USA Diary

January, 2006

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1月1日(日)新年、あけましておめでとうございます。神さまの祝福が豊かにありますよう、お祈りいたします。元旦が日曜日、しかも、明日、メモリアル・サービスがあるというので、午後から再び教会に戻り、夜7時30分まで準備をしていました。今年はお正月をのんびり過ごすというわけにはいきませんでしたが、メモリアル・サービスの準備を通して、神さまは多くのことを教えてくださり、とても恵まれた準備のひとときを持つことができました。
1月2日(月)今日のメモリアル・サービス、雨の中でしたが、心からの愛をもって参列してくださった方々、また、奉仕をしてくださった方々によって無事に終えることができました。ご家族の方々にも喜んでいただけたと思います。ただ、お花を用意してくださった方によると、この時期は、クリスマス・シーズンに亡くなられた方のお葬式が多いうえに、お花がほとんど、ロスアンゼルスのローズ・パレードに行ってしまうので、お花を確保するのに大変だったそうです。ちょうど、先週の木曜日にあったメモリアル・サービスのお花が残っていたので、それも使って、とてもきれいにステージが飾られました。
1月3日(火)お正月が終わりました。アメリカでは「お正月」というものが無くて、たいては2日から仕事です。私も、明日から始まる聖書の学び会のための準備に忙しくしていました。教会で使っている教材の多くは、私のオリジナル教材です。もっと時間をかけて作りたいのですが、たいていは期限に追われながら作っています。実際に使っていただきながら、改良を重ねていきたいと思っているのですが、それもままならない日々を過ごしています。
1月4日(水)今日から、教会のメンバーの何人かがニュージランドに行きます。その国に残された自然を楽しむためにいきます。そのうちの何人かは健康を気遣っていましたが、聞くところによると、ニュージランドでは旅行者が怪我をした時など、治療費は国が支払ってくれるということだそうです。ニューランドでは、出産にかかる費用はすべて国がカバーしてくれるとか。「だって乳児ランドでしょ。」という冗談かというと、そうではなく、本当の話らしいです。
1月5日(木)早くも、納税申告書が届きました。4月15日が締め切りで、私はいつも締め切りギリギリに書類を送っています。「今年こそは早く。」と思っているのですが、今年はどうなるでしょうか。
1月6日(金)日本からの年賀状がいくつか届いてきます。お年玉つきの年賀状を見ると、長いこと味わっていない日本のお正月の雰囲気が伝わってくるようです。
1月7日(土)明日から郵便料金が値上がりします。手紙が 37セントだったのが 39セントになります。新しい切手の発売が始まりました。郵便料金はじわじわと上がっていますが、それでもアメリカの郵便は世界的に見て安いと思います。なんでも民営ののアメリカですが、郵便は政府の仕事です。日本のように郵便の民営化という声はあまり聞きません。
1月8日(日)礼拝の後、一時間ほどかけてウォールナッツ・クリーク教会で行われた新年聖会に行きました。去年から、男性の会のメンバーに「みんなで行きましょう。そこで他の教会の男性とまじわりを持ちましょう。」と声をかけていたのですが、結局、出席したのは、毎年参加する人たちばかりで、とても残念でした。私たちが、ベイエリアでの男性のまじわりを呼びかける前に、他の教会が呼びかけてくださいました。先を越されたような形になりましたが、それでも、私たちが願っていたことが実現の運びとなり、うれしく思いました。
1月9日(月)家内が検査のため、断食をし、下剤を飲むことになりました。近くの薬局で買った時、一本 3ドル以上もしたのですが、病院の薬局では、1ドル少しで売っていました。あまりにも値段が違うので、損をしたような気になりました。同じ検査は、私も以前医師からするように言われていたのですが、時期を逸してしまいました。いずれ、私もしなければならないので、その時は病院の薬局で買うことにしましょう。
1月10日(火)郵便料金が上がりましたが、まだ古い切手がたくさんありますので、差額となる 2セント切手を買いに行きました。郵便局は、私と同じように 2セント切手を求める人で長い列ができていましたが、切手だけを売ってくれる窓口が開いたので、あまり待たないで買うことができました。
1月11日(水)私たちの教会で、「宣教大会」というのをやります。宣教委員会でいろいろ準備をしていて、私はそのためのウェブページを作りましたが、手直しを頼まれていました。今まで、ずっと忙しくウェブページに手をつけることができないでいましたが、明日は宣教委員会がありますので、それまでになんとかしておこうと、頑張ってページを完成させました。
1月12日(木)ドアのチャイムが鳴りました。出て見ると、若い女性が立っていて、「私はコミュニケーションの勉強をしています。」と話しだしました。いろいろしゃべるものですから、「そんなに私に話しかけるのは、コミュニケーションの勉強のためですか。」と尋ねると、「ブック・ドライブをしています。」と、寄付を求めてきました。よく分からないところに寄付をしたくはないので、お断りしましたが、彼女にとっては、断られたとしても、それもまたコミュニケーションの勉強になるのかもしれません。
1月13日(金)クリスチャンのシンガー・ソング・ライター、山口博子さんを日本から迎え、白百合会の集まりをしました。「日本から迎え」と書きましたが、彼女に話を聞いてみますと、昨年末からずっとアメリカにいらしたそうです。彼女も日本のお正月をミスされたわけですね。
1月14日(土)「友よ歌おう」という歌集を知っている人は、かなりの年代の人たちだと思いますが、その作者、山内修一さんをわが家に迎えました。家内のかつての同僚だった人で、同僚のよしみというは、何事も包み隠さず話せるようで、私の娘も交えて楽しい会話が続きました。
1月15日(日)山内修一さんに、礼拝では「ドロローサ」を、午後行われた、ある方の送別会では「忘れないで」を歌っていただきました。作者による賛美には、心に届くものがありました。
1月16日(月)久しぶりの庭仕事をしましたが、土があまりにも濡れていて、仕事になりませんでした。日照りの続いたあとは、地面が固くて骨が折れますが、雨続きのあとは、土は軟らかいのですが、それをふるいにかけられません。ちょうど良い湿り具合いの注文をつけるのは、贅沢なのでしょう。
1月17日(火)エクアドルで殉教した五人の宣教師の物語が映画になり、近々公開されるようです。"End of the Spear" という題です。映画の評によりますと、ストーリや映像の作り方については、あまり褒められてはいませんでした。けれども、実話に基づいた話なので、見てみたいと思っています。
1月18日(水)今日は、明日の執事会のための書類をいろいろ書いていました。英語の書類を用意するのは、骨が折れますが、どうしても、お伝えしなければならないことがあり、心を込めて書きました。視点が違うと結論も違ってきます。どこまで私の視点について分かっていただけるように書けたかどうか心許ないことですが、とにかくは用意したものを提出してみたいと思っています。
1月19日(木)久しぶりに、シニア・グループ、Go Go Plus の集まりに出ました。私は一月生まれなので、お誕生日のお祝いをしていただきました。床屋さんい行かなければ思いながら、ずっと行けなかったのですが、今日やっと散髪に行くことができました。鏡に映る私の髪がとても薄く、灰色ががっているのには、見るたびに寂しく思います。
1月20日(金)昨年末亡くなられた方の納骨式をしました。彼女が生前、場所を選んだようで、サンノゼのダウンタウンを見渡すことのできる、見晴らしの良い場所でした。大勢の友人、知人が来てくださいました。私は、良く名前が知られていて大勢の人が集まるメモリアルサービスよりも、たとえわずかでもその人を慕って人々が集まるもののほうが好きです。その人の業績よりも人柄、名前よりも人格がもっと大切だと思っています。
1月21日(土)今週は、とても忙しく、礼拝メッセージの準備が、土曜日の夜遅くまでかかってしまいました。今、とても難解な聖書を学んでいますので、なんとか分かりやすくと心を砕いています。分かりやすい話をするコツは、分かりやすい主題を選ぶことですが、それでは、聖書の真理を伝えることができません。聖書の難解な主題を避けないで、それを解き明かすのが、私たち牧師の努めだと思っています。
1月22日(日)きのうとはうってかわって暖かい日になりました。ニュージランドに旅行に行っていた方々も帰ってこられ、手術を受けた方も元気になって礼拝に出てこられ、今日は結構座席の埋まった礼拝となりました。
1月23日(月)今日は、家内のプロジェクトのため一日を費やしました。新しく買ったコンピュータ用のプリンタがうまく動いて、とても気を良くした一日でした。ある牧師が「日曜日は主に仕え、月曜日は妻に仕える日です。」と言いましたが、家内のプロジェクトはこれで一段落つきましたので、次は、私の著作計画のほうに専心していきたいと思っています。
1月24日(火)明日の集会のために、ソーシャルホールの椅子を片づけ、テーブルを出しました。外は良いお天気で暖かく、暖房を入れなかったため、オフィスが寒かったのですが、体を動かしているうちに、暖かくなってきました。この仕事をしながら、「そういえば、サンディエゴでも、毎週水曜日のシニア・ランチのために同じようなことをしていたなぁ。」と、かつてのことを懐かしく思い出していました。
1月25日(水)最近開腹手術をした方が手術後間もないのに、夜の祈り会に、再び出席するようになりました。若い方なら、あまり驚かないのですが、なんと 88歳の男性ですから、神のいやしの力を目の当たりに見て、神をあがめています。
1月26日(木)講師をお招きしての集会が午前と午後の二回ありました。この講師といっしょにいらしたひとりの方が、「画家ですが、画家では食べていけないので、いろんな仕事をしながら、伝道者となる勉強をしています。」と話していました。以前、イラストレータの方に、私の似顔絵を描いていただいたのですが、あれから長い年月が経って、髪の毛もかなり薄くなり、新しい似顔絵が必要かなと思っていましたので、彼に、似顔絵を描いていただこうと思ったのですが、時間がなく出来ませんでした。残念でした。
1月27日(金)今年も、もう一ヶ月が過ぎようとしています。もっと本を読み、聖書を深く学びたいと思いながら、なかなかできないでいます。現代は、人々が「軽い」話を好みますので、牧師たちには、聖書を深く学びそれを伝えるよりは、人々にとっつきやすい話をして終わってしまおうとする誘惑があります。そうすると、聴衆のレベルがあがっていきませんから、ますます、人々が耳障りのよい話を求め、牧師は、聖書をストレートに語れなくなってしまいます。私は、神のことばを語るとはどういうことなのかをいつも考えていますので、こうしたことをどうしたら良いだろうかと悩むことが多くあります。
1月28日(土)サンホゼに来てから勉強することも、学んだことをまとめることもなかなかできませんでしたので、サバティカルをとることにしました。教団で七年働いたなら、三ヶ月のサバティカル(研究休暇)をとることができます。最初の七年の時はとりそこねましたので、今年の夏、サバティカルを取ることにしました。
1月29日(日)一月の最後の日曜日は「スーパーボール・サンデー」です。フットボールが国技のようになっているアメリカではとても大切な日です。アメリカの教会では、この日の午後は決して予定を入れません。もし、何かするとしたら、礼拝後、みんなで集まりフットボールをビッグスクリーンで観戦します。私は、アメリカにいながら、フットボールの見所がわからず、フットボールの試合を観ることはありませんし、明日、ロサンゼルスに出かけますので、それまでにしておかなくてはいけないことがたくさんあって、夜遅くまで仕事をしていました。全部終わらなかったので、残りは明日の朝にします。車ででかけますので、少々時間の融通がききます。飛行機に乗るのも、空港への行き帰りや待ち時間など、結構時間がかかります。6時間以内で行けるところなら、車のほうが気楽でいいです。ロサンゼルスなら、車を満タンにしていけば行けますので、ガソリン代は、片道だいたい 35ドル、往復でも 70ドルですから、飛行機よりも安くつきます。
1月30日(月)今日からロサンゼルスで牧師リトリートがあり、車で出かけました。他の牧師の車に乗せてもらうことになっていたのですが、彼の予定が変わったため、ひとりでドライブすることになりました。ロサンゼルスに近づくに連れてどんどん気温が上がって行き、途中でジャケットを脱ぎました。いつもながら、北カリフォルニアと南カリフォルニアの温度差を感じています。
1月31日(火)リトリートの期間、自由時間があったので、施設の裏山にあるトレイルを歩きました。滝が見られるかと思って、今回は沢歩きをしましたが、滝を見ることができませんでした。次回は尾根歩きをして、展望を楽しみたいと思っています。蛇などが出るかもしれないと言われていたので、杖の替わりに傘を持って歩きました。来年はウォーキング用の杖を用意してこようと思います。
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