恵みに満たされ

詩篇36:5-9

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36:5 主よ あなたの恵みは天にあり/あなたの真実は雲にまで及びます。
36:6 あなたの義は 高くそびえる山。/あなたのさばきは 大いなる淵。/主よ あなたは人や獣を救ってくださいます。
36:7 神よ あなたの恵みはなんと尊いことでしょう。/人の子らは 御翼の陰に身を避けます。
36:8 彼らは あなたの家の豊かさに満たされ/あなたは 楽しみの流れで潤してくださいます。
36:9 いのちの泉はあなたとともにあり/あなたの光のうちに 私たちは光を見るからです。

 今週木曜日は「サンクスギヴィング・デー」です。来週は「アドベント第一主日」で、新しい礼拝の一年が始まります。きょう、礼拝の一年の最後を神への感謝で締めくくることができるのは、意義深いことです。けれども、毎年、「サンクスギヴィング・デー」を迎えるとき、私は、「自分には感謝が足らない」ことを反省します。「感謝」が善いものであることを知っているのに、なぜ、感謝できないのでしょう。「感謝」と逆のもの、「不平」や「不満」にとらわれてしまうのでしょうか。感謝について学ぶ前に、それを妨げているものについて触れておきましょう。

 一、不平と不満

 「不平」と「不満」は、普通は「不平不満」といって、ひとつのものとして扱われますが、「不平」と「不満」では、すこし意味合いが違うように思います。2つに分けて考えてみましょう。 

 「不平」とは、辞書によれば、「心が平らでないこと」とありますが、「不平」の「平」は「平等」の「平」、「公平」の「平」ともとることができますので、「不平」とは、自分が正当に扱われていないことに対する憤りであるといえるでしょう。

 人は誰も、平等に扱われたい、正当に評価されたいと願っています。同じ努力をし、同じ成果を挙げたのに、女性だからというので給料が低い、肌の色が違うからといって昇進できないとしたら、不平等だ、公平ではないと、誰しも思うでしょう。また、人種が違うからといってぞんざいに扱われたり、必要なサービスを受けられなかったら、腹が立つでしょう。また、何かのグループで、出身地が違うからといって、のけ者にされたり、無視されたりしたら、どんなにつらいでしょう。みんなと仲良くするために努力しても、それが報われなかったら、人は、そこに自分の居場所がないと考え、強い疎外感を持ち、「不平」を持つのです。不平は、怒りの一種で、それによって感謝がかき消されてしまうのです。

 一方、「不満」は、必要なものが満たされていないと感じることから来るものです。経済的な必要、健康、安全、人とのつながり、そうしたものが一つでも欠けると、私たちは、不安になり、不安が恐れに変わります。「不平」は他の人に対する怒りとなり、回りの人々との関係を壊しますが、「不満」は不安や恐れとなり、その人自身を苦しめます。アメリカの精神医学会の2023年の統計によると、なんらかの不安症を持っている成人は全国民の19.1パーセントで、男性が14.3パーセント、女性が23.4パーセント、男女両方では19.1パーセントとなります。18歳以下も含めると31.1パーセントです。およそ3分の1の人が生涯のいずれかの時期に、不安症を体験していることになります。そして、その原因は不平や不満なのです。

 二、感謝による解決

 最近読んだ新聞記事に、職場での不平や不満、そこから来る怒りや不安のため仕事を続けられなくなって、しばらく仕事を休み、医者にかかった人の話が載っていました。新聞記事では、その人を仮の名前で「セレーナ」と呼んでいます。

 彼女は、職場でいろいろとストレスを抱えこんでいました。そんなとき、プロジェクト会議があって、先に彼女が提案していたものが取り下げられ、かわりにインターンのサラの案が採用されました。それがきっかけとなってセレーナの感情が爆発しました。大声でわめきちらし、サラを攻撃することを言ってしまったのです。セレーナは、ドクター・コーソンのオフィスで、今まであったことを話しました。セレーナはドクターから、怒りを抑え、不安を解消する処方薬がもらえるだろうと期待していました。ところが、ドクターが彼女に渡したのは、何も書いていない小さな日記帳でした。ドクターは言いました。「毎日、ここに感謝なことを3つづつ書いてください。これはあなたが期待していたものとは違うでしょうが、あなたにとって一番効果的なものなんですよ。」

 セレーナは、そのジャーナルを戸惑いながら受け取りましたが、問題を解決したい一心で、医者の言葉どうりにしました。それを続けているうちに、セレーナは、今までは同僚のすることにいつもイライラし、通勤が大変なことにつぶやいていましたが、徐々に同僚から助けてもらったこと、車は古いけれど、故障しないで通勤できたことなどを感謝するようになりました。感謝を数えていくうちに、同僚との関係がよくなり、イライラすることが減り、同僚といっしょに笑うことが増えました。そして、サラにも、謝ることができました。セレーナは、最初「感謝」の効果を疑っていましたが、実際に、怒りや不安が日に日に小さくなっていったことをドクターに告げると、ドクターは、感謝には、攻撃的な態度を和らげる効果があることを説明してくれました。また、幸福度が増し、うつを解消すること、さらに、体を強くし、深い睡眠を与え、心の健康を増進し、人への思いやりを増やし、ストレスを減らし、人とのつながりを広げ、知的な能力を高め、免疫を強めるなどの効用があることを説明しました。「感謝」は、神が人に与えた万能薬なのです。

 ドクター・コーソンは、こんな話もしました。ある人が古い自転車に乗って家に帰ろうとすると、ピカピカの高級車がその側を通りすぎました。その人は、その車を見て、「あんな車があったらどんなにいいだろう」と思いましたが、すぐに思い直して、「あのドライバーは、きっと車のローンでストレスが一杯だろうな。私の自転車には、お金がかからないから、楽なものだ」と心の中で言いました。

 そこに、バス停があって、バスを待っていた人がいました。その人は、その車と自転車を見て、こう思いました。「車や自転車があれば、こうしてバスを待っている必要もない。どんなに便利だろう。」同じ道路沿いで車椅子に乗った人もいて、その人は、こう思いました。「もし、私が立ったり、歩いたりできたら、バスに乗ったり、自転車に乗ったり、車を運転できたのに…。」その道路沿いに、病院があり、その病室でベッドに寝かせられた患者は、病室の窓からその情景を見て、言いました。「ああ、せめて、車椅子でもいいから、病院から出て、陽の光を浴び、新鮮な空気を吸えたなら…。」

 ドクターは、この話を説明して言いました。「もし、人が、自分に無いものを数え上げたら、きりがなく、心は不満で一杯になり、感謝は生まれないでしょう。しかし、自分にあるものを数え出したら、それこそ、無限の感謝が生まれてくるでしょう。あれが無い。これが足りない。それが欲しいのに手に入らない。そう考えているうちは、不満しか生まれません。今、自分に与えられているものを数えるなら、それが、どんなに価値あるもので、自分を支えてくれ、幸せにしてくれているかが分かるようになります。これからも、毎日、3つづつ、感謝なことを数え続けてください。」

 三、あふれる恵み

 セレーナはドクターの助けにより自分の問題を改善することができましたが、それは、心理学の力でも、ドクターの力量でも、また、彼女の努力によるものでもありませんでした。それは、神の力によるものです。人のからだとたましいを造られた神は、人は、感謝することによってより健全な心身を持つことができるように定められたのです。医学や心理学はその原則を発見し、ドクターは患者に、「感謝」という薬を処方し、患者がそれを試しました。しかし、患者を癒やしたのは神です。人を「不平」や「不満」から救うのは、神の力によるのです。

 きょうの箇所は、最初に、神の真実や義を歌っています。「主よ あなたの恵みは天にあり/あなたの真実は雲にまで及びます。あなたの義は 高くそびえる山。/あなたのさばきは 大いなる淵。/主よ あなたは人や獣を救ってくださいます。」(5-6節)この世では、真実や正義が踏みにじられています。実に、不公平です。それだけを見ていたら、私たちは、いつも「不平」を口にし、怒っていなければなりません。また、それがどんなに理想的な場所であったとしても、完全に真実で、正義が行われているところは、どこにもありません。信仰深い人々の団体でもそうです。また、そこで、ものごとが正しく行われていたとしても、人はそれぞれ、自分の基準や好みでものごとを判断しますから、それが、神の真実や正義にかなっていても、受け入れられず、不公平だと感じてしまうことがあります。

 そんな中で、私たちが感謝を持つためには、神の真実や正義に目を向ける必要があります。たとえ、でたらめな世の中でも、他の人の罪や悪のために苦しめられることがあっても、神の真実や正義までもなくなったわけではありません。それは、どんな山よりも高く、どんな淵よりも深く、存在しています。人の世で、たとえ不当な扱いを受けたとしても、私たちには、それを訴えていくところがあります。神の真実に、正義に訴え、神のさばきに任せることができます。私たちには、「主よ」と呼び求めることのできる神がおられます。地上になくても、天にある「恵み」を受けることができます。この箇所が「主よ あなたは人や獣を救ってくださいます」といって、「獣」のことまで含めているのは、神の救いがどんなに大きなものであり、全世界のあらゆるものに及ぶかを言うためです。人は獣に勝るものです。獣にさえ心をかけておられる神が人を顧みてくださらないわけがないのです。この神の真実が私たちを「不平」から救ってくれるのです。

 また、きょうの箇所には、神による「満たし」も歌われています。「彼らは あなたの家の豊かさに満たされ/あなたは 楽しみの流れで潤してくださいます。」(8節)神は、寛大なお方です。神が私たちに与えてくださる恵みは、ちっぽけなもの、必要最小限のものではありません。詩篇23には「主は私の羊飼い。/私は乏しいことがありません」、「私の杯は あふれています」とあります。羊飼いである神は、ご自分の羊たちに食べきれないほどの牧草と、飲みきれないほどの水を備えてくださるのです。ルカ6:38でイエスは言われました。「与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられます。詰め込んだり、揺すって入れたり、盛り上げたりして、気前良く量って懐に入れてもらえます。あなたがたが量るその秤で、あなたがたも量り返してもらえるからです。」枡に穀物を入れるときの仕草が描かれていますが、「詰め込んだり、揺すって入れたり、盛り上げたりして」、気前よく与えてくださるのは、誰でしょうか。神です。神は、その恵みを、100%を超えて、150%や200%にもして与えてくださるのです。神の恵みの豊かさを知るとき、私たちのたましいは、ほんとうの満足を得ます。「不満」は消え、感謝があふれるのです。

 聖書は言います。「人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。」(エペソ3:19)そして、神の「満ちあふれる」恵みを知る者は、「キリストのうちに根ざし、建てられ、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい」(コロサイ2:7)とあるように、あふれる感謝を神にささげるのです。神の恵みを数えるなら、毎日3つどころか、10も20もあるでしょう。神の豊かな恵みを数え上げ、それを口に出して、神に感謝の祈りを捧げてみませんか。神を知らない人でさえ、感謝によって、その生活が改善されるとすれば、神のあふれる恵みを受け、あふれる感謝を神に捧げる人には、どれほどの祝福が返ってくることでしょう。今年のサンクスギヴィング・デーにその祝福を体験する私たちでありたいと思います。

 (祈り)

 父なる神さま、あなたが与えてくださった「感謝」という万能薬を心からありがとうございます。あなたの真実に心を向けるとき、私たちの「不平」は止み、天から注がれるあふれるほどの恵みを受けるとき、私たちの「不満」は消えます。もし不平や不満が心に満ちることがあれば、それが、怒りや不安に変わる前に、あなたの救いと癒やしと守りを求めることができ、感謝に導かれますように。、祝福を祈り求めることができるよう、イエス・キリストのお名前で祈ります。

11/24/2024