霊の戦い─詩篇二十篇

 詩篇20篇は戦いに出る王のための祈りのようです。敵に取り囲まれた時に、助けがあるように、そのはかりごとが成就し、勝利が与えられるようにとの祈りがあります。しかし、こうした祈りは、自分たちの思いどおりに諸国を平定できますようにとの祈りではありません。これは、たんに軍事力で敵を平らげて凱旋して帰ってこれるようにとの願いではなく、神により頼み、神のみこころを行うことができるようとの祈りです。「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。」(7節)とある通りです。

 旧約の戦争に関する記述は、新約の時代には「霊的な戦い」にあてはめることができます。霊的な敵であるサタンに立ち向かう時も、私たちは、知識という「戦車」や、道徳的という「馬」に頼ることはできません。知識も、道徳も大切なものですが、サタンの攻撃に対しては力にならないことがあります。一番確かな「主の御名」によってサタンの攻撃をしりぞける外ありません。

 信仰の生活で、人生で勝利するためには、主との関係を正しく保っていることがなにより大切です。主との関係を保つことによって、私たちは、私たちもまた「油をそそがれた者」であることを知ることができるのです。旧約時代には、祭司と、王と、預言者が油そそぎを受けて任命されましたが、今日のクリスチャンも、キリストによって、祭司、王、預言者としての油そそぎを受けているのです。そもそも「キリスト」という言葉は「油そそがれた者」という意味で、キリストを信じ、キリストの者となった「クリスチャン(キリスト者)」が油そそぎを受けていないわけがないのです。キリストによって聖霊の油そそぎを受け、神の子とされていることをしっかりと確信して立つこと、ここにクリスチャンの勝利の秘訣があるのです。