USA Diary

February, 1999

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2月1日(月)88歳のお誕生日を迎えた方のパーティがありました。彼は、たくさんのお友だちに囲まれて、とてもしあわせそうでした。小学生のこどもも、親といっしょにきました。とてもやんちゃな子でしたが、それがかえってその場の雰囲気を明るくしてくれました。アメリカ人のパーティというと、大人は大人だけ、子どもは子どもだけという傾向がありますが、ご高齢の方には、お孫さんのような年齢の子どもがいたほうが、心もなごむのではないかと思いました。
2月2日(火)今日は、家内の靴探しに付合いました。なかなか足にぴったりという靴を見つけるのは大変なようです。私などは、靴に足をあわせてしまうようなほうですので、標準の靴で大丈夫ですが、できるだけ、幅の広い Wide Width というのを選んでいます。古くなった靴は、庭仕事用に使いますので、何年も前に買った靴がいまだに庭仕事用にとってあります。
2月3日(水)クリントン大統領が提出した予算教書は、財政黒字を見こんだ福祉予算です。今後15年間に2%の経済成長を予想していますが、果たして、そんなに楽観的でいいのかなと思いました。一、二年のうちに世界が大きく変わる時代に、15年先のことを誰が予想できるでしょう。世界中が経済的に苦しんでいる時に、アメリカだけが太平の夢を見ていることはできないと思います。ローマ法王がアメリカの豊かさに警告を与えましたが、確かにそうかもしれません。
2月4日(木)今日のミーティングで面白い話しがでました。サンディエゴには、人に近づいてお金をもらおうとする人が少なからずいます。「自分はとても困っている」と言うのですが、たいていは本当ではないようです。Kさんの話しによると、ある日、Kさんのところに、「食べ物を買うお金がないからください」という人が来ました。彼女がふっとその人をみると、まるまると太っているというのです。彼女は思わず、「あなた、ダイエットしなさい!」と言ってしまったそうです。いつも元気な彼女らしい返答でした。
2月5日(金)「パッチ・アダムス」を見にいきました。実話をもとにした物語で、ロビン・ウィリアムズが、型破りの医学生を演じています。医療とは何かを問う良く出来た映画でした。
2月6日(土)今日、電器屋さんに寄ってきました。ラペル・マイクを買いに行ったのですが、店員さんに聞いても、どこにあるのか分からないのです。しょうがないから自分で探し出しました。ビデオアクセサリーのコーナーにありました。さて、買って帰ろうと思ったら、チェックアウトまですごい列です。ここは、チェックアウト・カウンターがひとつところにかたまっていて、カウンターが開くたびに、何番のカウンターというふうに、そこに行って支払うようになっています。(たぶん、盗難防止のためでしょう。出口でもレシートをチェックする人がこわい顔をして立っています。)今日は人が多いので、店員のひとりが、空いたカウンターの番号を見て、順番を待っている客に指示していました。列を待つ通路には、雑誌、ガム、キャンデー、はては薬まで並べて売っていました。ここは、ドラッグストアかと思ったほどです。商魂のたくましさはいずこも同じですね。それにしても、電器屋さんにならんでいるのはどれも日本のメーカーのものばかりです。外国で日本が恋しくなった人は電器屋さんで時間をつぶしてくるのもいいかもしれません。
2月7日(日)昨日ラベリヤ・マイクを買った理由は、日曜日の礼拝のメッセージを自分のテープにとるためでした。いつも、メッセージをリアル・オーディオのファイルにしてインターネットにアップロードしているのですが、教会の係の方からいただくテープは、テープのA面からB面にかけて録音されているので、いつも、A面のファイル、B面のファイルをつくって、それをアップロードしていました。自分のテープにとれば、私のメッセージはかっきり30分以内ですので、テープの片面だけに録音でき、ファイルを作ったり、それをアップロードするのが簡単になるかなと思って、そうしてみたのです。マイクロカセットに、ラベリヤ・マイクをつけて録音したまではよかったのですが、それを教会に置き忘れてきてしまいました。やむなく、いつもと同じ方法でアップロードしました。
2月8日(月)今日も家内の靴探しに付き合いました。あちらこちら見て、結局、近所の店で安いのを買うことになりました。「靴」のことで、家内と笑って話したことですが、「アメリカの人はよく、靴を手にもってはだしであるいているよね。外では靴を脱ぎたがるのに、家の中では靴を履いているんだから、どうなってるの?」どうなっているのでしょうね。
2月9日(火)オレンジ郡でミーティングがありました。ロスアンゼルスまでだと、いつもミーティングの時間に遅れてしまうのですが、オレンジ郡だと、時間どおりに着くことができます。フリーウェーの出口が工事でふさがっていて、遠回りしたのですが、それでも、ずいぶん早く着きました。もうひとりサンディエゴからの人と私が一番目、二番目の到着でした。どんなミーティングでも、たいてい遠くの人が早く来て、近くの人が遅れてくるものなのですね。
2月10日(水)サンディエゴには珍しく寒い日でした。空気が冷たいのです。いつも温かい地域が急に寒くなると、農作物にいろいろ障害がでます。山には雪が多いとのことです。私は新潟に十何年もいて、雪と格闘していたのですが、こうして温かいところにいると、テレビで雪を見ても、なんだか実感がわかなくなってきました。気候というのは人間に大きな影響を与えるものなのですね。
2月11日(木)今日のミーティングにはひとりの人が右手を方から吊るして、もうひとりの人は右足をギブスで巻いてやってきました。それぞれ、病気や怪我なのですが、ミーティングでは、もっぱら健康のことばかり話題になりました。「これじゃ若い人が一緒にいても楽しくないわね。話題が違うもの。」そんな話になりました。このミーティング、以前は若い人たちが大勢だったのですが、今は人数も半分ぐらいになり、高齢化が進む一方です。
2月12日(金)服の仕立てを仕事にしている方のところから、家内をピックアップして家に帰ってきました。この方はとても温和な方で、家内も一緒にいてとても心が和むそうです。人をリラックスさせてあげられる、それが最高のもてなし方ですね。私たちもそんなふうでありたいと思わせられました。
2月13日(土)今日のミーティングでは、バレンタイン・デーにちなんで、「愛」について話しました。コリント第一13章というのは、聖書の偉大な「愛の章」なのですが、そこには、「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。」と書かれています。ここで、「愛」は何をするか、しないかというふうに描かれています。愛は名詞ではなく動詞として描かれているのです。そんなことを英語で話しましたが、私の乏しい英語で、さてはて、通じたかどうか。
2月14日(日)今日、教会に、私の出身教会である浜寺聖書教会のメンバーの方が見えました。お友だちがこちらにいるので、その方を訪ねていらっしゃったのです。私がその教会にいたのはほんのわずかでしたので、直接はお会いしていない方と思いますが、やはり、浜寺の人というとなつかしく感じます。それにしても世界は狭いもので、世界中どこにいっても、どこかでつながりのある人と出会うものですね。
2月15日(月)今日はプレジデント・デーのお休みです。アメリカの祝日は、特別な日は除いて、たいてい月曜です。みんなが土、日、月とリラックスできるようにとの配慮なんでしょう。私の休日は月曜日ですので、月曜が祝日であってもあまり関係ないのです。今日も庭仕事をしました。
2月16日(火)実は、昨日の午後、映画「Saving Private Ryan」を見に行きました。前にやっていた時、見に行けず、もうどこの映画館でもやらなくなっていたのですが、近所の映画館で再上映することになったのです。3時間、長い映画でした。ストーリーは単純なストリーです。戦闘の様子が、これでもかこれでもかとリアルに描かれていました。実際にヨーロッパ戦線に行った人たちがこの映画を見て、自分がもう一度あの悪夢のような戦いの中にいるかのように錯覚した人がいたと言いますが、その気持ちがわかるような気がしました。この映画は、自分に与えられた使命に生きる、他者を生かすために命をささげる、というを私たちに訴えているように思いました。
2月17日(水)沖縄クリスチャンスクールのポール・ギーシェン先生にお会いしました。今、沖縄でインターナショナルスクールをしていますが、そこに日本の学校を建てたいというヴィジョンを与えられ、そのために奔走しておられます。彼の中に本当の教育者の姿をみることができて幸いでした。
2月18日(木)私たちの教会は、サンディエゴ警察本部の近くにあります。警察が私たちの駐車場を集合場所に良く使います。今日も、私服警官たちが、何かのために集まっており、そのうちのひとりがレストルームを借りに入ってきました。そのときちょうど、教会に忘れ物をした人が来ていたのですが、その人がいったん帰ったのに、わざわざ教会にもどってきて、「いま、変な人が教会に入ったよ。」と注意してくれました。私は「彼は警官だから心配いらない。」といってもその人は、半信半疑でいました。確かに私服の警官は麻薬のデーラー見たいな顔つきをしていましたが。麻薬の取り締まりでもしている人たちなのでしょうか。
2月19日(金)わが家で青年会のパーティをしました。青年会といってもみな既婚者で、こどもたちも大勢きました。教会のメンバーの平均年齢が高いので、40歳ぐらいまでは青年会で通るのです。青年会の会長さんは、いつも元気な人なのですが、風邪でダウンして来れませんでした。彼女がくればもっとにぎやかになるのですが。けっこう皆食べて、しゃべって、楽しい時を過ごしていました。
2月20日(土)昨日、19日は、1942年に、ルーズベルトが日米開戦から二ヶ月後に大統領令を出した日です。この大統領令によって、日系人が強制収容所に入れられるようになったのです。身の回りの物だけを持って、郡の車に乗せられ、有刺鉄線で囲まれ、見張り塔によって監視されている、バラック造りの収容所生活のことは、その体験をした一世、二世の方々から聞いてはじめて知りました。アメリカ政府は、その時の非を認め、1988年にはレーガン大統領のもと「米国市民の自由法」(戦後補償法)が成立し、収容所に入れられた人たちに補償金が支払われています。非は非として認める潔さがアメリカの良いところです。
2月21日(日)生まれた子どもが小さいうちに、教会に連れてきて、その子に神の祝福を祈り、また、両親にも子どもの教育のために神の助けを祈る儀式があります。私たちはそれを「献児式」と呼んでいますが、今朝は、1歳と1ヶ月の子どもが両親によって神にささげられました。この家族の他の大きなこどもたちは、イースターにパプテスマを受ける予定です。
2月22日(月)今日は庭の手入れ。雨がないので、だいぶ荒れています。雑草をとって、芝生の種をまきました。はげたところがグリーンになるといいのですが。
2月23日(火)今日はエアポートに。サンディエゴのエアポートは拡張工事をしてとてもきれいに、便利になりました。しかし、混みようは相変わらずで、車を置くのにとても苦労しました。
2月24日(水)亡くなられたお姉様の三年目の記念会をしてほしいということで、出かけました。ごくごくプライベートな集まりでした。イスラエルのホロコースト・ミュージアムで見たコザークの彫像のことから、彼の殉死のことを話しました。人は自分のためでなく、誰か他の人のために生きる時、本当の生き方、死に方ができるのですね。
2月25日(木)木曜集会がありました。長く続いているサンディエゴ教会の名物集会です。
2月26日(金)前に新聞記事にも書いたのですが、私たちの教会には20年間も毎週、金曜日にお掃除にきてくださる夫婦がいます。礼拝堂や小ホール、二階のクラスルームは、当番を組んでするのですが、大ホール、サンデースクール・クラスルーム、それにオフィスはこの夫妻がしてくださいます。もう高齢になられましたが、いつまでもお元気でいて欲しいと、いつも祈っています。
2月27日(土)今日はサンディエゴ北部の家庭集会に行きました。全部で十の家庭集会があり、それぞれにリーダーがいて、月1回、自主的に集会を持っています。毎月、全部出るわけにいきませんので、せめて年に1回ぐらいはどれかに出席したいと思っていますが、今日はここに出ることができ、とても良い時を過ごしました。
2月28日(日)教会で新しいコンピュータを買いました。古いコンピュータの引き取り手がなかったので、私がもらってきました。386で120Mのハードディスクしかついていないものは、誰もいらないのですね。このマザーボードを取り替えて、娘がインターネットを使えるようにしてあげました。$200でアップグレードできました。
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