USA Diary

November, 2009

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11月1日(日)きょうは恒例のこども祝福礼拝をしました。今年は26家族、41名のこどもを迎えました。「種まきのたとえ」から台本を書いて寸劇をしてもらいましたが、こどもたちには伝わるものがあったようです。ただ、せっかくの祝福礼拝ですから、主の祈りの前に、両親がこどもたちと手をにぎって、こどもたちのために祈るときを持てばよかったと反省しています。
11月2日(月)来週映画会をするので、その案内を載せられるようにウェブページを作り直しました。聖母の腕の中で眠っておられるおさな子イエスのクリスマス切手が喜ばれるのですから、うんと宗教的なページにしたかったのですが、ウェブページがあまりに宗教的だと抵抗を感じる人もあります。かといって、教会のウェブページに信仰的なシンボルがなにもなくて、まるで、プリスクールやスポーツクラブのようなものにするのも良くないと、私は思っています。それで、どうしようかと考えながら作業をし、やっとアップロードすることができました。
11月3日(火)教会のメンバーが歩いているときに車にはねられ、入院しました。病院に訪ねましたが、骨を痛め、痛々しい姿でした。けれども意識ははっきりしており、精神的にも大丈夫なようでしたので、安心しました。痛みが和らぎ、一日も早く回復するよう祈って別れました。
11月4日(水)クリスマスに洗礼を受ける人が起こされ、きょうからその準備会をはじめました。準備期間は長くはありませんが、救いの確信に堅く立つことができるようにと願っています。
11月5日(木)テキサスの陸軍基地で、軍医が銃を乱射して兵士を殺すという事件が起こりました。イラクやアフガンへの派兵に対する不満がたまったものだとされていますが、確かに兵士たちの精神的ダメージが以前にもまして大きくなっていることは、誰もが認めるところです。戦争には精神的なものが大きく作用しますが、アメリカは軍備においては大きな力を持っていても、精神的には苦境に立たされているように思います。ノーベル平和賞を受けたオバマ大統領も大きな課題を抱え込んでしまいました。
11月6日(金)KFAX というクリスチャン・ラジオ局が主催するサンフランシスコ・ベイエリアの牧師朝祷会に行ってきました。年々参加者が増え、今年は900名もいたそうです。今年のスピーカーは R. C. Sproul で、20年前にサンディエゴではじめて会ったときから見て、ずいぶんお年を召し、体型も変わったように思いました。今回のお話はローマ1:1〜7より、「福音のための召し」といったもので、私なりに要約すると次のようになると思います。
  1. パウロは自らをドゥロスと呼び、キリストをキュリオスと呼んだが、牧師たちはそのように告白しながら主に仕えているか
  2. パウロは神によって召され、聖別され、キリストのものとされた。牧師たちはそのような明確な召命感に立っているか
  3. この召しは福音のためであが、福音を語る牧師たちは、福音が何であるかを理解しているだろうか
Dr. Sproul は伝道、牧会は方法論ではない、福音の基本に戻ることだということを力説していました。
11月7日(土)昨日の集会では、サンフランシスコ近郊にあるハイランド教会を創設し、50年の間導いてこられた Don Sheley 牧師も、教会成長の秘訣は Prayer と Preaching、しかも Expository Preaching にある、祈りと説教の準備に時間をかけるようにと言っておられました。この教会の50周年の記念ビデオをもらってきましたので、きょう観てみました。とてもよくできており、そこに収められてある Sheley 牧師の説教も素晴らしいもので、私がダラスで習ったクリスウェル先生の説教に似たものでした。
11月8日(日)私は2001年1月以来のサンタクララ教会での礼拝メッセージをウェブページに載せてきましたが、きょうで、それが400になりました。Google の語句検索サービスがさらに良くなったので、検索が楽になりました。みなさんに利用してもらえればと願っています。
11月9日(月)今年一月に、教会のウェブページに「聖書通読の分かち合い」というものを作りました。最初の三ヶ月は投稿があったのですが、その後は休眠状態となったので、このページを閉じることにしました。ただ、その日の通読箇所とごく短い解説を表示する「きょうの聖書」は使ってくれている人も多いので、私のホームページに移すことにしました。それを移すにあたって、もう少し使いやすくするために、手を加えはじめました。通読表の聖書箇所をクリックするとその章の解説が読めるようにするつもりです。
11月10日(火)三日間休暇をとりました。おかげで読み返したいと思っていたボンフェッファーの『共に生きる生活』をゆっくり読むことができました。キリスト者のまじわりは「キリストをとおして」のまじわり、「キリストにある」まじわりであって、それ以上でもそれ以下でもないことを再確認しました。つまり、キリスト者のまじわりに理想を求めてはならないこと、また、キリスト者のまじわりが人間的な支配欲の手段になってはいけないということです。最後の章の「罪の告白と聖晩餐」は、「聖餐の前一週間の間にともに祈りませんか」と呼びかけて実践していることで、この章は「わが意を得たり」という感じでした。
11月11日(水)きょうは「ベテランズ・デー」です。一般企業では休日ではありませんが、お役所や学校は休みになります。第二次大戦で戦ったベテランたちもずいぶん年老いてきました。そのうちの親しくしている人に「ベテランズ・デー」の祈りを送りましたら、返事をいただきました。健康が支えられるようにと祈るばかりです。
11月12日(木)病院に行ったら、「H1V1の予防接種は品切れのため行っていません」との張り紙がありました。新型インフルエンザ(スワイン・フリュー)のことです。私の年齢になるとあまりかからないとのことで、幼児とこどもに優先的に接種がなされていますが、効果や安全性はまだ確実ではないとのことで、接種を受けても心配、受けなくても心配という気持ちの人が多いようです。
11月13日(金)賀川豊彦の「死線を越えて」の映画会を朝夕二回しました。賀川豊彦を知る人は比較的年配の人たちなので、思ったよりも年配の人々の参加が多い映画会でした。そんな訳で、若い人たちがワーッと集まって、賑やかにというわけにはいきませんでしたが、少ない奉仕者でもハンドルできる分の人数で、落ち着いた集まりになりました。
11月14日(土)きょうは大掃除でした。教会の駐車場には大きなダンプスターが届けられていましたが、今回はあまり大きな処分品がなく、ダンプスターがもったいないように思いました。しばらくは引き取りに来ないでしょうから、教会のメンバーや近所の人たちに利用してもらったら良いかもしれません。わが家にも処分したいものはあるのですが、捨てるより、福祉団体にドネーションしたいものばかりです。
11月15日(日)教会の駐車場にある柿は教会外の人にすべて取られてしまいました。フリーマーケットで売ればけっこうな値段になるので、持っていかれたのかもしれません。サンノゼではどなたかも柿をいただかないので、さみしく思っていましたら、遠いところからわざわざ小包で送ってくれた人がありました。早速いただきましたが、心のこもったその柿はとても甘く、おいしいものでした。
11月16日(月)注文してあった A Song for Nagasaki という本が届きました。自分自身が被爆しながらも、長崎の被爆者の治療にあたり、平和を訴え続けた永井 隆医師の物語です。英語の読者のために、日本文化の背景をくわしく描いたものです。私は、これをギフト用に買ったのですが、自分でも一冊手もとに置いておきたいと思いました。遠藤周作がまえがきを書いていますが、英文のまえがきは、遠藤周作らしくない淡々とした文章でした。
11月17日(火)頼まれていた寸劇の脚本を書き上げました。ユーモアを交えながら、しかし、大切なメッセージはしっかり伝えたいと思って書きました。これを演じてくれる人たちがまず、そのメッセージを受け取ってくれるようにと願っています。
11月18日(水)以前「TIME」に載った「マザー・テレサの信仰の危機」という記事のコピーを持っていたのですが、未整理の書類のボックスの中に紛れ込んでいて見つかりませんでした。それを読みたいという人がいたので、インターネットで調べたら、www.time.com/time/world/article/0,8599,1655415,00.html にちゃんと載っていました。www.firstthings.com にあった The Dark Night of Mother Teresa の記事もとても良かったので、両方を紹介しようと思っています。
11月19日(木)きょうの合同執事会は時間内に終わったので、日本語執事会も予定時間内に終わりました。マンスリーレポートの原稿も期限までに届いており、事務的なことが順調に進みました。霊的なことはかならずしもこういうぐあいにはいきませんので、せめて事務的なことだけでも予定どおり進むと負担が軽くなったような気がします。
11月20日(金)今日のゼロ会では脳卒中になった脳科学者が書いた『奇跡の脳』という本から興味深い話を学びました。これを発表してくれた人は、自分の友人が脳卒中になって苦しんでいるので、その病気を少しでも理解し、助けてあげたいという気持ちでこれを読んだと言っていました。その本の中にも、かならず良くなると信じて、愛をもって助けてくれる人がいれば、脳卒中からの回復も可能であるとあったそうです。信仰と希望と愛。これはどんな場合にも共通する価値なのだと思いました。
11月21日(土)ある教会の牧師が、日本人に聖書をあげたいからというので、私を訪ねてくれました。日本の歴史をよくご存じでしたので、私たちの教会にいる91歳の方のことを話しましたら、ぜひ戦争のときの話を聞きたいので、アレンジしてほしいと頼まれました。このふたりが良い会話ができるよう願っています。
11月22日(日)女優のオプラさんが司会をしてきた「オプラ・ショー」が25周年で幕を閉じるようです。オプラさんはこのショーによって財をなしたと言われていますが、同時に「オプラ教」と言っても良いほどの「信奉者」をも得ました。Marcia Z. Nelson という人が The Gospel According To Oprah という本を 2005年に書いて、その宗教性を分析しています。オプラは「感謝」、「ゆるし」、「同情」、「自己吟味」などについて語るが、その内容はきわめて人間中心的なもので、キリストを中心したものではないとのことです。人は神への信仰無しに生きることができませんから、こうした代替の疑似宗教を作り出すのでしょう。
11月23日(月)教会メンバーのご主人の納骨式がありました。サンノゼから2時間近くかかるところにある新しくできた軍関係の墓地で行われました。自分の車で行くつもりで地図で場所を調べてあったのですが、葬儀社が手配したリムジンに乗ることになりました。リムジンの中で葬儀社の人に「葬儀社で働くにはどんな資格が必要ですか。」と聞いてみたのですが、「特別なことはいらない。人々に対する思いやりがあって、安全運転ができれば大丈夫ですよ。」と言われました。退職後葬儀社で働くも悪くはないかなとも思いました。
11月24日(火)昨日の納骨式では、ライフルのサリュート、その銃弾を星条旗で包み遺族に渡す儀式、そして、トランペットの「タップ」がありました。どこでも見られる軍の儀式ですが、儀仗隊の兵士たちはそれをきちんと行ってくれました。こういうときには儀式が必要です。儀式がくずれると、とんでもないことになります。教会の礼拝でも、くずしてはいけない儀式(リタジー)があるのですが、それがくずれてしまうことによって、教会そのものの霊的なものもくずれていきはしないかと心配しています。
11月25日(水)2001年以来の礼拝説教をウェブページに保存し、検索もできるようにしてありますが、二つの説教がアップロードされていないことと、ひとつの説教へのインデックスが正しくないことが分かり、バックアップから補充し、訂正しました。私は、毎週の説教の準備のとき、関連した過去の説教も読み返してみるのですが、改めて読み返してみるとタイプミスを見つけます。400以上ある説教の全部をいちどにチェックすることができないので、気がついたところから直していきたいと思っています。
11月26日(木)今年のサンクスギヴィング・デーは一昨年と同じメンバーで祝うことになりました。それぞれが感謝だったことをわかちあい、祈りをもって締めくくりました。料理もデザートもお茶もどのレストランで食べるよりもおいしかったのですが、なによりも霊的な糧の豊かな夕食でした。
11月27日(金)そろそろスプリンクラーをオンにしてヤードに水を出さなければと思っていたところ、まとまった雨が降ってくれ、これで当分水をやらなくても良くなりました。サンホゼの東の山も、うっすらと緑になってきました。
11月28日(土)昨日とは違って、暖かい日になりました。電卓、カメラ、携帯電話、それに体温計の電池などが駄目になっていて、取り替えたり、充電したりしました。体温計の電池が駄目になっているのが気づかなかったのは、体温をはかる必要が無かったということで、長い間、風邪をひかないでこれたからでしょう。電池が使わないままで無駄になったかもしれませんが、こういう無駄は感謝な無駄かもしれません。
11月29日(日)今日の午後、家庭で飾るアドベント・キャンドルのための祈りを頼まれたのですが、今日は礼拝後すぐに出かけて、帰りが遅くなるので行けませんでした。来週も執事会があって、午後遅くなりますので、いつがいいだろうかと思案しています。せっかくの申し出でしたのに、今日行けなかったのは残念でした。
11月30日(月)どの映画でも観られる鑑賞券が何枚かあるのですが、観たいと思うものがなかったのと、時間がとれなかったのとで、ずいぶんながく映画を観に行っていません。どんな映画があるか調べて、このクリスマスにどれが観てみたいと思っています。
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