USA Diary

December, 2015

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12月1日(火)2015年も最後の月となりました。年齢を重ねるごとに一年が過ぎ去るのが早く感じられます。外面の時計と内面の時計とはかならずしも一致せず、比例しません。永遠の神の国には「時」というものがないのだろうと思いますが、それは時の無い空虚な世界というよりは、時の流れによって色褪せないもので満ちた世界という意味だろうと思います。私の内面の時計をもっと「永遠」に合わせていく必要を感じています。
12月2日(水)ペイント作業のとき、壁にはってあったものを外したので、まだ教会の中が整理されていません。きょうすこし片付けましたが、まだ残っているものがたくさんあります。残りは金曜日の幼児クラスのあとにすることにしました。
12月3日(木)木曜日は、礼拝メッセージの仕上げの日です。私は2001年以来、礼拝メッセージのほとんどをウェブページにアップロードしてきました。2003年6月からは音声ファイルもアップロードしています。それでこの15年間にウェブに掲載したメッセージは、今回のものまでで 666 になります。「666」というのは、あまり良くない数字ですが、神の完全「777」に対してひとつ足らない人間の不完全さを表わすとも解釈できるかと思います。私の不完全なメッセージも、神の完全なみことばを証しするものでありたいと願い、努力しています。
12月4日(金)市の広報紙が届きました。クリスマスの行事の一覧がありました。こちらに来てから、もう二回のクリスマスを過ごしているのですが、二回とも、どの催しにも行けませんでした。今年は、時間が許せば、いくつかの催しに出てみたいと思っています。以前は教会で、ロバなどを連れてきて、ベツレヘムの町を再現する「リビング・クリスマス」や、大きなクリスマスツリーの中に人間が入って歌う「リビング・クリスマス・ツリー」などがあったのですが、最近は、そういったものをしなくなったようで、すこしさみしく思います。家のすぐ近くの教会からは、クリスマスイヴ・キャンドルライト・サービスの案内が来ました。
12月5日(土)日本語補習校でバザーがありました。一昨年も去年も寒い日でしたが、今年は暖かい日で助かりました。家内は本が目当てで行ったのですが、漫画や実用書はあっても、文芸書はすくなかったと言っていました。私に上下二巻の本を買ってきてくれましたので、読んでみようと思っています。
12月6日(日)きょうはとても良い天気になり、教会では天井のファンを回したほどでした。家の中にいるのはもったいないので、教会から帰って、いつもしている礼拝メッセージをウェブページに載せる仕事をしたあと 家内と散歩に出かけました。どこの家でもクリスマスの飾り付けを始めていました。私たちも、ささやかですが、飾り付けを始めたいと思います。
12月7日(月)先週からクリスマスカードの発送作業をしていますが、きょう、やっと日本宛のクリスマスカードを出すことができました。近くの郵便局には国外郵便料金をカバーするグローバル切手がなかったので、隣町の郵便局に行って、そこで切手を買い求めるとともにスモールパッケージやプライオリティ−・メールなどを出しました。
12月8日(火)あすは、ひさしぶりに旧知に会うことになっています。ダラスに来たら、以前の知り合いにもっと頻繁に会えるかと思っていましたら、そうはいかずにいました。長い年月が流れましたが、なつかしい人に会うのはうれしいことです。よい時になるよう願っています。
12月9日(水)教会に向かうとき、いつもより道が混んでいるうえに大きな事故があって交差点が塞がれていました。短期間のうちに、ダラス地区は人が増えたように思います。人が増えたうえに、クリスマスで人出が多いので、道も混み、道が混めば事故も多くなるということなのでしょう。
12月10日(木)きょう、大きなゴミの収集があるので、きのう庭の落ち葉を集めて袋詰にしたのですが、一日たったら、庭がまた落ち葉でいっぱいになってしまいました。他の家の人も同じようなことを言っていました。落ち葉を肥料にするのが一番いいのですが、まだそこまでできないので、今のところ、「樹木ゴミ」として回収してもらっています。
12月11日(金)今度の日曜日は礼拝メッセージの奉仕がありませんが、他の牧師のメッセージの翻訳をして、私が通訳できるように心ぞ苗をしておきました。日本語から英語の通訳は今まであまりやったことはありません。メッセンジャーが原稿からあまり離れないでいてくれればなんとかなりそうなのですが、そうはいかないだろうと覚悟を決めています。
12月12日(土)今週は、集会や訪問も少なく、メッセージの準備もなかったので、事務的なことをもっと早くやっておけたのですが、やり残したことがたくさんあって、すこし忙しい土曜日を過ごしてしまいました。
12月13日(日)去年の今頃、教会からの帰りに車の事故がありました。雨の日で、もう日が暮れていました。いやな思い出がありますので、きょうは晴れてはいましたが、一応、用が済みましたので、早く家に帰りました。ドライブするたび、事故を見ない日はないほどですので、注意深く運転したいと思います。
12月14日(月)英国に、夏の間、三週間にわたって行われる「ケズウィック聖会」があります。最近、ここのウェブページを見つけ、そこでの今年のメッセージを聴き始めています。ケズウィックの「バイブルリーディング」と呼ばれる講解説教は定評あるもので、とても教えられ、励まされます。それに先立って聖書朗読があるのですが、詩篇などが感情を込めて朗読されていました。それはそれでとても素晴らしいのですが、その朗読に対して拍手がありました。朗読に感動しておのずと拍手が起こったのでしょうが、やはり、朗読のあとは「兄弟姉妹、これは神の言葉です」「主よ、みことばを感謝します」という応答で、しずかにみことばを心に蓄えたいと思います。朗読もあまり上手すぎると、朗読者に賞賛が移ってしまい、みことばから心がそれてしまいかねません。賛美も、音楽技術が表にでてしまうと、賛美すべきお方あkら心が離れてしまうのかもしれません。バッハがすべての楽譜に SDG(Soli Deo Grolia「ただ神にのみ栄光あれ」の意)と書いた気持ちがよく分かります。
12月15日(火)クリニックの待合いで TIMES を読んでいましたら、ダラスに落ち着いたシリアの難民家族の記事が載っていました。この人はアメリカが多民族が平和に暮せる国であるというのは、言葉の上のことではなく、本当だと感じて喜んでいました。しかし、フランスでのテロ事件のあと、イスラムの人々をテロリストと同じように見て、敵視する傾向が出てきているということもその記事にはありました。かつて日本からの移民も敵性外国人として排斥され、収容施設に入れられたことがあります。偏見にもとづいた敵視、差別、排斥ほど怖いものはありません。かつて日系人にあったようなことが二度と起こらないようにと祈るものです。
12月16日(水)祈り会で「アドベントの黙想」からのシェアリングをしています。来週の祈り会はクリスマス・イヴの礼拝にキャンドルライトサーヴィスに合流しますので、きょうのシェアリングが最後になります。神の言葉を信じる者は「御言葉で語り合う」ことによって励まされ、力づけられ、養われます。私はそんな対話によって養われてきましたので、そうしたことができないとき渇きを感じます。御言葉を語り合うまじわりが豊かに与えられることを心から願っています。
12月17日(木)日曜日の聖書箇所は「母マリヤのエリサベツ訪問」です。エリサベツはマリヤが何も言わない先に、マリヤの胎内に宿っておられるお方が神の御子であることを知っていて、そのことを告げました。マリヤはそれによって、神の言葉を一層確信しました。信仰者は、このように互いに御言葉の分かちあいによって励ましあうのです。与えられた聖書箇所からそのようなことを改めて教えられました。
12月18日(金)私はアドベントのシーズンが好きです。教会を飾り、キャンドルを灯すことができるからです。こうした目に見えるものによって、私たちの思いがキリストに向けられます。他のシーズンも、同じように、キリストに思いを向けるための工夫が欲しいと思っています。
12月19日(土)明日は、「クリスマス・ファミリー礼拝」をします。いつもの聖歌隊の賛美の他、いくつかの特別賛美や人形劇を用意しました。そのため、早くから準備をしておいたのですが、きょうは、スライドの準備など、夜遅くまでかかってしまいました。
12月20日(日)クリスマス礼拝には、幼児クラス「小羊園」に来ている人たちや、あたらしい人たちを加えて、いつもの礼拝人数の倍の人々が集まりました。礼拝を体験した人々がそこから真剣に神様を求めて欲しいと願っています。
12月21日(月)きょう、月曜日はいつものように、食料品の買い込みや庭の手入れなどをしました。庭の落ち葉を集めるのに、ブローワーをヴァキュームに変えて使ってみました。風を起こして落ち葉を吹き飛ばしてまとめるのでなく、落ち葉を吸い込んで袋に貯めるのです。ちょっとしたコツがいりましたが、なんとかでき、30ガロンのコンテナがたちまち一杯になりました。
12月22日(火)先週は、別の方をケアホームに訪ねたのですが、きょうは、もうひとりの方を、何人かでケアホームに訪ねました。たくさん賛美を歌いました。キャロリング以外にも、もう少し頻繁にお訪ねしたいと思いました。
12月23日(水)地域の情報紙に「讃美歌物語」を載せているのですが、字数を間違えたので、原稿を書きなおして送りました。ついでに、私の好きな少年合唱団 Libera の O Holy Night も聴きました。来年のクリスマス用の記事には O Holy Night をとりあげてみようと思い、すこし、下調べもしておきました。
12月24日(木)クリスマス・イヴの礼拝には教会のメンバーはごくわずかで、ほとんどがゲストでした。しかも、英語の人がほとんどでしたので、急遽、英語で進行することにしました。祈り会を兼ねていますので、自由な祈りを期待していましたが、それもなかったので、用意した祈りをいっしょに祈りました。それらの祈りが心に残りますようにと願って帰宅しました。
12月25日(金)クリスマスというのに、まるで夏のように暖かい日となりました。散歩すると汗をかきました。ほとんどの店が休みで、車も少なく、町はとても静かです。
12月26日(土)大きな竜巻が私たちの住む地域のごく近くを通過しました。テレビの警報がけたたましく鳴り、すぐ近くの高校に設置されているサイレンも鳴りました。こういうとき、車に乗っているのが一番危ないので、竜巻の予報のあるときは、車のラジオをつけておいて、警報があったら、フリーウェーを降りるなどする必要があります。
12月27日(日)今年最後の礼拝は「祈り」をテーマにしてきたこの一年を締めくくるため、「失望せずに祈る」ことについてメッセージをしました。今年は44の礼拝メッセージをウェブにアップロードし、総計が668となりました。
12月28日(月)竜巻のニュースを聞いて、カリフォルニアにいる方からお見舞いの電話をいただきました。隣町でおおきな被害が出ましたが、私たちの町も、また、教会、教会関係の方々も大丈夫でした。
12月29日(火)土曜日の竜巻による被害は、日を追って数多く知られるようになりました。きょうは、ダラス・バプテスト・アソシエーションから参加教会の被害状況についての調査結果が送られてきました。また、各教会が被害者への救援の活動を始めていることも知ることができました。
12月30日(水)26日の竜巻のあと急に気温が下がりましたが、きのう、きょうと少しづつ暖かくなってきました。午前中出かけたとき、夕方の散歩のとき、夜の祈り会のときも、寒い思いをしなくて済みました。
12月31日(木)一年の終わりに、私の仕事部屋を少し片付け、机の埃をぬぐいました。私の部屋は、書斎と呼べるほど整っていないので、「仕事部屋」と呼びますが、間口が8フィート、奥行きが12フィートで、天井までの高さの備え付けの書棚が、12フィートの奥行きにそってあります。その向かい側には幅4フィートのドアのないクローゼットがあり、書類やらなんやらが入っています。部屋の奥には幅6フィート、奥行き3フィート強の大きなテーブルがあるのですが、プリンターが三台もあってテーブルのほぼすべてを占拠しています。すこしは、書類を整理したのですが、まだまだ未整理の書類が箱に一杯詰まっています。二年半前に引っ越したときとあまり変わらない状況で、進歩のない仕事部屋のまま年を越すことになりました。
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