USA Diary

December, 1999

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12月1日(水)教会からの帰り、交通事故現場に二回も出くわしました。私たちの住んでいるところで、このところ、急に車が増えましたが、12月になったこともあって、みんなせわしく動き回っていますので、あぶない目にあうことが多くなっています。
12月2日(木)"2000年まであと30日" いきつけの床屋さんに行きました。老人ふたりでやっている小さなバーバーショップですが、ひとりしか働いていませんでした。「相棒はどうしたの」と聞きましたら、心臓動脈が詰まって入院中、今回が二度目なのでたぶん仕事に戻れないだろうとのことでした。カット4ドルという店もあるのですが、安いからといって別の店に行く気はありません。ここだと、椅子に座れば、適当に刈ってくれます。床屋さんは、髪の毛を刈ってもらうところばかりでなく、ほっと一息できる場所、世間話をする場所でもあるので、慣れたところが一番です。"See you next millennium!" と言って帰ってきました。
12月3日(金)"2000年まであと29日" 去年から飾りはじめたクリスマス・ツリー、今年も買ってきました。もう少し早くと思っていたのですが、今日になってしまいました。飾りつけるのは家内の仕事です。今年はペーバーのベルで飾りました。私は、庭のライトニング担当です。近所の家は、先週からライトニングを始めています。
12月4日(土)"2000年まであと28日" 「婦人朝食会」が、あるホテルであって家内と娘を迎えにいったら、同じように、奥さんを待っていたケンさん、エドさんにホテルのロビーで会いました。エドさんは、ポケットコンピュータのプログラマをしていただけあって、どこに行くにも愛用のポケットコンピュータを肌身離さずもっており、ご婦人方が出てくるまでのあいだ、ポケットコンピュータを見せてもらいました。プログラミング・ツールもついているとのことでした。「これはね、家内と一緒に買い物に出かけた時、ひとりで時間を潰すために持っているんですよ」と内緒で話してくれました。私がハンドヘルドPCを買ったのも、同じ動機だったりして!
12月5日(日)"2000年まであと27日" 今日は、キャロリングを欠席して、クリスマスカードの準備をさせてもらいました。お世話になった多くの方々に、普段ご無沙汰ばかりですので、せめてクリスマスカードぐらいはと、毎年出させてもらっています。みなさん、ありがとうございました。
12月6日(月)"2000年まであと26日" 庭仕事をして、クリスマスのイルミネーションをつけました。夕方点灯してみましたが、やはり、ちょっと寂しい感じがしました。すこしライトを買い足さないといけないようです。同じ物が売っているといいのですが。
12月7日(火)"2000年まであと25日" 今日は、真珠湾攻撃の日(日本では8日)。いままで外国から一度も侵略されたことのないアメリカが、たとえハワイとはいえ、日本から攻撃されたのですから、世論は日本への敵視に染まってしまったのは、やむをえなかったかもしれません。しかし、これによって、アメリカの日本人が苦難の道を歩むようになったことの責任は、いったい誰にあったのでしょうか。
12月8日(水)"2000年まであと24日" 教会で毎週水曜日、「シニア・ランチ」というのをやっています。日系の高齢者たちに、まじわりの場を提供するため、昼食をサーブするプログラムです。食事を作るのも、高齢者たちです。今日は、有志でクリスマスキャロルを歌い、用意したギフトを差し上げました。最高齢の105歳の方も元気でみえていました。
12月9日(木)"2000年まであと23日" 10月7日にも書いたのですが、曽野綾子さんの『いい人をやめると楽になる』から書き出したメモが机の上にあったので、忘れる前に、それを書いておきます。「自分の中にある矛盾した要素を承認した人」(123頁)(が、クリスチャンだと思う。─これは、私のコメント)「変わらせようとしてはいけない。ただ見守り、暖かい盾になって、その人物が決定的に崩壊するのを防げばいい。」(93頁)「人がしなくてもする、人がしてもしない。」(136頁)「くれない度」(158頁)(年をとると、「してくれない」「してくれない」と不満がつのる。これが「くれない度」で、それによって、精神の老化を計る。)ついでに、『五体不満足』から。「真の厳しさとは、真の優しさである。」「失敗と書いて経験と読む。」「障害は不便である。しかし、不幸ではない。(ヘレン・ケラー)」
12月10日(金)"2000年まであと22日" とても寒い日が続いています。夕べは久しぶりの雨。私は教会で仕事をしていましたが、パラパラと降った程度だったのですが、自宅のほうでは、まとまった雨が降ったそうです。お昼からは、とても良いお天気になりました。夜は、私は教会での理事会、娘はクリスマス・パーティに行きました。
12月11日(土)"2000年まであと21日" エアロビスクのインストラクターがいて、土曜日に体操の指導をしてくれていたのですが、当地での勉強が終わって引っ越すことになり、今日が最後の体操クラスでした。元気な彼女が去ると、教会もさみしくなります。
12月12日(日)"2000年まであと20日" 今朝も、早天祈祷会から一日が始まりました。早天祈祷会の時、グループ分けして祈るのですが、いつも同じ人との組み合わせになります。順番に番号をかけていくのですが、みな座る場所が同じなので、そうなるのです。それで、ハンドヘルド・コンピュータで、グループ分けプログラムを作ってみました。あらかじめ、ファイルに、出席者の名前を入れておきます。そのファイルを読み込ませ、乱数を発生させて、グループを分けるというものです。PocketC という WindowsCE 用のプログラミング・ツール(シェアウェア)を手にいれ、それで作りました。私は DOS プログラムしかやったことがなかったので、ちょっと手間取りましたが、WindowsCE は、Windows95/98 よりもシンプルに出来ているので、私にはちょうどよい勉強材料になりました。PocketC はとても良く出来ています。これのデスクトップ・バージョンが出るのを期待しています。見てもらえそうなプログラムが出来たら、公開します。グループ分けプログラムは一応できたのですが、今日は、ハンドヘルド・コンピュータを教会に持っていかなかったので、使えませんでした。この次には試してみたいと思います。
12月13日(月)"2000年まであと19日" 「Y2Kと、騒がれていますが大丈夫なんですか」と良く聞かれます。私は楽観的なんですが、一応、注意は必要でしょうね。でも、非常食や水を蓄えておくようなことまでしなくてもいいと思っていますが。みなさんは、どんな準備をしていますか。
12月14日(火)"2000年まであと18日" Y2Kといえば、マイクロソフトが Windows 2000 を出すそうですね。Windows 2000 のベータ版がコンピュータ雑誌の付録についてくるそうです。あらかじめ、それを使ってアップデートしておくと、Windows 2000 の正式版に安くアップグレードできるそうです。やってみますか?私は今、Linux の方に興味があって、首をつっこんでいますので、どうするかなぁと考え中ですが、珍しいもの好きですから、ひょっとしたら、Windows 2000 を試してみるかもしれません。
12月15日(水)"2000年まであと17日" 今日は日本語キャンドルライトサーヴィス。例年、若い人たちと一緒に劇をやったりしていたのですが、今年はパートナーもいないので、一人芝居をすることにし、「ニコデモ物語」をやりました。夜、ニコデモがイエス様に会いに行くという設定です。イエス様のことばはスクリーンに写し、そのイエス様とのことばの対話で劇を進めていくはずでした。実際やってみて大きな誤算は、眼鏡をかけないで演技をしたので、スクリーンの言葉が全然見えなかったということです。大きなスクリーンに写し出されるのだから、見えるはずだと思い込んでいて、試してみなかったのです。結局全部アドリブでやるはめになってしまいました。やっぱり、リハーサルが必要ですね。来年はいいパートナーが与えられますように。
12月16日(木)"2000年まであと16日" 今日は、キャロリング・デー。四軒のお宅を回りました。(家内と私は、二軒目から参加しました。)何度も何度もクリスマス・キャロルを歌いましたが、クリスマスの賛美は、どれも歌いやすく、美しく、何度歌っても飽きることがありませんね。現代は、コンテンポラリー・ミュージック全盛なのに、どういうわけか、コンテンポラリー・クリスマス・ソングはありませんね。おそらく、クラシカルなものを凌ぐものを作れなにのだろうと思います。
12月17日(金)"2000年まであと15日" Hさんのお宅にクリスマス・ディナーに招いていただきました。他に何家族も招待されていて、クリスチャンが自然な形でノン・クリスチャンにクリスマスの祝福を分かち合えるようにとのことでした。いろんな話題が出て、みんなが口を開き、良い時間を持ちました。このように、心をくだいて家庭を開放してくださる方々が、サンディエゴには多くいます。とても素晴らしいことです。
12月18日(土)"2000年まであと14日" 教団のウェブ・ページの制作に時間を使いました。アドビー・アクロバットで読むPDFファイルへの変換をいろいろと試みています。PDFは、米国政府も使用しているもので、教団ページでも、印刷配布用文書をPDFでダウンロードできるようにしました。
12月19日(日)"2000年まであと13日" 今年こそは、バルボア・パークのクリスマスに行こう、ラ・メサのクリスマスにも行こうと言いながら、今年も仕事に追われて、どこにも行けませんでした。それではというわけで、教会のすぐ近くのシンフォニーホールで、午後「トラディション・オブ・クリスマス」があるからというので、行ってきました。これは、クリスチャンの演劇団体が毎年行っているもので、歌やダンス、そして、ディケンズの「クリスマス・キャロル」、最後が「リビング・ナティヴィティ(降誕劇)」でした。「ハレルヤ・コーラス」では、全員起立して主をたたえました。
12月20日(月)"2000年まであと12日" 日曜日、教会に行くとき、フラット・タイヤだったようで、今朝、修理に持っていったのですが、エア・プレッシャーが低いまま長く走ったようで、修理できないとのこと、しょうがないので、新しいタイヤに換えてもらいました。土曜日あたりからどうも風邪気味だったのですが、今日はさすがにダウンしてしまい、午後から予定されていたキャロリングに家内を届けて、後は、寝てしまいました。
12月21日(火)"2000年まであと11日" 教会に沢山のクリスマス・カードが届いています。日語部では、25枚近いクリスマス・カードをみなさんに送りましたので、各地から、カードと共に近況を知らせてくれます。なつかしいひとりびとりを思いながら、礼拝堂入り口の掲示板に掲示しておきました。
12月22日(水)"2000年まであと10日" 今日の夜の祈り会には、何人もが風邪で欠席、小さな祈り会になりましたが、日語部最後の祈り会でしたので、みんなで一年の恵みをあかしし、祈って、早目に終わりました。
12月23日(木)"2000年まであと9日" 今年最後のキャロリングに、ラ・ホヤまで出かけました。いままで、多くの高齢の方々がいらしたのですが、それぞれ天に召され、訪問先が以前よりも少なくなってきました。ある姉妹が、「自分たちが、訪問される年齢になった時、今の若い人たちは来てくれるでしょうかね」と話していましたが、さぁ、どうでしょうか。若い人たちに、人のために労する喜びをしっかり教えておかないといけませんね。
12月24日(金)"2000年まであと8日" ある夫妻は、クリスマス・イヴというのに、今日も、忠実にお掃除にきてくれました。また別の夫妻は教会の事務のために働いてくれました。クリスマスを主への奉仕に用いることほど、素晴らしい過ごし方はないと思います。
12月25日(土)"2000年まであと7日" 今日は、クリスマス・デー。教会ではクリスマス礼拝をしませんでした。明日の礼拝をクリスマス礼拝として守ります。ヨーロッパの伝統では25−27日の三日間がクリスマスの祝日なので、26日は、クリスマス祝日の「中日」だからというが、私の「弁解」ですが…。
12月26日(日)"2000年まであと6日" まだ風邪から完全によくなっていないので、午後、出かける約束をしていたのをお断りしてすこし休みました。(と言っても、ブックレットのバインディングの仕事を持って帰ってやっていたのですが。)
12月27日(月)"2000年まであと5日" いつものように庭仕事。夕方来客があるので、カーペットの掃除など。NHKで放送された「武田信玄」のヴィデオを貸していただいたので、数本見ました。私は、この種のヴィデオを「リーダシップの勉強」と勝手なことを言って楽しんでいます。
12月28日(火)"2000年まであと4日" 娘の誕生日。ささやかなお祝いをしました。娘、ふたりとも、誕生日がクリスマスに近いので、クリスマスのギフト、お年玉、誕生プレゼントとせがまれて大変です。ケーキにつけるローソクの数も多くなったので、数字の形をしたローソクを買ってきました。
12月29日(水)"2000年まであと3日" 家庭集会で、昼食を共にさせていただきました。夜は、教会で年末祈り会のあと、恒例の「年越しソバ」をいただきました。私はおかわりして、二杯食べました。
12月30日(木)"2000年まであと2日" 今日、訪問するはずのところがキャンセルになり、一日、家で仕事をしました。私のホームオフィスの書類、何年分も積み重なって散らかっています。何とか今年中に片付けようと思いましたが、とても出来そうにもありません。私は何でもとっておくほうなので、書類が貯まる一方です。「お父さんは金持ちじゃないけど、紙持ちだね」と娘から言われたことがあります。
12月31日(金)"2000年まであと1日" 1999年、そして1990年代最後の日でした。どこもお休みで道は空いていました。朝から曇り空で、サンディエゴにしては寒い日でした。夜、少し雨が降ったようです。「降ったようです」というのは、その時間、「年越しそば」をごちそうになるため出かけたためです。朝早く起きて衛星放送から「紅白歌合戦」をビデオに取っておいたのを、見せてもらいました。時間がなかったので、前半だけ。後半は後日のお楽しみに。今年は、「紅白」で明けて「紅白」で暮れました。
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