USA Diary

January, 1999

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1月1日(金)元旦、サンディエゴは晴天。とても温かい日でした。今日は郵便はお休みのはずなのに、郵便が来ました。日本からのエクスプレス・メールです。「インターネットの七つ道具」で紹介しました WZ Editor の新しいバージョン、4.0でした。早速インストールしてみました。いままでとまったく違うユーザー・インターフェースで、まだとまどいながら使っています。そのうち、使用感を書きます。
1月2日(土)アメリカでは、元旦以外は休日ではないので、2日からすぐに仕事がはじまります。でもきょうは土曜日なので、三が日が休日となりました。学校も月曜からはじまります。我が家の娘も今朝の飛行機で学校に戻りました
1月3日(日)今日は、礼拝の後、教会でお雑煮をいただきました。教会の婦人たちが150人分用意してくれました。材料はアメリカのものですが、味は日本の味でした。
1月4日(月)今日は庭仕事をしました。いつも、いまごろは雨が降って庭も緑になるのですが、今年は雨がなく、困っています。
1月5日(火)次期大統領選挙にドール女史やブッシュ・テキサス州知事が出るのではないかといううわさがあります。ある雑誌では、インターネットの時代なのに、いまだに、大統領を選ぶのに、まず各州の選挙人を選んでからするという、まわりくどいことをしていると批判していました。でも、「オンライン投票」で決めることはできないでしょうね。ただ、一人の人を決めるのに、あまりにもお金がかかりすぎ、それが大統領のスキャンダルの温床になっているかもしれません。なんとか改められないものでしょうか。
1月6日(水)今日は今年最初の祈り会。年頭に与えられた聖書のことばを発表しあって、カードに書いたものを壁にはりました。
1月7日(木)日本でまた毒物を使った事件が起こりました。アメリカでも、毒物を郵送しようとした人が捕まったということを、去年、聞いたことがありますが、あまりニュースでは、そういったことを耳にしません。アメリカではドラッグのことは日常茶飯事だからニュースにならないのか、それとも、日本が異常なのでしょうか。
1月8日(金)アメリカで、一番教会への出席率の高い州がルイジアナで二人にひとりは教会に行くそうです。一番低いのがワシントン州で、30%を切っていると、最近のギャロップ調査の結果が報道されていました。南部と西海岸の違いがよく表われています。もっとも、この数字は、結婚式やお葬式以外に教会に行ったということで、年に一、二度だけの人も含まれていますから、毎週教会に行っている人のパーセンテージはもっと低いでしょうね。
1月9日(土)ウェスト・ロスアンゼルス教会で新年聖会。南カリフォルニアの諸教会から人々が集まって、ともに聖書のメッセージに耳を傾けました。私たちは、この新年聖会、春の宣教大会、そして夏の修養会と、すくなくても年に三回、他の教会と交わりの時があります。個人でも、団体でも、自分たちだけに閉じこもると、何も啓発されるところがなくなります。他と交わることはとても良いことだなと思いました。
1月10日(日)国際飢餓対策機構(Food for the Hungry)の神田英輔先生からお話を聞きました。宣教師を締め出している国がここ十年で倍増して七十数カ国あるそうです。しかし、そういった国も、Food for the Hungry のボランティアは受け入れてくれます。ボランティアたちは、肉体の糧だけでなく、「いつまでも残る」信仰と、希望と、愛を携えて、そうした国々に出かけています。今朝、神様が私たちの目を新しい分野に開いてくださり、感謝しました。
1月11日(月)家族で Prince of Egypt を見に行きました。聖書の「出エジプト記」をアニメーションにしたものです。もちろん脚色はありますが、聖書のメッセージをみごとにとらえており、とてもよくできたムービーだと思いました。神様が苦しむものを決して御見捨てにはならない、そんなメッセージを私は、心に深く刻むことができました。
1月12日(火)ラジオのニュースで、病院の薬局で働いているロボットのことが放送されていました。薬のビンのバーコードを読みとって登録する機械ですが、「無遅刻、無欠勤で、文句もいわずに一日十八時間も働いてくれる、最も優秀な従業員である」と言われているそうです。しかし、文句を言う人も職場では必要で、「文句」によって働く環境も少しは良くなるのではないでしょうか。本当の意味で働いているのは人間で、機械は動いているだけなのですから。
1月13日(水)昨日は、ロボットの話を聞きましたが、今日はテレビ・ニュースで、アメリカ人は、テクノロジーの発達のおかげで、一世代前よりも一時間余分に余暇を楽しめるようになっていると言っていました。しかし、そのテクノロジーが私たちを忙しくさせて、増えた余暇を味わうことができないでいるとも言っていました。どこへいっても携帯電話でオフィスとつながっている、これでは、余暇を楽しむどころではないですよね。現代のテクノロジーは、遠くの人との通信に貢献しても、身近な人とのまじわりをかえってさまたげているのかもしれませんね。
1月14日(木)テクノロジーと人間性の話の続きですが、今ごろは、赤ちゃんもコンピュータを使うようになり、赤ちゃんの知能開発のソフトまであるそうです。そういえば、近いうちに、赤ちゃんに大人並みの能力を持たせ、大騒ぎが起こるという映画が公開されるそうですが、知能重視の子育ては正しいのでしょうか。子どもをひざの上に抱き、本を読んで聞かせる教育が最高であると、専門家は言っていますが。
1月15日(金)今週から郵便料金が32セントから33セントに値上がりしました。十年前は、20セントでしたから、じわじわと物価が上昇しているのを感じます。郵便局に行くといつもより長い列ができていました。今までの32セント切手を持っていた人が1セント切手を求めてやってくるのですが、1セント切手を作るのに1セント以上かかってしまうのでしょうか、今回は差額切手が出回っていません。郵便局の入り口に「1セント切手はありません」と張り紙があるのに、長い列をさんざん待ったあげく、窓口で「1セント切手はありません」と言われて帰っていく人を何人も見ました。
1月16日(土)今日、教会で結婚式がありました。おふたりとも再婚で中年のカップルで、こどもたちもそれぞれ成人してちいさな孫たちにも祝福されて、とてもしあわせそうでした。こどもさんの結婚相手はみな白人で、孫たちはブロンドで青い目。おふたりは日本人で、着物姿での結婚式。それに琴の音楽。でも、誓いのことばは英語。まったく、日米ふたつのものがいりみだれて、こんな光景をはじめて見る人には、奇妙に写ったかもしれませんが、在米の日本人には、すこしも奇妙ではなく、二つの文化が溶け合った、楽しい結婚式でした。
1月17日(日)13日に引退発表したマイケル・ジョーダンのことが話題になっています。彼の引退発表の日は、殉職したシカゴの警官の葬儀の日でもありました。マイケルも「今日は、わたしだけの日ではない」と言って、殉職した警官に哀悼の意をあらわしていました。自分の話題で話を独占したい人が多い中、彼の態度は立派でした。さすがにスポーツ界のヒーローです。
1月18日(月)今日はキング牧師の誕生日を記念してお役所はみなお休みです。キング牧師もアメリカのヒーローです。私がいつも通っているフリーウェーも、彼の名を取って、「マルチン・ルーサー・キング・ジュニア・フリーウェー」と名づけられています。明日に向かって生きた人でした。
1月19日(火)今日は、わけがあって三つの郵便局に行ってきました。どこも長い列でした。アメリカの郵便事業は一時、赤字になったのですが、今は、もりかえしており、新しい郵便局を建て、多くの人を雇っています。最初の郵便局の職員はとてもまじめで丁寧でした。二つ目の郵便局の職員は、仕事が早く、明るく対応してくれました。三つ目の郵便局の職員は、冗談を連発して楽しく仕事をしていました。他の職員も同じようで、ここに来るお客さんも、みななごやかで、私も、私の後ろにならんでいた人なつっこい子どもと遊びながら順番を待っていました。
1月20日(水)郵便局の他に、行って待たされるのは、銀行です。ついでながら、多くの企業、団体のサラリーは週給で計算され、たいてい二週間ごとに支給されます。私もそうで、二週間に一回はペイチェックを持って銀行に行くわけです。サラリーの支給日はペイデーと言い、たいてい金曜日です。私の銀行は普段は午後5時までですが、ペイデーの金曜日は午後6時まで開いています。
1月21日(木)今日は、わたしの誕生日でした。アメリカでは誕生日をことのほか特別なものとして扱います。レストランに行っても、誕生日だと言えば、デザートを無料で持ってきてくれます。まわりのお客さんも拍手をしてくれます。日本では、誕生日というと、小さな子どもだけのものですが、こちらでは、何歳になっても誕生日は祝います。あまり年齢のことを言いたくない人は、適当に若い年齢を使っています。我が家では日本式に、25歳以上の誕生日は祝わないことになっており、皆25歳以上、年をとらないことになっています。
1月22日(金)私の銀行にヴェッキーさんという人がいます。彼女は、このあたりで一番大きな教会のメンバーで、彼女の窓口に当たったときには、そこの教会の牧師のことを話します。彼女の教会の牧師はガンなので、そのために祈ってほしいといつも言います。自分の教会や牧師を誇りに思うことは素晴らしいこと、多くのメンバーに敬われ、愛されている牧師は幸いですね。彼女と「ゴッド・ブレス・ユー」と挨拶を交わして帰る時、心温まるものを感じます。
1月23日(土)今日は、教会のリーダーシップトレーニングの講師に、M先生を招きました。ミーティングが終わってから、「カリフォルニア宣教の原点」にお連れしました。サンディエゴ・ミッションです。フランシスカンの宣教師たちが数々の苦難をへて、サンディエゴからはじまってサクラメントにいたるまで次々とミッションを建てていきました。今日は土曜日ということもあって、大勢の見学客が来ていました。
1月24日(日)今日も、M先生にメッセージをお願いしました。礼拝の後のミーティングでは、話しながら宙返りしたりしたので、びっくりしました。還暦を迎えたとは思えないほど、元気な人です。
1月25日(月)久しぶりの大雨です。家内が買い物があるからと、雨の中、出かけました。さすがに、行った時にはパーキング場も空いていましたが、帰りには混みはじめていました。雨も風もなんのその、ビジネスというもの、ショッピングというものは、そういうものなのですね。
1月26日(火)英語に世界にいると、英語には訳せない日本語がたくさんあることに気がつきます。たとえば、「遠慮」というのは、英語でうまく言えません。ですから、「ノー・エンリョ」などという奇妙な「英語」を使っています。「よろしくお願いします」などというのも、訳しようがないように思えます。その言葉が表わしている概念があれば、別の言葉で置きかえることもできるのでしょうが、概念そのものが無い時にはしょうがないのです。そう言えば、「しょうがない」「しかたない」というのも、英語で表現しにくいことばですね。二世や三世の人たちは、そのまま「シカタナイ」と言っています。
1月27日(水)やっと雨があがり、朝、夕は冷え込みましたが、すがすがしい一日でした。今日はフリーウェー15を走りました。遠くに雪を抱いた山が見え、それはきれいでした。
1月28日(木)コンピュータショップに寄りました。掘り出し物があって、買って帰ろうとしたら、キャッシヤーのコンピュータがダウン。待っている時間がなかったので、品物を置いて、無料のCD-ROMだけもらって帰ってきました。私と一緒に並んでいた他のお客さんも、腹を立てて出ていました。コンピュータを売っているところがコンピュータのトラブルで客を逃がすのを「紺屋の白袴」というのでしょうか。
1月29日(金)自動車の登録は年に一度するのですが、今年3月から来年3月までの登録証がはやくも届きました。さっそく、後ろのライセンスプレート(ナンバープレート)に貼りつけました。去年までは「99」という数字のステッカーだったのですが、今年は「2000」と4桁の数字が並びました。「Y2K」がいよいよだなという実感がわきました。
1月30日(土)ロスアンゼルスの日本語新聞、「羅府新報」に私の記事が載りました。(「羅府」(ラフ)というのは、ロサンゼルスのことです。)毎年、何か書くようにと頼まれるのですが、今回の原稿は字数がオーバーしてしまい、新聞社から原稿をアレンジする係りの牧師に原稿が返送されてしまいました。直す時間もないので、私の原稿を受け取った先生に、手を入れてもらって、短くしてもらいました。おかげで、すっきりした文章になりました。これを「怪我の功名」というのでしょうね。
1月31日(日)WZ 4.0を使って一ヶ月になりました。WZ のウェブサイトから HTML編集マクロをダウンロードして使っています。ブラウザで出来あがりを確かめたり、リンク先の文書を呼び出したりするのが、アイコンのクリックひとつでできるのでとても助かっています。文書の種類ごとに違うエディタを使うのは面倒なことです。WZ で何でもできるというのは、とても作業がはかどります。
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