USA Diary

December, 2005

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12月1日(木)今日は、一日中、雨と風が強く、冬の嵐が荒れ狂いました。木々の紅葉が吹き払われ、水にながされていきました。季節の変わり目は、徐々に訪れることもあれば、今日のように、激しく訪れることもあります。時代の変わり目も同じようで、これからの時代は、嵐のように激しい変化にみまわれることでしょう。今日は、そんな予感を深めた一日でした。
12月2日(金)先週からクリスマスカードの準備を始めているのですが、ようやくラベルを作ることができました。全部大文字できちんとタイプしておくと、間違いなく、早く配達してくれるそうです。
12月3日(土)町内で注文してあったクリスマス・ツリーが届きました。他の家はさっそくツリーを飾りはじめていましたが、わが家では、ちょっと遅れて月曜日にツリーを飾ることにしました。
12月4日(日)教会がある Campbell の町で、"Carol of Lights" という催しがあったので、少しだけ見に行きました。雪遊びのコーナや、ロバ乗り、サンタクロースのパレードなどがありましたが、小さな町の催しですので、どれも規模の小さなものでした。そこかしこでさまざまなグループの人たちが、クリスマス・ソングを歌っていましたが、写真の女性のグループがいちばん、生き生きと楽しそうに歌っていました。
12月5日(月)ご近所の皆さんからだいぶ遅れてですが、ようやくクリスマス・ツリーを飾ることができました。例年は室内にも飾っていたのですが、今年は、フロントヤードだけにしました。去年と同じような飾りつけで、あまり目立ちはしませんが、この通りをすこしでも飾ることができたらと思っています。
12月6日(火)クリスマスのかざりつけで、ひとつアイデアがひらめいたのですが、今年は、それを作る時間がとれそうにもありません。でも、忘れないうちに、来年のために、設計図ぐらいは書いておこうかなと思っています。
12月7日(水)夜の祈り会から帰ってから、日本に送るクリスマス・ギフトのパッケージをしました。簡単なものですが、税関の申告書も用意しなければなりません。明日、教会の帰りに郵便局に寄る予定ですが、あまり混んでいなければよいがと思っています。
12月8日(木)国際結婚者の会のクリスマス・パーティで「ナルニア国物語」からナルニアの王であるライオン、アスランのことから「ライオン」とも「子羊」とも呼ばれるキリストのことをお話しすることができました。明日から、「ナルニア国物語」が上映されますが、さて、いつ見に行くことができるでしょうか。
12月9日(金)きょうは「白百合会」のクリスマス・パーティでした。大きな集まりではありませんでしたが、ひさしぶりの方々に会うことができました。25日のクリスマスまで、いろんな集会、行事が続きます。忙しくはありますが、それぞれに、クリスマスの意義を伝える機会となるよう願っています。
12月10日(土)スペシャル・ミニストリーで、スペッシャル・フレンドのひとりのバプテスマ(洗礼)式がありました。ユース・パスターが、バプテスマを受けたスペッシャル・フレンドが好きな「ライオン・キング」から、私たちの王イエスさまのことを話してくれました。とても心温まる時を持つことができました。
12月11日(日)午後から理事会があったのですが、これがずいぶん長くなり、家に帰るのがずいぶん遅くなりました。他の人はみんな先に帰って、私が最後になりました。念のため暖房のスイッチを点検してまわりましたら、消し忘れていたものがありました。今日の礼拝プログラムに「消し忘れにご注意」と書いたばかりなので、ちょっと残念でした。
12月12日(月)今日は、女性の会からの依頼で、あるお宅にポインセチアを届け、クリスマスの賛美をし、お祈りをしてきました。娘が仕事から帰ってくるのを待って三人で出かけることができました。小さな奉仕ですが、こうして家族で神さまのために奉仕ができるのをうれしく思っています。
12月13日(火)今日の、スタッフ・ミーティングで、先週土曜日の夜行われたクリスマス・プログラムの反省が出ました。各クラスが良くやってくれ、とても良かったのですが、昨年のようなクリスマス・メッセージがありませんでした。時代が変わっても、伝統的な降誕のストーリを語り続け、次の世代に引き渡していく必要があるのではという話しあいになりました。来年のプログラムにはそのことを生かしたいと思います。
12月14日(水)教会からの帰り、郵便局に寄ったのですが、郵便局は12月になったとたんにいつ行っても混むようになりました。それで「郵便マシーン」に向かったのですが、なんと「故障中」で、あきらめて帰って来ました。家中にある切手をかき集めて、あした郵便物を出すことにしました。
12月15日(木)荷物を送るのにいろんな方法がありますが、郵便小包が比較的安いようです。郵便局からピックアップしてきたパンフレットに、「重量制限なし、一律料金で、優先配達」というのがありました。調べてみましたら、そのために使うことができる箱は小さなものなので、あまり多くは入れられないようです。本のように重いものを送るにはいいのかもしれませんが、本の場合は、急がなければ、メディア・レートで安く送ることができます。
12月16日(金)出張中や旅行中の人が多く、きょうのゼロ会は、人が少なくなるのではと心配しましたが、カンファレンスルームを借りることができるぎりぎり6名の出席がありました。レストランの日替わり定食、金曜日はいつも「さしみ定食」です。分量的にはちょうど良いメニューなのですが、私はあまり生ものは好まないので、「カツ・カレー」を注文しておきました。会場に着いたら、カツ・カレーがもう届いていて、それが置いてあるところが私の座席となりました。
12月17日(土)今日、ごみ処理の請求書といっしょに、サンホゼの新しい市庁舎の案内が入っていました。そこに「アメリカで十番目に大きい市」と書いてありました。アメリカの十大都市というと、どんな順序かなと思って調べてみましたら、2002年の調査では12位までが、New York、Los Angeles、Chicago、Houston、Philadelphia、Phoenix、San Diego、Dallas、San Antonio、Detroit、San Jose、Indianapolis、San Francisco となっていて、サンホゼは11位だったのですが、デトロイトが人口を減らし、サンホゼが人口を増やしたので、順位が入れ替わったのでしょう。私はこのうち半分は行ったことがありますので、残りの市もいつかは訪ねてみたいと思っています。
12月18日(日)例年のように、娘の職場のクリスマス・パーティがありました。今年はメキシカン料理と「カジノ」のパーティでした。プロフェッショナル・カジノ・デーラが来て、いろんなゲームをしてくれましたが、遊び方が分からないので見ているだけでした。もちろん、お金を賭けるのでなく、チップが貯まると、景品の応募券に変えてもらうだけです。クリスマス・ツリーの下に五つほど置かれた、デジタル・カメラ、デジタル・ミュージック・プレーヤ、デパートの商品券などのどれか欲しいものに応募券を入れると、ひとりだけそれをもらって帰ることができます。結局、どれも当たりませんでしたが、だれもがもらえる景品はもらえましたので、娘も満足して帰りました。みんなカジノ・ゲームに熱中して、帰りは10時を過ぎていました。
12月19日(月)アメリカ人に喜んでもらえそうなクリスマスのギフトを買いにいきました。きれいな絵柄のお皿があったので、それを選びましたら、お店の人が「これは○○○○のデザインです。」と、日本の「有名な」デザイナーの名前を告げてくれました。しかし、私は、その人のことを良く知りませんし、ましてやこれを受け取る人は、日本人のことは分かりません。誰のデザインであろうと、気に入ればいいのですが、「有名な」だけでそれが良いものだと信じ、中身などどうでもよいと考える人も多いのでしょう。「ブランド崇拝」の嫌いな私には、店員さんのご親切もむなしく聞こえました。
12月20日(火)養護老人ホームにキャロリングに行きました。クリスマスの賛美を歌ったのですが、いっしょに口ずさんでくださる方もいて、とても励まされました。もうすこしエンターテーメントの部分があっても良かったかなと思いましたが、私たちのキャロリングは、ちょうどミサのあとだったので、神さまを賛美することに重点をおくことができて良かったかもしれません。エンターテーメントはその場かぎりで消えていきますが、神さまへの賛美は人のこころに残るのですから。
12月21日(水)クリスマス・カードが届いています。最近は一年間の主なトピックスを写真入りで印刷してくださる方が多く、見ていて楽しいものが増えました。しかし、クリスマス・カードは、たんなる「年末の挨拶」ではなく、あくまでも、クリスマスの祝福を祈る気持ちを伝えるもので「近況報告」は「付録」にすぎないと思います。たくさんのカードをいただきましたが、そのカードの背後にあるみなさんの祈りを感謝しました。
12月22日(木)時計用の特殊な電池が切れてしまったので、いつもの電器店に立ち寄りましたら、チェックアウトに郵便局以上の列ができていました。誰も文句を言わずに並んでいましたが、私は、電池の交換はクリスマス以降にして、ここで買うのをあきらめて、さっさと出てきました。このごろは、どこに行っても混み合っています。
12月23日(金)サンホゼの市会議員から、来年のカレンダーが届きました。「○○を市長に!」という宣伝でしたが、カレンダーの中には歴代の大統領や政治家の名言などが刷り込まれていて、役にたちそうですので、とっておくことにしました。今の市長さんは、ゴミ処理会社のスキャンダルに巻き込まれ、大変なので、この市会議員は「次の市長」に向けて動き出したのでしょう。
12月24日(土)雨の日が続きましたが、今日は久しぶりの晴れた日でした。雨の間散歩ができなかったので、すこし散歩でもと思ったのですが、いろんなことで忙しく、ついに部屋に閉じこもったきりでした。もうすこし、運動しなければと思っているこのごろです。
12月25日(日)日曜日がクリスマスになったのは 1994年以来 9年ぶりのことでした。礼拝後、ふたたび雨が降り出し「雨のクリスマス」となりました。外につけてあるライトが雨のため悪くならないかと心配しましたが、案外大丈夫なようです。
12月26日(月)ゴミ収集車が赤信号で止まった時、ドライバーが降りてきて、助手席にまわりました。やがて信号が青になると、運転席に誰もいないのに、その車が動き出したのです。「えっ!」と思いましたが、良く見ると、助手席にもちゃんとステアリング・ホィールがあって、ドライバーはそちらで運転していたのです。この車は、道路に並べられたゴミ箱がよく見えるようにと、運転席が右側にもついていたのです。郵便配達の車も、運転席が右側にありますが、右と左の両方にステアリング・ホィールはついてはいません。毎日見かけるゴミ収集車ですが、そんなふうになっているとは、今まで気がつきませんでした。
12月27日(火)クリスマス・ギフトに映画のチケットをいただき、夕方「ナルニア物語」を観に行きました。家族三人そろって映画を観に行くのは、ずいぶんひさしぶりです。映画は、原作に忠実で、とても良くできていました。この物語は、聖書のメッセージを隠しており、とても意味深いもので、大人が観ても十分に楽しめます。ただ、ナルニアの王、ライオンのアスランが、本を読んだ時の私の想像とは違って、すこし太り気味に思いました。本から想像したアスランは、もっと引き締まった体型で、神々しさのあるライオンのように思いましたが、それを映画で表現するのは難しかったのかもしれません。
12月28日(水)今年もあと三日になってしまいました。子どものころは、「もういくつ寝るとお正月」という歌のとおり、わくわくした気持ちでお正月を待っていたものですが、年齢を重ねるにつれて、一年がどんどん過ぎていくような気がします。その分だけ、過去へのこだわりを捨て、明日に向かって、一日一日を大事にしていきたいと思います。
12月29日(木)ご病気だった方が、今日の夕刻、東海岸にいらっしゃるひとり娘の到着を待たずに、天に召されました。けれども、ご主人や親族、そして親しい友だちに囲まれた安らかな死でした。お嬢さんのご一家は先週クリスマスの休暇で来ておられ、まだお元気な時に楽しい時を過ごされたので、心残りはなかったかと思います。教会の友人たちが、遅くまでお嬢さんの到着を待ち、みんなで励まし合い、祈り合うことができました。温かい心の人々といっしょにいることができたひとときを、神さまに感謝しました。
12月30日(金)昨日亡くなられた方のメモリアル・サービスのため、いろんな方と電話で連絡をとりあいながら、一日を過ごしました。メモリアル・サービスは 1月 2日となり、日数も少ないので、大変ですが、神さまのお助けにより、ご遺族の慰めになるサービスを執り行いたいと祈っています。
12月31日(土)昨晩は、すごい嵐で、西側、南側の窓に雨が吹き付けたため、その雨が室内まで入ってきました。おかげでカーテンや壁が濡れる被害がありました。外に置いてあった物干し用のテントが壊れ、虫除けのスクリーンも破れました。教会のテントも破れがひどくなり、台所の天窓からの雨漏りがありました。ソーシャルホールの非常口付近のカーペットも雨が入り込んだのでしょうか、濡れていました。お昼からは晴れて暖かい日となりましたが、このため、近所の信号機は、ずっと消えたままになっていました。今年は、アメリカはハリケーンをはじめ、さまざまな「嵐」に見舞われましたが、これが「嵐」の吹き納めでしょうか。それとも、来年の「嵐」の予告でしょうか。キリストのたとえ話にあるように、「嵐」に負けない、岩の上に建てられた家のようでありたいと思いました。
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