USA Diary

December, 2009

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12月1日(火)家やヤードにクリスマスの飾りをしている家は、私の近所では少なくなったように思います。不況が影響しているのかもしれません。わが家もアドベント・キャンドルを飾っただけで、クリスマス・ツリーも、フロントヤードのイルミネーションもまだしていません。
12月2日(水)日本に送るクリスマス・ギフトを、今日やっと送ることができました。スモール・パッケージとして送ることができたので、複雑な関税の書類を書かずに済みました。郵便局に行ったついでにクリスマス切手も買っておきました。
12月3日(木)先日果たせなかった訪問を今日、果たすことができました。寒い夜でしたが、暖かい部屋で、温かいまじわりを楽しむことができました。
12月4日(金)来年の新年聖会の主題が講師から届いたので、きょうフライヤーやポスターなど作りました。関係者にEメールを使わない方がひとりいるので、その人のために郵便でも送りました。今週は、以前からやり残していたものを片付けていく仕事ばかりだったように思います。
12月5日(土)インターネットで調べものをしていたら、www.koshien.net/FR/JIROKOIKE/ で甲子園カトリック教会の小池二郎司祭の文章に出会いました。とても誠実な文章でしたので、もっと読んでみたいと思ったのですが、2007年7月13日に召天なさっていました。小池神父が病床から「伝道の秘策」として語っておられることにも重みがあります。甲子園教会が、天に召された前任司祭のページを残してくれたことに感謝しました。
12月6日(日)娘の職場の「ホリデー・パーティ」があって出かけました。以前は「クリスマス・パーティ」と言っていたのですが、「クリスマス」という言葉を避けるようになりました。ここ2年は「ボーリング・パーティ」だったのですが、今年は「デナー・パーティ」でドレスアップして来るようにとことでした。寒い夜だったので私たちは普段着でした。時間通りに行ったら、まだ準備中で、先に来ている人に、これから来る人が電話をしてきて、「ねぇ、みんなどんな服装をしているの?」と聞いていました。電話を受け取った人は「私はブラウスとパンツ、クリスマスの飾りのついたベストを着てきたけど。まあ、他の人はいつも職場に来るような格好よ。」と教えてあげていましたが、やはり、女性は「何を着て行こうか」と迷うものなのですね。
12月7日(月)きょうは天気は良かったのですが、とても寒い日になりました。ここ数日、このような日が続くそうです。風邪をひかないよう注意しましょう。
12月8日(火)素晴らしいことばに出会いました。
私は確信する
人生とは流行を追う遊びごとではなく
私たちに対する
神のご計画の実現を目指す努力
私たちの存在を高める 愛のご計画
トマス・マートンのことばです。人生には「遊び」の部分も必要です。レジャーもユーモアも。しかし、人生の本質は真剣なものです。信仰も、礼拝も、まじわりも。そうでなかったら、人生に取り組む価値がありません。信仰する意味を見出せません。振り子があまりにもイージーゴーイングのほうに振れてしまっている中で、私は、このようなことばに慰めを見出しながら、生きています。
12月9日(水)全米で記録的な寒さとなっており、私たちの住む地方では20年ぶりの寒さだと言われています。でも暖かい部屋に住むことができるのはありがたいことで、住む家のない人々のことを思うと不平を言うことはできません。
12月10日(木)きょう予定していた宣教委員会が火曜日に移動したので、きょうは久しぶりにゆっくり夕食をすることができました。今月の木曜日は、来週の執事会、再来週のクリスマス・イヴ礼拝と二週続けて集まりがありますが、大晦日は何もありませんので、今年、やり残していることを片付ける時にしたいと思っています。
12月11日(金)私が脚本を書いて、三人の姉妹たちに演じてもらった寸劇をきょうの集まりで上演しました。まだ、堅さが残っているように思いましたが、そこにあるメッセージを伝えることはできたかと思います。せっかくですから、いろんな機会に上演できたらいいかと思います。
12月12日(土)今晩、サンデースクールのクリスマス・プログラムがありました。寒くて、雨風が強くなるのではという予報でしたが、そんなに寒くもなく、雨風も強くなく、みんなが教会に来るのに、あまり差し支えがありませんでした。
12月13日(日)今日はお天気もよく、暖かい日となりましたが、礼拝には、学校の行事や風邪のため休んだ人が多く、来週には、何人かが日本に行きます。教会がクリスマスを迎えるにつれて人が少なくなるというのは良いことではないと思います。この世の行事によって振り回されているクリスチャンの生活が、キリストを中心にした教会のカレンダーに導かれるようにとのチャレンジが必要です。
12月14日(月)クリスマスカードのために時間を使いました。日本に発送するのに、以前は日本語で宛先を書いて JAPAN と書いて出していたのですが、郵便局に持っていったら、英語でも宛先を書くように言われてしまいました。ところが、英語で書くのに、地名の読み方が分からなくて困りました。たとえば「本町」は「ホンチョウ」とも読みますし「本町」とも読みます。「仏子」というのが「ブシ」と読むのだというのは、郵便番号簿で調べてはじめて知りました。日本の地名も、人名も難しいので、ぜひともふりかなか、英語表記がほしいと思いました。
12月15日(火)今日は今年最後のスタッフ・ミーティングになりました。今週の執事会のため、来年の牧師リトリートのため祈りあいました。
12月16日(水)家内と、キャンベルのダウンタウンの Carol of the Lights はいつだったかねと話していましたが、調べてみると、12月5日に終わっていました。今年のクリスマスは Santa Clara Chorale の コンサートにも、キャンベル市の、この催しにも行けませんでした。近くの教会でのナティビティのデスプレーを見にいくことができたのが、今年のクリスマスでのスペッシャルなことでしたが、これからまだ、スペシャルなことがあるかもしれません。
12月17日(木)きょうの執事会は休みの人が多くて残念でしたが、そのかわり英語部との合同の部も、日本語部の話し合いも議事が早く進み、残りの時間をみんなで祈り合いました。良く祈り合うことができて良かったねといいながら別れました。
12月18日(金)事務的なことがいろいろ重なって、帰りが遅くなりました。このごろはすぐ暗くなるので、早めに帰って散歩をしなければと思うのですが、なかなかできないでいます。明日は、早く帰ることができるので、ひさしぶりに散歩にでかけられると思います。
12月19日(土)散歩がてら、病気の方のお見舞いになるものを買い求めに近所のお店に行きました。とても混んでいましたが、この時期に店がガラガラではアメリカの経済にとって困ったことになるのでしょうから、少々混んでいても我慢をして、チェックアウトに並びました。
12月20日(日)今日の礼拝では聖歌隊の特別賛美がありました。日本に行っている人がひとり欠けましたが、かわりに風邪が治って参加できた人もあり、良い賛美をささげることができました。例年のように聖歌隊が礼拝堂の出口付近でキャンドルを持って賛美し、会衆を送り出しました。短時間でみなが退場したので、毎週聖歌隊が会衆を送りだせたら、退場がもっとスムーズになるかもしれません。
12月21日(月)どこの教会でも、礼拝が終わったら、みんなが列を作って礼拝堂から出て、牧師と挨拶してからフェローシップの時を持ちます。礼拝堂を歓談の場所にせず、祈りの場所として聖別しておきたいという心から出たものです。礼拝堂以外にホールのない場所ではやむをえないかもしれませんが、私は、礼拝堂をそのように聖別することに賛成です。礼拝堂に入る、着席する、またそこから退場するなどの動作のすべては礼拝につながっています。礼拝堂に入ったら私語を慎む、主の臨在の前に着座する、そして、主の派遣のことばを聞いて礼拝堂から、奉仕の場へと出かけていく、そんな良い習慣をくずしたくないと願っています。
12月22日(火)今年のアドベントから、礼拝堂の講壇に、教会暦を示す「プルピット・スカーフ」を飾っています。2002年以来、みんなに教会暦を意識してもらうため、いろいろな工夫をしてきました。アドベントからペンテコステまでのおよそ半年、日常の日々の中でも、キリストのみわざと恵みを覚え、ペンテコステの翌週の三位一体主日から、アドベント前の王なるキリスト主日までは、その恵みに成長することに心を向けて欲しいと願ってのことなのです。紫と緑、赤と白がそれぞれ裏表になっている小さなスカーフですが、礼拝に集う人々に、教会暦を意識させるものとなるよう、願っています。
12月23日(水)明日クリスマス・イヴ礼拝をするので、今日の祈り会は、朝・夕とも休会にしましたが、私は、教会に行って、クリスマス・イヴ礼拝の準備をしました。クリスマス・イヴには寸劇をしてもらおうかと思ったのですが、三人の「女優」のうち、ふたりまで日本に行っていないので断念しました。明日は祈り会も兼ねての、静かな祈りの時にしたいと計画しています。
12月24日(木)クリスマス・イヴ礼拝をしました。聖書朗読と賛美、そして、キャンドルを灯しながらのとりなしの祈りのときを持ちました。20日に少し打ち合わせをしただけでリハーサルをしなかったのですが、時間配分などうまく行きました。たくさんのとりなしの祈りをリストアップしましたので、それをプリントして、来年最初の連鎖祈祷のために役立ててもらおうと思っています。
12月25日(金)以前、ナティビティ・デスプレーを見に行った教会で、男性聖歌隊によるクリスマス礼拝があるというので、家内とふたりで行きました。年配の方々ばかりの聖歌隊で「上手」というわけではありませんが、礼拝のはじめから最後まで、こころを込めた賛美の奉仕をしていました。礼拝後、牧師にあいさつしたら、私が前回、「日本への宣教師の方をご存知でしたら紹介してください。」とお願いしてあったことも覚えていてくださいました。
12月26日(土)年末の礼拝では毎年、ヨハネの黙示録の七つの教会へのメッセージからひとつを選んで説教してきました。ペルガモ教会とテアテラ教会へのメッセージが残りましたが、今年はペルガモ教会へのメッセージを選びました。ヨハネの黙示録は、学べば学ぶほど、多くのことを新しく教えられます。時間的な制約があるので、十分に解き明かすことができないのは残念です。用意した説教原稿が長くなったので、今日は、それを削る作業に時間をとられました。
12月27日(日)教会からの帰り、駐車場で車に荷物を積んでいたら、近所の人が話しかけてきました。「悪くとらないでくださいね。」という前置きだったので、ちょっとドキッとしましたが、それは、「教会のスプリンクラーが毎晩、雨が降ろうが降るまいが出ている。冬はそんなに水がいらないはずだし、水の節約が叫ばれているから、スプリンクラーを調整してはいかがでしょうか。」と言った内容でした。そこでスプリンクラーの調節パネルを見ましたら、確かに、毎晩6時に水が出るようになっていました。このところ、雨の日が多いので、とりあえず、水が出ないようにして、このことをメインテナンスの係に知らせることにしました。言いにくいことだったでしょうが、勇気を出して通知してくれたことに感謝しました。
12月28日(月)昼食にするため、ジャガイモ、サツマイモ、そしてアメリカのスィート・ポテトを一緒にオーブンで焼きました。スィート・ポテトが最初に焼け、次にジャガイモ、それからサツマイモの順に焼けました。スィート・ポテトは、私にはちょっと甘過ぎましたし、今回のサツマイモはあまり美味しくなく、ジャガイモを一番美味しく食べました。寒い季節は、暖かいものがなによりです。
12月29日(火)今年はオバマ大統領が就任した年です。"Change!" を合言葉に大きな期待をもってホワイトハウスに迎えられましたが、その言葉のとおりには、物事は進んでいません。アメリカの不景気は長く続きそうで、若い人たちが希望を持てない状態になっています。
12月30日(水)今年は日本旅行のために教団の修養会や Jesus Prayer Retreat にも参加できませんでした。けれども、一日修養会の講師に招かれたり、KFAX の牧師感謝ランチョンに出席したりして、修養会やリトリートにかわる恵みの時を持ちました。
12月31日(木)今年も、教会と信仰のルーツ、霊とまことによる礼拝と祈りを追求する一年でした。今年訪ねたいくつかの教会やその牧師とのまじわりから多くを学ぶことができました。
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