の先生は来ていないだろうなと思ったら、なんと、例によって私より早く来ているではありませんか。「先生、早く帰って休んでくださいよ」と言って、私の方が早く帰ってしまいました。
2月14日(水)今日はバレンタインデー。家内にはカードをあげただけで特別なことはありませんでした。祈り会では、ダビデの生涯を学んでいるのですが、今日はダビデとヨナタンの友情を学ぶ個所で、すこしはバレンタイン・デーにちなんだものとなりました。
2月15日(木)今日は執事会。毎月レポートを出すのですが、あまり書くこともなかったので、マンガをダウンロードして載せました。もちろん、クリスチャン的なものなので、誰からも苦情は出ませんでした。堅苦しいレポートでは誰も読んでくれませんしね。
2月16日(金)集会委員会で連鎖祈祷について話しあっています。「祈りの花束」というネーミングでやろうというところまで決まりました。
2月17日(土)12日がリンカーンの誕生日ということもあって、テレビの礼拝中継で「リンカーンはクリスチャンだったか」という話を聞きました。とても良い内容でした。
2月18日(日)風邪も、ほぼいいかなという感じに回復してきました。今日はヤングアダルト・グループの質問に答える機会が持て、うれしく思いました。私はQ&Aタイプのレッスンが好きなのですが、普段はあまり質問が出ないので、さみしく思っていたところでした。
2月19日(月)風邪がほぼ良くなってきましたが、ちょっと気晴らしに、映画を見に行きました。Crouching Tiger, Hidden Dragon は面白かったよと人から聞いて観に言ったのですが、中国語の映画で、英語の字幕が出るものでした。さして、セリフの部分も多くなかったのですが、画面で英語を読むのは、あまり気晴らしになりませんでした。マチーネで4ドルでしたから損ではありませんでしたが…。今日はプレジデント・デーで、大勢人が来ていました。
2月20日(火)「イースター・シーズンにバプテスマ(洗礼)式を」と呼びかけたところ、三名の方が応答してくださり、そのうち二人と、今日から準備会を始めました。うれしいことです。
2月21日(水)KGという聖書の学び会は普段は三つのグループに分かれているのですが、月一回は合同で、私の担当です。先月は「主の祈り」を勉強したので、今日は「使徒信条」をとりあげました。来月は「十戒」を学びます。
2月22日(木)ベイエリアで放送している番組「みえますか愛」のテレビ収録に行ってきました。午前中の収録で済むかなと思ったら、私の番は午後になってしまいました。家内も娘も応援でスタジオに行きました。同じく収録のために来ていただいていた尾崎真理さんをバークレーまで送って帰ってきました。行きはルート101で事故があったため遅くなりましたが、帰りはトラフィックにかからず、割と早く帰ってこれました。
2月23日(金)久しぶりに「シャロン会」という家庭集会が再開されることになり、午後からのミーティングに出かけました。そのミーティングでピリピ人への手紙をみんなで読んだのですが、その後「どこか心に留まったところがありましたか?」と質問しましたら、「3章2節の『犬に気をつけてください』というところです」という返事が返ってきました。実は、その時、ある人が友人を訪ねてその家のドアを開けたとたん、その家の飼い犬が訪問者の喉下に噛み付いてその人が死んでしまったという事件があったばかりだったのです。この事件はアクシデントではなく、その家の人が人間に危害を加えるように犬を訓練していたのではないかということでその後も話題になっています。
2月24日(土)午前中、ウェスタン神学校のオープンハウスに顔を出してきました。本校はポートランドにあるのですが、サンホゼ校で神学修士をとれるとのこと、これから神学校で勉強したいと言う人が大勢きていました。夏に詩篇の集中講座があるので、行ってみようかなとも思っています。午後と夜は、「テレビ視聴者のつどい」をしました。それぞれに、多くの方が来てくださり、榊原寛先生のメッセージに耳を傾けることが出来て良かったと思います。榊原先生の熟練した話し方、また、伝道者としての姿勢にはいつも教えられます。
2月25日(日)礼拝後、伝道部会があって、一月、二月の伝道集会の反省をしました。どんな集会も、きちんと反省、評価をし、それを次の企画につなげていかないと進歩がありません。サンタクララの教会では、そういうことが良くできていてうれしく思います。
2月26日(月)娘のための午前中のミーティングを終わって、家族三人で、日本のお店に買い物に行きました。教会の人何人かに会いました。久しぶりに、日本のビデオでも見ようかと、レンタルビデオのコーナーにに行きましたが、お目当てのものはあいにく出ておりました。
2月27日(火)あすからレント。そのための聖書日課、今年は新しいものを用意できなかったので、昨年翻訳したものを用意することにしました。夜は夏期修養会の準備委員会。サンロレンゾまで行きました。
2月28日(水)今日は灰の水曜日。この期間の祈り会では、レントの聖書日課を使うことにしました。
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