USA Diary

December, 2001

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12月1日(土)フロントヤードに飾るクリスマスツリーが届きました。去年はコーディネータのところまで取りにいったのですが、今年は、配達してくれました。車の屋根にツリーを縛りつけて運んでいるのを見かけますが、ツリーを乗用車で運ぶのは、短い距離でも面倒なものなので、随分助かりました。
12月2日(日)今日は、転勤される方の壮行会がありました。お別れ会といっても感傷的なものでなく、明るく楽しい会となりました。土地柄、人の出入りの激しいところですが、それだけに、活気もあります。この活気を保ちながら、足もとを固めた伝道をしていきたいと、いつも、思っています。
12月3日(月)今日からクリスマス・カード書きです。まずは、日本の方々に送るギフトの発送から始め、宛て名レーベルを作りました。宛て名は手書きよりも、タイプしたもののほうが、機械にかけて仕分けができるので、郵便局では好まれます。局にある投函口も、手書きの郵便用とタイプの郵便用と二つあります。全部大文字で、カンマをつけずに書くようにとのことでしたので、そのようにしました。
12月4日(火)金曜日に予定されていた礼拝委員会が都合で、今日になりました。クリスマスの礼拝のことなどを話し合いましたが、話がはずんで、随分夜遅くになってしまいました。みんな卒直に物を言いますが、根底では互いを大切に思いあっており、いつも話は前向きに進みます。それが、神の愛を知るものたちの特権かと思います。
12月5日(水)日曜日、ある方を病院にお訪ねした時、南加から見えていた先生にお会いし「お気をつけてお帰りください」と言ってお別れしたのですが、その帰り道、先生は交通事故に巻き込まれて怪我をされました。私たちに最初伝わってきた情報は、かなりの重傷とのことだったのですが、今日の祈り会の後、ある姉妹がその先生に問い合わせたところ、聞いていたよりは軽い怪我で済んだとのことでした。そういえば、日本のある有名な牧師が入院された時も、私たちには「亡くなられた」と伝わったことがありました。情報には、正確さ、詳しさ、そして速さが必要ですね。
12月6日(木)日本宛のクリスマスカードを出すために郵便局に寄りました。きっと待たされるだろうと思いましたが、案外空いていました。去年の今ごろは、郵便局も混でいたのですが、今年は、テロ事件の影響で、クリスマスカードを出す人も少ないのでしょうか。
12月7日(金)日本に出したクリスマスカードが戻ってきました。リターンアドレスの方を機械が読みこんだからです。郵便局に出す時に、機械で読みとる郵便物の方には入れなかったのに。午後の訪問に出かける前に郵便局に持っていって、もういちど配達してもらうよう、お願いしてきました。戻ってきたのは五通だけで、他は大丈夫なようです。
12月8日(土)障害をもったこどもたち(参加者の多くは、実際は成人)のためのミニストリーが、私たちの教会で、長年行われています。毎年、クリスマスには、ランチがあって、私たちがサンディエゴ時代から親しくしていた、エリック先生も来てくれます。英語部のジム先生も、私も、明日の準備のために忙しくしていましたら、エリック先生がやってきて「君たちは、働きすぎだよ。ちょっとは楽しみなさいよ」と言われてしまいました。私は、この会の昼食には出たものの、明日、はじめてビデオプロジェクターを使ってのメッセージをするので、そのことで苦労していましたので、他のプログラムに出られず残念でした。
12月9日(日)恒例の「藤タワー」キャロリングに行きました。今年は、キャロリングの「名司会者」がおらず、どうなるかと心配しましたが、なんとか楽しく過ごせたようです。私は最後の祈りを頼まれたのですが、つい「菊タワー」と言ってしまいました。サンディエゴで「菊ガーデンス」という同じような施設があり、毎年、キャロリングに行っていたので、その名前が出てしまったのです。そこにいらした方々のこともなつかしく思い起こした夕べでした。
12月10日(月)ひさしぶりの快晴でしたが、午前中、歯医者のアポイントメントで時間をとられてしまい、お天気を楽しむ余裕がありませんでした。ブリッジをして詰めてあったところが、欠けてしまったので、予約をとったのですが、デンタル・オフィスでは、私の口の中がカメラで映し出されて、画面に出るのを見ながら、ドクターから説明を受け、問題の部分をプリントアウトされたものも見せてもらって、次回の治療の相談をしました。いままで、昔ながらのデンタルオフィスで治療を受けていましたので、こんなのを見たのははじめてで、さすがに、ここはハイテクのサンホゼだなと思いました。
12月11日(火)今、アメリカの歴史からのエピソードを綴った本を読んでいます。なかなか面白い本です。もっとアメリカの歴史を知り、そこから宝物を見付けたいと思っています。歴史は、宝箱のようなものです。
12月12日(水)いつもの定例集会のあと、日本に帰る方々、ニュージャージに行かれる方の送別会。送別会は、いつもは春や夏に多いのですが、今年は、1月に転勤する方が多く、12月にたくさんの送別会がありました。
12月13日(木)朝はルツ会。これは国際結婚をしておられる方々の集まりですが、今日は、それぞれご主人の国の料理を作ってくるということで、ポットラックランチではおいしいご馳走をいただきました。もちろん、いつものように素晴しいシェアリングがたくさんありました。夜の宣教委員会では、スモール・グループで祈り、私は二世の方と祈りました。この人は、日語部のひとりひとりのために名前をあげて祈ってくださいました。日語部は、二世の方々の祈りに負うところが多いと、この時思いました。教会のリーダシップは三世、四世の方々がとっており、二世の方々はみな、ご高齢になって、健康上のトラブルがありますが、それでも、みな、忠実に奉仕をしてくださっています。私はいつも、そうした方々に励まされています。
12月14日(金)今日は、白百合会でクリスマスのお話。キャンディケーンのお話をするので、実際のキャンディーケーンを配ったらよいだろうと思い、買っていきました。私のは、ディスプレー用に大きいのを買いました。それが終わって、日本に帰った元・白百合会メンバーにデジタルカメラで写真を取り、それを寄書きにプリントアウトしてみましたが、私のカメラでは、グループ写真になると、ひとりびとりの顔がはっきりとは写りませんでした。今は 2M Px 以上のカメラがあたりまえになってきましたが、やはり、640 X 480 Px では満足な写真は無理でした。こんな写真でも「雰囲気」だけは味わってもらえるかと思い、後は係りの方に託しました。
12月15日(土)あすは礼拝でバプテスマ(洗礼)式。洗礼槽のヒーターがこわれたので、それを取り外し、ボイラーからのお湯を入れるようにしました。お湯の配管に蛇口をつけ、そこにゴムホースをつないで、洗礼槽にいれるという、まことに「スリリング」なことをやろうとしています。ところが、今朝チェックしたら全然お湯が出ない。教会には業務用のボイラーを入れてあるのですが、ずっと故障していたのです。直してもらうように手配して、夜チェックに行きましたら、熱いお湯がでましたので、ひと安心。今日は、男性がたが、洗礼槽の掃除を一所懸命してくださいましたので、その労が報われますようにと願いました。
12月16日(日)朝の洗礼式は、係りの方がかなり苦労されたようですが、洗礼槽の水も、暖かく無事に終えることができました。教会の帰り、台所をリモデルされた方のオープン・ハウスで、きれいになった台所を見せていただきました。夜は、サンデースクールのクリスマスプログラムで、子供たちが歌と劇でクリスマスを祝いました。大人のコワイヤも頑張りました。舞台装置もみごとに出来ました。ちいさい子供たちから、おじいちゃん、おばあちゃんまで、英語の人も、日本語の人も、みんななごやかに、暖かくイエスさまのお生まれを喜びあいました。少々疲れましたが、とても楽しい一日でした。
12月17日(月)今日、教会の廊下のカーペットが入れ換わりました。破れたところや、かなりよごれたところ、それにバスルームや入り口から水が入ってデコボコになっていたところもあったので、きれいになりよかったと思います。人々を迎え入れるところがあまり汚いとよくありません。これで、みなさんが気持ちよく教会に一歩を踏み入れていただけると思います。
12月18日(火)今日は、今年最後の牧師祈り会でした。三人の牧師たちが、心をあわせて祈ることができるのはとても幸いです。来年もまた、充実した祈りの時を持てますようにと、心に願いました。
12月19日(水)夜、車を走らせると、家々のライトニングがとても奇麗に見えます。庭の植え込みに、赤、青、白で、国旗をあしらった照明をしていた家がありましたが、良く工夫してありました。我が家は、今年、手抜きをして簡単にしましたが、来年はもうすこしライトニングの範囲をひろげようと思っています。そのためにも、近所の飾り付けを良く見ておきたいと思っています。
12月20日(木)教会で注文していた、カセットテープのコピーユニットが今日届きました。今まで、一度に三本のコピーを作ることができたのですが、これを追加することによって七本のコピーを一度に作ることができます。テープ係りの方へのクリスマス・プレゼントです。
12月21日(金)毎日のニュースで「オサマ・ビン・ラディン」が出てこない日はないほど、彼の名前はポピュラーになりましたが、そういえば、私がイスラエルに行った時のバスドライバーの名前も「オサマ」でした。たぶん、アラブ世界ではありふれた名前だったのでしょう。他に多くいる「オサマ」さんも、多分迷惑でしょうね。
12月22日(土)クリスマス直前の土曜日、お店はどこも満員。アメリカの景気が悪くなっているので、せめてこの時ぐらい、活気が出てほしいと思っています。日本でもそうなのでしょうが、こちらでも、高級デパートよりも、ウォールマートやターゲットのようなスーパーマーケットの方が売り上げを伸ばしているようです。
12月23日(日)クリスマスの礼拝、こどもと一緒の礼拝を守りました。沢山のプログラムがありましたが、こどもたちがとても静かにしてくれたので、スムースに行きました。大勢の方々が出席してくださり、日語部の礼拝でも、礼拝堂が狭く感じられるようになりました。夜、ヤングアダルトのパーティがあり、積木くずしのようなゲームをしたのですが、このゲームに私はワールドトレードセンターを思い起こし、あまり楽しめませんでしたが、それは考えすぎでしょうか。
12月24日(月)夜、教会で、キャンドルライト・サービスをしました。キャンドルライト・サービスといっても、各自がキャンドルを持ってでなく、ステージに大きめのローソクをひとつ灯しただけで、さみしい気もしましたが、消防署の指導で、ローソクを使わないようにということだそうです。クリスマスの時期、ローソクによる火災が多いようで、注意が必要です。
12月25日(火)クリスマスのディオフ。サンフランシスコから帰ってきた娘のノートブック・コンピュータの調整で一日潰れました。このモデルは Windows Me がプリインストールされたものなのですが、ここに日本語の Windows 98 を入れたのですが、内臓のモデムやサウンドシステムが動いてくれません。Windows 98 の時代が終わって、今は Windows XP なのだそうですが、メーカーが古いバージョンに対応したドライバーを作ってくれないので、困っています。
12月26日(水)朝、夕の祈り会とも、とても少ない人数でした。ほとんどの人が旅行に出かけているのです。工場では、クリスマスから新年にかけて機械を止めてしまいますので、今、お休みの人が多いのです。工場はシャットダウンがあっても、教会は、しかも、祈り会には、シャットダウンがあってはならないのです。
12月27日(木)クリスマス前、どこの店も混んでいましたが、アフタークリスマスも、朝から大勢の人です。とくに返品のカウンターには人が並びます。ギフトでもらったものも、ギフト・レシートがついていれば、返品、交換ができますので、そういう人が多いのかもしれません。
12月28日(金)今日は雷雨になるという予報でしたが、そんなに雨も強くはなく、穏やかな一日となりました。雨期にはやはり雨が欲しいのですが、あまり多すぎても困ります。人間の要求は、いつも、身勝手で贅沢ですね。
12月29日(土)娘が風邪をもらって来て、私たちもそれをもらってきました。娘がよくなったころ、私たちも具合が悪くなりました。「風邪は人にうつすと直る」と言いますが、本当ですね。でも、そんなにたいしたことがなく、大丈夫です。風邪は「引」くものでなく「押し」返すものと言い聞かせています。
12月30日(日)今年最後の礼拝、英語礼拝も日本語礼拝も少ない人数でしたが、無事に守られました。礼拝堂を飾っていたクリスマス・ツリーも片づけられました。我が家のクリスマス・ツリーも片づけなければならないのですが、もう一週間おいておこうと思っています。1月7日まではクリスマス・シーズンですので。
12月31日(月)今年の仕事納めは、このダイアリーのアップロードです。今年は、あまり明るい話題をお届けできませんでしたが、来年はもっと明るく暖かい話題をお届けできる年でありますよう、願っています。
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