「人生の五つの目的」をキーワードで表すと、「礼拝」(Worship)、「交わり」(Fellowship)、「弟子訓練」(Discipleship)、「奉仕」(Ministry)、そして「伝道」(Evangelism)となります。この五つのキーワードは繰り返し唱え、覚えると良いのですが、その場合、この順序どおりに覚えてほしいのです。といいいますのは、人生の目的のひとつひとつは、この順序で積み重ねられてこそ、はじめて自分のものとすることができるからです。このステップを順を踏んで登っていくことによって、私たちの人生は、神の目的にかなったものになるのです。あなたの人生が「五つの目的」に照らして何らかの問題があるとしたら、それはどこかで、どれかのステップを踏み外しているからかもしれません。
神を知り、神を愛し、神との交わりを深めていく「礼拝」という第一のステップをスキップして、いきなり教会の「交わり」に入ってきても、その交わりがキリストを土台としての交わり、神を愛するという共通の目的によって結びあわされた交わりを築いていないので、人間関係に躓いてしまうということが起こるかもしれません。
また、神の家族の「交わり」をスキップして「弟子訓練」に入ってしまうと、弟子訓練が実際の生活から浮き上がった単なる聖書の「お勉強」で終わってしまいかねません。また、他の人から学ぶことがないと、ひとりよがりになって、「私は弟子訓練を受けて成長したが、あの人は、まだまだ幼稚でだらしない。」などと、他の人を批判して終わってしまうかもしれません。そういうものは本当の弟子訓練ではありません。弟子訓練とは、知識や技能だけを身につけるものではなく、人格的に成長すること、キリストの姿に似ていくことなのです。
こう考えていくとなぜ、「奉仕」の前に「弟子訓練」があるかが、お分かりいただけるでしょう。「奉仕」で一番大切なのは「しもべの心」なのですが、このしもべの心は、私たちがキリストの似姿に近づく以外には決して得られないからです。聖書は「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」(ピリピ人への手紙2:6〜7)と書いて、キリストが、私たち人間を救うためにしもべとなってこの地上に来てくださったと言っています。キリストの姿に似ることは、キリストのしもべとしての姿に似ることなのです。私たちもしもべの姿となり、しもべの心をもって神に仕える者となりましょう。