USA Diary

October, 1999

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10月1日(金)『信じること生きること』のプリントが順調に進んでいます。プリンタのインクが無くなったので、注文しましたら、早速届いたのはいいのですが、違うものが送られてきました。以前と同じ間違いです。今までもサプライを受け取るのに、すごく苦労しています。電話の向こうの応対の声は、てきぱきしているのですが、物事は全然進みません。どうなってるんでしょうね。
10月2日(土)キャンプや牧師会、それに、日本行きなど、むちゃくちゃ忙しくなっていました。メッセージの準備(次週の分)を早目にと思いながら、いつも仕上げは土曜日になってしまいます。10日は、英語と日本語の両方で話すので、英語の原稿だけを用意しました。明日、教会に持って行ってネイティブの方に見てもらいます。
10月3日(日)フォスターホームを開いて、虐待されている子どもたちの世話をしょうとしている方が、新しく家を買いました。そのオープンハウスに招かれて行ってきました。まだ、フォスターホームのライセンスが降りていませんが、一歩踏みだされた勇気に感動しました。
10月4日(月)今日は、歯医者に。あまり悪いところが無いと言われてほっとしています。生涯自分の歯でものを食べられられたら、幸せですから。
10月5日(火)今日は、娘の歯医者。待っている間に、サンクスギヴィングに出す手紙の準備をしました。250通の準備ができました。私のヴァケーション中に発送するので、今から準備しておかなくてはならないのです。
10月6日(水)推薦のことばをお願いしていた先生から、それが届いたので、『信じること生きること』のプリントを完成させました。刷ってみてから、いろいろミスタイプを見つけましたが、少々のことは、ご勘弁いただいて、これでひとまず、製本をはじめようと思っています。
10月7日(木)曽野綾子の『「いい人」をやめると楽になる』というのを貸してもらいました。その中に「自分の中にある矛盾した要素を承認した人」という言葉がありましたが、クリスチャンが、聖徒であり、罪人であるということにつながることかなと思いました。「平和の実現は、多くの場合、人と同調することではなく、抵抗することから生まれる」という言葉も、9月27日に書いた、中島義道さんの『<対話>のない社会』の内容と合い通じるところがあって、興味深く読みました。
10月8日(金)チャーチキャンプが夜から始まりました。部屋に帰って休む前に祈りの時間があったのですが、若い人たちは、時間を守って集まらなかったのが残念でした。やはり決められたスケジュールは守って欲しいですね。
10月9日(土)キャンプ場の目の前にある十字架の立っている丘に、もうひとりの人と上ろうとしたのですが、そこに行く道がわからず、途中までで、引き返してきました。後で、今は、そこに行くトレイルはふさがれていることを知りました。行っていけないこともないかなと思いましたが、長く誰も登っていなければ、少し重装備で行かなければならないでしょうね。地元の人は、蛇が出るから注意しろとも言っていましたので。
10月10日(日)朝キャンプ場から帰ってきて、教会で礼拝。午後は、もうひとつ別の教会で礼拝と聖餐式。長い一日でした。
10月11日(月)メールをチェックしましたら、スクール・シューティングがあったフォートワースの Wedgewood Baptist Church の牧師からのメールが転送されていました。あの惨事の中でも、いくつかの「不幸中の幸い」とでも言えることがあり、主の守りを感じたという内容でした。
10月12日(火)プリンターの調子が悪いので困っています。いろいろいじってみて、原因はどうやら、トナーモジュールのようだと分かりました。トナーのない古いモジュールがあるので、そこにトナーを移して、大丈夫かどうかやってみようと思っています。インクジェットはカラーが使えるので魅力なのですが、レーザプリンタの鮮明さにはかないません。レーザーが安かったので、買ったのですが、このモデルは「はずれ」みたいですね。メーカーはすぐ次のモデルを出しました。教会で次のモデルを使っていますが、左側に、点々が出るようになりました。マージンなので、ホワイトアウトで消して使っていますが、レーザーはある程度の値段のものでないと、うまくないようです。
10月13日(水)教団のウェブページを仕上げて、アップロードできるようにしました。これもヴァケーション前にやっておかなければならないことで、大忙しの日々です。
10月14日(木)今日、午後やっと床屋さんに行きました。いままで、時間が無くて、髪がぶさぶさになっていました。と、言っても、かなり数少なくなっているのですが。久しぶりにすっきりしました。夜、ある方から電話をいただき、日本で作家の三浦綾子さんが亡くなられたと聞きました。
10月15日(金)朝は、家内を家庭集会に送り、教会で、次回発行のニュースレターを作りました。二週間先のことをすでに、起こったこととして書いているわけですから、大胆なものです。夜、理事会のため再び、教会へ。他のフライヤーと一緒に印刷してしまいました。
10月16日(土)今日の明け方、地震があって、サンディエゴでも感じたというのですが、私はぐっすり寝ていてわかりませんでした。今日は、サンゲーブルまで、伝道セミナーのためにドライブしました。この地域はいつもはスモッグで覆われているのですが、今日は晴天で、気持ちの良い一日でした。ルーテル神学大学で教えておられたケネス・デール先生が、日本の文化の中にある、福音を妨げるものについて、また、それをどう克服すべきかについて、流暢な日本語で語ってくださいました。良く企画された素晴らしいセミナーだったと思います。
10月17日(日)午後、中馬さんの記念会を、彼が尽力し、彼の遺骨も納めされている平安殿でおこないました。大勢の方々が、彼を偲んで、参列してくださり、思い出を語りあいました。この日はちょうど、召天一周年でした。
10月18日(月)日本にいく支度。日本は寒いからだろうと、着物を詰め込みました。それに結婚式に出るので、そのおみやげ、他の人からの預かりもの。重いスーツケースになってしまいました。家内と二人で出かけるので、家内のものまで、私のスーツケースの中に。いちど身軽な旅をしてみたいと思うのですが、日本に行くのに、手ぶらでというわけのも行かず、また、日本から帰る時も、いろんなものをいっぱい頂くので、やはり、この大きいスーツケースは、なくてならぬものなのでしょう。
10月19日(火)いよいよ日本へ。サンディエゴ空港で、同じ日に日本に向う姉妹と一緒になり、ロスアンゼルスまでご一緒しました。彼女は成田へ、私たちは関西へ向いました。機中で、以前見たいと思っていた October Sky を見ました。この映画は、NASA の技術者になった人の自伝、Rocket Boy からとった物語で、親子の愛、師弟の愛、そして、友情が良く描かれていました。アメリカの古き、良き時代の物語です。
10月20日(水)19日の午後出て、大阪には20日の午後6時に到着。時差の関係で、1日失ったわけですが、帰りは、1日取り戻せるわけです。時差を利用すると、日本で、日曜日の朝礼拝を守ってから、アメリカに飛ぶと、もう一度日曜日の礼拝を守ることができるというわけです。実際にそうして説教している牧師がいるとか、聞いたことがあります。
10月21日(木)堺で、新潟時代の友人夫妻と会いました。教会生活の悩みを語りあったことですが、今こそ、向上を目指す信徒が喜んで活躍できる教会、そして、それを導くことのできる牧師が必要なのだということを感じました。久しぶりに、同じ思いで語り合えて、うれしく思いました。
10月22日(金)姪の結婚式に出るために、しまなみ海道を通って、愛媛県に。本州と四国には、淡路島を通るルート、岡山からのルート、そして、尾道から入るしまなみ海道があるのですが、三つのルートの際南のルートを通ったわけです。はじめての瀬戸内海でしたが、「内海」と言うだけあって、島と島とが本当に近く、海は、川のように見えました。とくに、橋がかかっていると、そう感じます。宿泊する家に行くまえに、最古の鎧、兜が保存されている神社に案内してもらいました。平安、鎌倉時代、また、村上水軍の時代と髣髴とさせる、国宝、国宝級のものが展示されてありました。
10月23日(土)姪の結婚式に出ました。花嫁となった彼女を見ながら、「瀬戸の花嫁」の歌を思い出しました。カラオケの時間もありましたが、だれも、こんな昔の歌は歌いませんでした。彼女は高校生の時にダラスに、そして、最近、サンディエゴに私たちを訪ねてくれました。海外に一人旅をする勇気は父親ゆずり、骨惜しみせず、良く気がついて働くのは母親ゆずりで、両親から良いものをいっぱいもらっている、しあわせな子だと思います。
10月24日(日)朝、フェリーで三原に渡り、新幹線で広島へ。午前中広島教会で礼拝を守りました。礼拝に引き続いて、教会音楽レクチャー・コンサートがあり、パイプオルガンを生かした音楽活動の一端を見せていただきました。午後からは、原爆ドームなどを見学しました。原爆ドームはきれいに補修され、まるでミニチュアを見ているようで、原爆のすさまじさを想像するには、あまりにもきれいすぎるように感じました。
10月25日(月)広島を発って、再び大阪に。家内は、そのまま東京に。姉の家に行く前に神戸の牧師と会いました。サポートグループのことをいろいろ話し合って、車で家まで送ってもらいました。とても助かりましたが、彼には気の毒でした。夜、兄弟と一緒に夕食。みんな年をとりましたが、それでも、元気にしていました。
10月26日(火)病院と、電気街に。この大阪日本橋の電気街は、私が子どものころから歩き回っていたところです。昔のようなジャンク屋はなくなり、楽しみは半減しましたが、丸一日でも、二日でも、ぶらぶらして飽きないところです。あまり時間もないので、とりあえず必要なものだけ買って帰りました。
10月27日(水)家内と落ち合うために東京に。そして、千葉に向いました。千葉には、用があって行くはずだったのですが、それがキャンセルになりました。しかし、とりあえずは、その方面に行こうということで、広島で予約を入れておいたホテルに向いましたが、それがすごい嵐に。このことは、また後で。
10月28日(木)友人がわざわざホテルまで来てくれ、いっしょに、銚子の醤油工場を見学してきました。おみやげに醤油を貰ってきましたが、アメリカまで持ってかえるわけにいかず、代わりに、だしパックを買ってきました。この醤油会社は、アメリカにも工場を持っています。私たちが、こちらの Costco で買ってくる醤油は、アメリカ製かもしれません。しかし、日本で売っている醤油の原料は、結局アメリカ、中国からですから、どこで作ったものでもあまり変わらないでしょうね。醤油づくりの鍵ことばは「時間」だと、説明で聞きました。六ヶ月、寝かせた「もろみ」から醤油は作られます。人間も、芸術も、技術も、時間をかけなければ「おいしいもの」は生まれないのですね。
10月29日(金)やっとサンディエゴに。日本行きは12時間、帰りは成田からでしたので、9時間。もうすこし、早いといいのですが。娘に迎えにきてもらい助かりました。
10月30日(土)明日から、夏時間(Daylight Savings Time)が終って、標準時にもどります。休む前に時計を一時間遅らせておきます。時差の変更と、この時間変更で、私の体内時計は混乱しています。
10月31日(日)ヴァケーションを取ってあるので、近くの教会に。とてもコンテンポラリーな教会でした。説教の前に沢山賛美するのですが、知らない歌ばかりで、どうも心がこもりません。古い賛美歌や聖歌を良いと思うのは、良く知っていて、そこにこころを込められるからでしょう。メッセージはとてもよいメッセージでした。ふたつあるスクリーンに、コンピュータ制御で、メッセージのアウトラインと、キーワードが出ます。今日は、ハロウィーンですので、この教会では、ハロウィーン代替のフェスティバルをします。ハロウィーンもそうですが、今日が宗教改革記念日であることは、一つも触れられませんでした。コンテンポラリー・チャーチの弱いところは、歴史や伝統を重視しないことでしょうか。それを重んじつつも、常に新しい教会、そういう教会を、私は目指したいのですが。
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