44:1 【指揮者のために。コラの子たちのマスキール】神よ。私たちはこの耳で、先祖たちが語ってくれたことを聞きました。あなたが昔、彼らの時代になさったみわざを。 44:2 あなたは御手をもって、国々を追い払い、そこに彼らを植え、国民にわざわいを与え、そこに彼らを送り込まれました。
44:3 彼らは、自分の剣によって地を得たのでもなく、自分の腕が彼らを救ったのでもありません。ただあなたの右の手、あなたの腕、あなたの御顔の光が、そうしたのです。あなたが彼らを愛されたからです。
44:4 神よ。あなたこそ私の王です。ヤコブの勝利を命じてください。
44:5 あなたによって私たちは、敵を押し返し、御名によって私たちに立ち向かう者どもを踏みつけましょう。
44:6 私は私の弓にたよりません。私の剣も私を救いません。
44:7 しかしあなたは、敵から私たちを救い、私たちを憎む者らをはずかしめなさいました。
44:8 私たちはいつも神によって誇りました。また、あなたの御名をとこしえにほめたたえます。セラ
明日は “4th of July” です。昨年は7月4日がちょうど日曜日でしたので、特別な礼拝を持ちましたが、今年は通常の礼拝でしたが、アメリカのための特別な祈りを組み込みました。きょうの御言葉も、アメリカの歴史と重ね合わせて考えてみたいと思います。
一、独立への道のり
1492年にアメリカ大陸が発見されると、ヨーロッパの各国は競ってそこに植民地を作りました。1498年に英国がニューイングランド植民地を、1534年にはフランスがカナダ植民地を作りました。フランスはのちにルイジアナにも植民地を作りました。1620年、英国から「ピューリタン」と呼ばれた人々が、信仰の自由を求めて、アメリカにやってきました。彼らは「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれ、その人たちによって英国植民地は大きく発展しました。しかし、植民地の人口は少なく、労働力は常に不足していました。植民地の人々には本国の人たちと同じ権利が与えられず、貧しく、不利な立場に置かされていました。
そのころ、英国とフランスはヨーロッパで互いに勢力争いをしており、アメリカの英国植民地とカナダのフランス植民地の間でも、代理戦争のようにして対立が起こりました。ヨーロッパでは英国が戦争に勝ったので、アメリカでも英国の13州が東海岸を治めるようになりました。
しかし、英国王ジョージ3世は、英国が費やした戦費を13州の植民地に支払わせようとし、植民地に不利な課税や法律を押し付けてきました。13の植民地は「大陸会議」を結成し、団結して事態の解決を本国に要請しましたが、本国は、13州に圧力をかけ、軍隊を送り込んできました。そのため独立の機運が高まり、独立宣言が作られることになりました。トーマス・ジェファーソンが書いた原案が修正を経て可決されたのが1776年7月4日でした。それ以来、この日が独立記念日となりました。私たちは、2024年に選ばれる次期大統領とともに2026年に250回目の独立記念日を祝うことになります。
けれども、アメリカが実際に独立したのは、それから8年後でした。その後8年間にわたる独立戦争が続き、1783年、英国がアメリカの独立を認め、やっとアメリカが独立国家として諸外国から認められるようになったのですが、まだ憲法もなく、大統領もいませんでした。憲法が制定されたのが1787年、ジョージ・ワシントンが初代大統領になったのは1789年のことで、そのとき、やっと、アメリカは国家の形を持ったのです。
二、信仰による一歩
独立宣言が起草され、採択されたのは、英国海軍が圧倒的な力で東海岸に押し寄せてきているときでした。13州にはそれを迎え撃つのに十分な軍隊も装備もありませんでした。建国の父たちが立ち上がったのは、何らかの勝算があったからではありません。彼らは、見える現状によってではなく、見えない神の導きを信じて、立ち上がりました。
ヘブル11:1に「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」とがあります。「信仰」を定義している箇所です。もうすこし分かりやすく言えば、「思い描いたものが実現し、心の中にあって見えなかったものが見えるようになって、それが証明されること」と言うことができます。
この信仰の定義には、現代の科学に通じるものがあります。科学では、まず「仮説」を立てます。仮説を立てた段階では、まだ証拠はありません。けれども、実験や観測を重ね、計算を繰り返すことによって、仮説が正しければ、それが現実のものとなり、目に見える証拠が示されるようになるのです。
たとえば、物質の根源は「原子」であり、原子核と電子から成り立つというのですが、それを見た人は誰もありません。誰も見ることはできません。原子核は陽子と中性子からできていますが、大阪大学の湯川秀樹教授は、陽子と中性子の他に「中間子」を理論的に予測し、ノーベル賞を受けました。今日では「中間子」は複合素粒子であり、100種類もあることが知られるようになりました。素粒子加速器が作られ、高速に加速された素粒子が衝突してできる痕跡を見ることができるようになりました。理論で確信されたものが、見える形で証明されるようになったのです。
信仰も同じです。科学者たちが理論を現実化し、目に見えないものを目に見える証拠によって証明していくように、私たちは信じることによって、神の約束を実現していきます。そして、神の約束が実現して見える形になることによって、それを証ししていくのです。
建国の父たちは、そうした信仰を持っていました。その信仰によって、まだ現実のものとなっていない「独立」を、すでに得たと信じて、一歩を踏み出したのです。それが実現するまでには十年以上必要でしたが、彼らは、独立の実現を前もって確信し、その信仰によって独立が実現したのです。
その信仰は、聖書に基づく、まことの神への信仰でした。独立宣言には「われわれは以下の真理を自明であると信じる。すなわち、すべての人は平等に創造され、ひとりびとりは創造主なる神によって、常に変らぬ、他に譲り渡すことのできない、生命、自由、幸福追求の権利が含まれている」とあります。これに似た言葉は日本の憲法第13条にもあって、こう書かれています。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
しかし、独立宣言にある大切な言葉が日本の憲法にはありません。それは「創造主」です。日本の憲法にも「生命、自由、幸福追求の権利」が尊重されなければならないことがうたわれていますが、なぜ、それが尊重されなければならないのかという根拠が書かれていないのです。しかし、独立宣言には、「生命、自由、幸福追求の権利」は「創造主」である神から与えられた権利であるから、誰もそれを侵すことができないと書かれています。この「創造主」(“Creator”)は大文字で始まっており、明らかに、聖書が教える天と地の造り主、まことの神を指しています。独立宣言や憲法を起草し、採択した建国の父たちはみな、聖書が教える神を信じる人たちでした。彼らはこの神への信仰によって、独立への道を歩んだのです。
三、神への信頼
詩篇44:1〜8には、イスラエルが約束の地に根付き、国家を作り上げたことが書かれていますが、それはアメリカがヨーロッパから来た人々によって始まったのと似ています。ここには、イスラエルがカナンの地に定着したのは、神の恵みとあわれみによってであったことが歌われています。
イスラエルはエジプトで奴隷でした。神の力ある御腕によって、奴隷から解放され、約束の地にやってきました。彼らはモーセによって主の軍勢として組織されてはいましたが、軍事的には何の装備もなく、十分な訓練もありませんでした。イスラエルは荒野を放浪してきた難民のような状態でした。そんな人たちがカナンの地に入ろうものなら、たちまち先住民に滅ぼされてしまっても不思議ではありませんでした。ところが神は、イスラエルに勝利をお与えになりました。それは、まったく神のわざでした。2-3節に「あなたは御手をもって、国々を追い払い、そこに彼らを植え、国民にわざわいを与え、そこに彼らを送り込まれました。彼らは、自分の剣によって地を得たのでもなく、自分の腕が彼らを救ったのでもありません。ただあなたの右の手、あなたの腕、あなたの御顔の光が、そうしたのです。あなたが彼らを愛されたからです」とある通りです。「あなたの右の手」、「あなたの腕」は神の力を、「あなたの御顔の光」は、神のあわれみやいつくしみ、つまり神の愛を表しています。
イスラエルは、この神に信頼して勝利しました。4-6節に、こうあります。「神よ。あなたこそ私の王です。ヤコブの勝利を命じてください。あなたによって私たちは、敵を押し返し、御名によって私たちに立ち向かう者どもを踏みつけましょう。私は私の弓にたよりません。私の剣も私を救いません。」「私の弓」や「私の剣」は人間の力を表します。神の力を体験し、神の愛を知るなら、人は、自分の力にではなく、神の力に頼るようになります。そして、神に信頼する者はこう言うのです。「しかしあなたは、敵から私たちを救い、私たちを憎む者らをはずかしめなさいました。私たちはいつも神によって誇りました。また、あなたの御名をとこしえにほめたたえます。」(7-8節)
8節の最後にある「セラ」は、詩の区切りを表す言葉で、「沈黙」という意味があります。ここで、いったん歌が中断され、楽器だけが演奏されます。その間、静かに今歌われた言葉を思い返すのです。イスラエルの人々は、自分たちの歴史を振り返り、自分たちの国が、今、ここにあるのは神の力と愛によってであることを、どんなに感謝したことかと思います。
私たちも、アメリカ建国の歴史をふりかえるとき、アメリカが創造者である神の「右の手」、「力ある御腕」に支えられてきたことを知るでしょう。神の「御顔」の光が私たちを生かしていることが理解され、神の「御名」こそ、私たちが頼り、誇ることができるものであることが分かるのです。
神の「御顔」も、神の「御名」も、神の「人格」を表します。私たちに「御顔」を向けてくださるのですから、私たちも神に顔を向け、「御顔」を求めたいと思います。私たちの全人格をもって、人格をもった神にこたえるのです。詩篇27:8にこうあります。「あなたに代わって、私の心は申します。『わたしの顔を、慕い求めよ』と。主よ。あなたの御顔を私は慕い求めます。」神は、つねに、「わたしの顔を、慕い求めよ」と言われ、私たちに御顔を向けてくださっています。神の御顔から目をそらすことなく、私たちも「主よ。あなたの御顔を私は慕い求めます」とお答えしたいと思います。
独立宣言を採択した人たちは、神の御腕に頼り、神の御顔を求め、信仰によって独立を勝ち取られました。まだ、見ていない勝利を確信して一歩を踏み出すことによって、その実現を見ました。私たちも自分たちの前にある問題の解決や、困難への解決を、そうした信仰によって乗り越えていきましょう。御顔の光を求めて前進してきたいと思います。
(祈り)
父なる神さま、ごくわずかな人々から始まった貧しく小さなアメリカは、またたくまに世界で最も豊かで強い国となりました。それは、ただあなたの恵み、あわれみによります。先人たちがアメリカの将来のために築いてくれた信仰や道徳、政治や社会の基盤をくつがえそうとする力がいよいよ大きくなっていますが、そうした力に屈することなく、絶えずあなたの御顔の光を求めて、祈り続けることができるよう導いてください。主イエスのお名前で祈ります。
7/3/2022