USA Diary

January, 2002

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1月1日(火)新年あけましておめでとうございます。こちら、サンホゼは、穏やかな日和で、ゆっくりとお正月を楽しんでいます。昨日、今日は、「紅白歌合戦」や「聖徳太子」といった日本のテレビがありましたが、コマーシャルばかりで、その合い間に番組があるというかんじでした。でも、知り合いの方が「コマーシャルに出るから観てね」というので、コマーシャルも真面目に観てしまいました。
1月2日(水)ある方を病院にお訪ねしましたが、病院の職員の方との打ち合せがあって、すぐに面会できませんでした。それで、同じくその方を訪ねてくださったご夫妻とチャペルに行って祈りの時を持ちました。ここはカトリックの病院で、大きなチャペルがあります。クリスチャンの病院でなくても、たいていの病院には、チャペルがあり、身体とたましいとの両面から医療に取り組もうとしていることは、良いことだと思います。
1月3日(木)多くの方々からクリスマス・カードや年賀メールなどをいただきました。動画のメールなど、せっかく送ってくださったものの中には、うまく開けなかったものや、日本文字が読めなかったものもあり、残念でした。特に、私のコンピュータは Linux で動いていますので、テキスト、HTML、あるいは PDF で送ってくださると有難いのですが。
1月4日(金)家内の詩がロスアンゼルスの新聞の文芸賞に、毎年入選し、喜んでいます。ポエム・サロンに出したものうち、実名のものと匿名のものが両方年間優秀賞に選ばれて気を良くしています。他にも、随筆や俳句などもあります。入選作品を少し読みましたが、アメリカにいる日本人は数多くはないのに、こうして、みなさんが日本語を大切にしていることに感心しました。
1月5日(土)夕方、教会に、新年の標語の掛け軸をつける準備に行きました。教会のメンバーの方が「どちらかを選んでください」と毛筆で二枚書いてくださったのですが、どちらも素晴しい出来栄えで、二枚あるのなら、半年したら貼り変えようかなとも思っています。
1月6日(日)午後、恒例の新年聖会。サンロレンゾ教会まで出かけました。サンタクララからも何人か参加しましたが、いずれも高齢者組で、若い人たちの参加が、全体としても少なかったのは、すこし寂しく思いました。でも、素晴しいメッセージと、サンロレンゾ教会の皆さんの暖かいもてなしに、満足した一日でした。
1月7日(月)今日は、用があって、サンホゼのジャパンタウンに行きました。月曜日ということもあってでしょうか、少々寂しい感じがしました。ロサンゼルスでは、若者たちを登用して日本町の活性化をはかっているようですが、サンフランシスコやサンホゼでは、どのように取り組んでいるのでしょうか。
1月8日(火)今朝はウォールナッツ・クリークで、夜はサンロレンゾでミーティングがあり、サンホゼから行ったり来たりの一日でした。でも、夜は、いつも車を運転してくださる兄弟に乗せていただいたので、楽をさせていただきました。帰りの者中で彼と話がはずみ、フリーウェーの乗換をミスしてしまいましたが、次でのフリーウェー・ジャンクションでは間違いなく乗換えることができました。私も、話に熱中すると、しょっちゅうするミスですが、ベイエリアはなんといっても狭いので、すぐにもとに戻れるのは有難いです。「月がとっても青いから、遠回りして帰ろう」という歌がありましたが、今晩の月が青かったかどうか、覚えておりません。
1月9日(水)公衆電話は、最初25セントでした。それがいつの間にか35セントになり、今日、かけようとしたら、50セントになっていました。もっとも、公衆電話からかける時はコーリング・カードを使い、それが月々の電話料金の請求に含まれるようになっていますが、コーリング・カードでどれぐらいチャージされているか調べてみましょう。日本ではまだ10円でかけられるのでしょうか。それとも、携帯電話の普及で公衆電話は姿を消しつつあるのでしょうか。
1月10日(木)今日から、教会の日本語教室がはじまりました。サインアップされた生徒さんはほとんど出席し、良いスタートをきりました。英語を話す人は音に敏感なのでしょうか、「です」(desu)が、des と聞こえることがあり、それは、どう違うのかという質問もありました。明日は中級クラスもあります。中級クラスでは、教師のほうが質問攻めでタジタジということにならなければいいのですが。
1月11日(金)郵便局に寄りましたら、2001年の税金の申告書が積み重ねてありました。4月15日が締め切りなのですが、「もう、そういう時期になったんだなぁ」と思いながら、必要と思える分をもらってきました。毎年、早めにやろうと思いながら、ついついぎりぎりまでかかってしまいます。教会や銀行からの書類が届き次第、今年こそ早く申告しようと思っています。
1月12日(土)月曜日から遠出しますので、車にガソリンを入れたついでに、タイヤのエアを確かめようと、ポンプのところに行きますと「カリフォルニアの新しい法律によって、ガソリンを買った人は、無料で、このポンプを利用することができるようになりました。」と書いてありました。そういえば、以前はコインを入れないと動かないポンプがありました。しかし、カリフォルニアの法律が、こんな細かいところまで気配りしてくれているのは有難いですね。
1月13日(日)教会の前の道路がいつも工事をしていて、工事の車が教会の駐車場を使います。そのせいだけではないと思いますが、へこみができてしまい、そこを埋めて直さなければならないのですが、なかなかその段取りがつきませんでした。道路を舗装した残りでそれを埋めてくれないかと、英語部の牧師が工事の人にかけあってくれました。「いいよ、やってやるよ。」という返事だったのですが、さて、本当にやってくれるでしょうか。明日から留守にしますので、帰ってきてからのお楽しみですね。
1月14日(月)今日から、ロスアンゼルス近郊で、牧師リトリートがあり、朝早く出かけます。USAダイアリーは、帰って来てから掲載することにして、取りあえず、1月1日から14日分をアップロードして出かけることにします。
1月15日(火)牧師リトリートの会場は、ロスアンゼルスからかなり外れた山あいを切り開いてつくられたところでした。私たちが使ったのはごく最近できたばかりの施設で、まだ外灯が整っていなくて、外に出ると真っ暗です。しかし、その分、夜空がきれいで、サンディエゴでもサンホゼでも見ることのできなかった星空を楽しむことができました。星座表を持っていったのですが、星座表以上のたくさんの星が輝いていて、どれが星座表の星だか分からないぐらいでした。
1月16日(水)リトリートに来たら、せっせと歩こうと思ってきたのですが、今日はスケジュールが一杯で歩く時間がありませんでした。大勢で食事をするからでしょうか、運動量のわりにはたくさん食べてしまいました。
1月17日(木)朝、車の中のものをチェックしたら、置いてあったボトルの水が凍っていました。それほど、ここは寒いところですが、そのかわりスモッグもなく、とても新鮮な空気で、良い日を過ごしました。予定よりも少し早く終わったので、まだ明るいうちに山を降りることができ、助かりました。
1月18日(金)臨終間近いFさんのことを、ロスアンゼルスにいる間中、気にかけていたのですが、今日午後、ご自宅に訪ねることが出来ました。しかし、家に帰ってきてからすぐに、彼女が亡くなられたとの電話がありました。家内とふたりで「間に合って良かったね」と話しあいました。賛美をし、みことばを読み、祈り、彼女を天に送ることができたのは、悲しい中にも、慰めとなりました。
1月19日(土)明日は、礼拝と婦人会の両方でメッセージをしますので、今日はその準備で終わってしましました。来週執事会に出す報告書は、間に合わず、その日に配ることにしました。車を洗わなければいけないし、床屋にもいかなければならないし、銀行にも用があります。今週はずっと出かけていた分、忙しくしています。
1月20日(日)亡くなられたFさんのメモリアルサービスの打ち合せに、彼女の家まで行ってきました。車で20マイルのところですが、サンホゼ市内では見られないのどかな所です。彼女の家の窓から、小川に水鳥が泳ぎ、グースが飛んでいるのが見えました。彼女はその余生をここでゆっくりと過ごしたかったのでしょう。しかし、今は、ここよりももっと素晴しい御国でやすらいでいることと信じます。
1月21日(月)今日は、歯医者の予約があって二本治療しました。しばらく麻酔が残っていて、口唇と舌の感覚がありませんでした。今日は私の誕生日で、夕食に招かれているのですが、さて、せっかくのお食事をおいしくいただけるでしょうか。
1月22日(火)先週は牧師会のためにオフィスにいませんでしたので、いろんなことがたまってしまってしまいました。ひとつひとつ片付けていくだけでもすぐに時間が経ってしまいます。少し余裕を持ってやったほうが良い仕事ができるのですが、随分やりかけの仕事があるので、当分、追いかけられてやる仕事になるでしょう。
1月23日(水)この間は家内のドクターが、今日は、月曜日に見てもらったデンティストが「大丈夫か」と電話をしてくれました。きちんとフォローしてくださる親切なドクターやデンティストに出逢えてうれしく思っています。
1月24日(木)私たちの教会では、英語礼拝も日本語礼拝も同じ会堂でしていますが、今、英語礼拝と日本語礼拝のインターバルが15分しかありません。英語礼拝の方々は日本語礼拝の人々に追い出されるかのように感じ、日本語礼拝の人たちは英語礼拝の人たちが早くソーシャルホールに移ってくれればと思っているかもしれません。他にも色々な不都合があって、今晩の執事会で話を始めましたが、お互いに相手のことを思いやる意見が出ました。神様の祝福によって大勢の人々が教会に来てくださり、そのための問題なので、積極的な解決に導かれればと祈っています。
1月25日(金)今日は午前、午後とM先生をお連れしての家庭集会でした。私は、明日のメモリアル・サービスの仕度もあるので、午後の集会は、先生のお話が終わったところで退席しました。
1月26日(土)亡くなられたFさんのメモリアルサービスをしました。60名くらいの出席しか見込んでいなかったのですが、80名以上はいらしたでしょうか、部屋に入り切らないほどの人で、外に立っていらしゃる方もおおぜいいらっしゃいました。彼女のいたコミュニティはリタイアされた方々が住んでいるところで、それぞれ、亡くなられた方のために優しい言葉をかけてくださいました。私は、彼女が亡くなられる前に、イエス・キリストを受け入れられたことをお話ししました。
1月27日(日)午後1時ごろから伝道委員会があって、昨日あった伝道セミナーなどの反省をしました。伝道委員長は、「家族との約束があるので40分くらいで終わりましょう」と言いながら、実際に伝道委員会が終わった時には午後3時30分は過ぎていました。奥さんに叱られなければいいなと思いながら、彼を見送りました。
1月28日(月)手塚治虫のアニメ「メトロポリタン」が来ているというので、夕方観にいきました。懐かしい手塚漫画のキャラクターが沢山出てきました。ダウンタウンで食事をしましたが、座席がドアの側で、寒い思いをしてしまいました。今日は特に寒い日でした。
1月29日(火)娘のことで、ミーティングがあり、午後早くオフィスを離れました。ミーティングは、なごやかに持たれ終わりました。
1月30日(水)寒い日が続いています。冷たい空気が入りこんでいるらしいです。私は、バプテスマの準備クラスを自分の部屋でしていたので、そうでもなかったのですが、広い礼拝堂の脇でクラスを持っていた人たちは、とても寒かったそうです。
1月31日(木)バス停についている宣伝板に、行方不明になった人を捜す団体の宣伝がありました。行方不明になった人の顔写真が、宣伝のチラシと一緒によく入ってきますが、そういうものがどれだけの効果があるのかなと思いながら家に帰りました。しばらくしてからドアのベルが鳴ったので出てみたら、行方不明のこどもを捜す団体の人で、寄附をしてくださいというものでした。それで、質問してみたら、こどもの場合、50%ぐらいは顔写真のチラシで見つかっているそうです。質問した手前、寄附をさせてもらいました。
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