人とは何者なのでしょう─詩篇第八篇

 「人とは何者なのでしょう」(4節)というのは、人類が始まって以来、人びとの心の中にあった問いです。パスカルはこれに答えて「人間は考える葦である」と言いました。人間は河辺に生える葦のように風が吹けば折れてしまう弱い存在です。大宇宙から見るなら、とるに足りない小さなものでしょう。しかし、人間はその小さな存在に大きな宇宙を取りこむことさえできるのです。人間以外のどの生物も、宇宙を探究し、そこに働く法則を探り出そうとするもの、また、それを発見したものはありません。しかし、人間は自分よりもはるかに大きな宇宙を理解し、その中にある見えない法則を見出すことができるのです。パスカルのことばには、人間の小ささと偉大さがみごとに表現されています。

 詩篇8篇でも、人間の小ささと偉大さが歌われています。「あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星をみますのに、人とは何者なのでしょう。」と、大宇宙にくらべて人間の小ささが描かれています。けれども、ダビデの驚きは、この世界の大きさと人間の小ささの比較にではなく、神の偉大さと神のあわれみの比較にありました。「人とは何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。」この広大な宇宙とその中にあるすべてのものを創造されたお方が、この世界の何者にもまさって人間に「栄光と誉れの冠」をかぶせてくださったということなのです。(5節)

 人間のすばらしさは、この宇宙を理解しそれを探究できることだけにあるのではありません。この宇宙を創造された方を知り、想い、賛美できることにあるのです。「あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし」とあるのは、人間が、そして人間だけが「神のかたち」につくられたことを意味していると思われます。宇宙の創造者は単に偉大で、知恵があり、力があるだけでありません。人間を「心」を持ったものに造られたお方は、愛に富み、あわれみに富み、恵みに満ちておられるお方です。私たちが「たましい」を持ち「心」を持っているのは、偉大なご人格者であるお方と親しくまじわることができるためなのです。人間の素晴らしさは、神を仰ぎ見、神とまじわることにあります。ギリシャ語で「人間」は「アンスローポス」と言い「上を見る者」という意味があります。天を見上げ、月や星を見る時、その上におられる神を仰ぎ見ることができる、そこに人間の素晴らしさがあり、「人とは何者なのでしょう」という問いへの答えがあります。