ダビデは、「わが巌」「わがとりで」「わが救い主」「わが岩」「わが神」「わが盾」「わが救いの角」「わがやぐら」と、たて続けに、主を七つの言葉で呼んでいます(2節)。ダビデは、かってサウルによって追われていた時、しばしば岩山に隠れてサウルが去って行くのを待ちましたので、「主はわが巌、…身を避けるわが岩」と言ったとき、それは実感のこもったものだったと思います。私たちも、私たちの生活の中で、神の救いをもっともっと体験して、神をさまざまなお名前で、呼ぶことができる者になりたく思います。
主がダビデを救うために降りてこられる姿が7-15節に描かれています。とくに「主は、天を押し曲げて降りて来られた。」(9節)という表現は、神が苦しむ者の叫びを聞いたなら、すぐに飛んで行って助けなければ気がすまないほどに、私たちを心にかけてくださっているということを示しています。私たちの主イエスは、神の御子であり、神とともにおられたお方であるのに、天にとどまることをよしとされないで、文字どおり「天を押し曲げて」私たちの救いのために「降りて来られた」お方です。詩篇の中にもイエス・キリストのお姿が描かれているように思います。
「主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救いだされた。彼らは私より強かったから。」(17節)というのは、興味深い表現です。私たちは、私たちを苦しめるものと戦ってはみるのですが、それが自分の手に負えないことを悟ると、やすやすとそれに降参してしまいます。しかし、ダビデは「敵が強いからこそ、私は、神の救いを信じて戦うのだ。」と言っています。ダビデはまだ若かったころ、巨人ゴリアテと戦いましたが、その時も「私は、…万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。」と言いました。敵の強さを知り、自分の弱さを知っている、だからこそ主を呼び求め、主の力を受けて、敵に立ち向かっていくというのです。そして、ダビデは信仰によって敵に勝つ力を得ました。「あなたによって私は軍勢に襲いかかり、私の神によって私は城壁を飛び越えます。」(29節)とある通りです。敵の強さにひるまず、自分の弱さに閉じこもらず、主によって強められて勝利していく、そのような信仰の生涯を歩みたいものです。