忠実な管理人

小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さいことに不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。(ルカの福音書16:7)

 聖書のたとえ話には「誇張法」という文学上の技巧が用いられ、大切な真理が強調されています。たとえ話を読む時には、それをわきまえて読まないと、枝葉のことに捕われて要点を外すことになりかねません。主イエスが語られた「不正な管理人」のたとえ話は、とても面白く、意外な結末なので、これを読んだ人の中には、「なぜ、主人は不正な管理人をほめたのだろう。これは、人生は要領よくやるものだということを教えているのだろうか。」などと考える人もいるかもしれませんが、このたとえ話は、そうしたことを言っているわけではありません。このたとえの意味は、そのあとに続いている主イエスのことばによって説明されています。

 それによると、このたとえは、第一に、私たちに与えられた健康や才能、環境や財産、時間や機会などは、本来は神のものであって、私たちのものではないということを教えています。私たちは、それらのものを主から託された「管理人」にすぎないのですが、そのことを忘れて、それらがあたかも自分自身のものであるかのように考え、そのように行動してしまうことがなんと多いことでしょうか。たとえ、私たちがたとえどんなに自分の健康を気遣い、才能を伸ばし、財産を増やし、時間を有効に使っていたとしても、健康、才能、財産、時間のすべてが自分のものであり、自分のためだけにそうしているとしたなら、それは私たちに与えられている健康、才能、財産、時間の本当の持ち主である、天の主人である神の資産を乱費していることになるのです。

 第二に、このたとえ話は、私たちの地上の生涯は永遠に備えるためにあることを教えています。「不正な管理人」は、主人の負債者たちに恩を売っておいて、首になった後、彼らの世話になろうとしました。管理人は、非常にずるいやり方でしたが、その立場にある間に、その立場を利用して、出来る精一杯のことをしたのです。主イエスはずるいやり方を推奨しているわけではありませんが、私たちに、地上にある間に、神から管理を任せられているものすべてを賢く用いて、永遠に備えるようにと教えられたのです。「小さい事」とは地上のもの、「大きい事」とは天のものです。「今」の楽しみ、「この世」の成功だけに終始せず、私たちが向かっている永遠を思い、天国を目標にするようにと、このたとえ話は、私たちに語りかけています。あなたは、地上のもの、健康や才能、環境や財産、時間や機会などを、神と神の国のために使っているでしょうか。あなたは、神に対して「忠実な」管理人でしょうか。