御子に口づけせよ

詩篇2:1-12

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2:1 なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。
2:2 地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と、主に油をそそがれた者とに逆らう。
2:3 「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」
2:4 天の御座に着いておられる方は笑う。主はその者どもをあざけられる。
2:5 ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。
2:6 「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。」
2:7 「わたしは主の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。
2:8 わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。
2:9 あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。』」
2:10 それゆえ、今、王たちよ、悟れ。地のさばきづかさたちよ、慎め。
2:11 恐れつつ主に仕えよ。おののきつつ喜べ。
2:12 御子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている。幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。

 一、キリストの預言

 詩篇は、祈りと賛美の書物で、旧約時代には神殿や会堂の礼拝で、新約時代には教会の礼拝で、ほぼそのままの言葉で歌われてきました。今日も、個人のデボーションで、教会の礼拝で読まれ、祈られ、歌われています。詩篇は全部で150篇あり、とても長いので、5巻の巻物に分けて書かれています。ユダヤの人々が最も重んじている律法の書も、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の5巻から成り立っており、ユダヤの人々は、詩篇の5巻を律法の5巻のコンパニオンと考えて、詩篇を律法と同じくらい、とても大切に扱いました。

 クリスチャンの間でも、詩篇つきの新約聖書が発行されているように、詩篇は旧約の中でも一番新約に近いものとして扱われてきました。それは、詩篇の祈りや賛美が、時代や地域、また民族を超えた、普遍的なものだからです。それと同時に、詩篇にはキリストに関する預言が多くあるからです。新約聖書はイエス・キリストについて論証するのに、詩篇を数多く引用しています。詩篇のおよそ180箇所がキリストを預言していると言われているほどです。短い時間で、そのすべてを見るわけにはいきませんので、今朝は使徒の働きに引用されているところを少しだけ見ておきましょう。何箇所か聖書を引用しますが、聖書を開くのに慣れていない方は箇所だけを控えておいて、後でゆっくり読んでみてください。

 使徒の働き1章に、120名ほどの弟子たちがペンテコステを前にしてエルサレムに集まっていたことが書かれています。そのとき使徒ペテロは、イスカリオテのユダについて、詩篇69篇と109篇に「彼の住まいは荒れ果てよ。そこには住む者がいなくなれ」「その職は、ほかの人に取らせよ」とあるところを引用して、ユダの代わりの使徒を立てる必要があることを説いています(使徒1:20)。そのときペテロは、これらの詩篇の言葉は「聖霊がダビデの口を通して預言された」(使徒1:16)ものだと言っています。

 使徒の働き2章に進むと、ペンテコステの日のペテロの説教があって、そこでは、キリストの復活と昇天について詩篇16篇と110篇が引用されています。ペテロはまず、詩篇から次の箇所を引用しました。

私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。
主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。
それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。
さらに私の肉体も望みの中に安らう。
あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、
あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。
あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、
私を喜びで満たしてくださる。
詩篇16:9-11です。そして、人々に言いました。「兄弟たち。先祖ダビデについては、私はあなたがたに、確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあります。彼は預言者でしたから、神が彼の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていたのです。それで後のことを予見して、キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない。』と語ったのです。」(使徒2:29-31)この言葉のとおり、詩篇はキリストの預言であって、ダビデは詩人(poet)であるともに預言者(prophet)としてこの詩篇を書いたのです。

 次に、ペテロは詩篇110:1「主は私の主に言われた。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい」というところを引用して、キリストの昇天について論じました。このように詩篇を引用し、キリストは復活され、天に上り、父なる神の右に着いておられることを論じた上で、「ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです」とペテロは人々に語りかけました。すると、人々はペテロの言葉に心を刺され、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と、救いを求め、キリストを信じ、バプテスマを受けたのです。ペテロが詩篇を引用して語ったことがどんなに説得力があったかが分かります。詩篇は旧約時代にすでにキリストを預言していました。人々はそのことが分かったとき、聖書に基づいてイエス・キリストを信じました。ですから、その信仰が確かなものとなったのです。私たちも、何を、なぜ信じているのかを、聖書によって教えられるとき、どんな場合も揺るがない信仰へと導かれます。私は、今まで、多くの方々と一緒に聖書を学んできました。一緒に聖書を学んだ人たちが、顔を輝かせ、「今まで分かったようで分からなかったことが、今はじめて、はっきり分かりました」と話してくれたことが何度もありました。そんな時ほど、うれしい時はありません。神のことばには、人々の心の目を開く力があり、人を造り変える力があることを改めて感じました。

 二、御子であるキリスト

 ペンテコステの日に、人々はイエスがキリストであることを信じ、「イエスは主、キリストです」と言い表わしました。「キリスト」というのは「救い主」という意味です。「イエス」という名前にも「人々をその罪から救う者」という意味がありますが、「キリスト」には「神に選ばれた者」、「約束の救い主」、「世界を癒す者」という意味があります。「イエス」と「キリスト」を組み合わせて、「イエス・キリスト」と言うとき、それは「イエスはキリストです」という信仰の告白になります。「イエス」はファースト・ネームで、「キリスト」がラスト・ネームだと思っていた人も多いと思いますが、決してそうではありません。「キリスト」はラスト・ネームというよりは役職名です。プレジデント、マネージャー、ディレクターなどと同じです。聖書は、「イエス・キリスト」にさらに「主」という言葉をつけて「主イエス・キリスト」と呼んでいます。新約聖書が書かれたローマ帝国の時代には、ローマの皇帝は自らを「主」と呼び、「世界を救う者」として振る舞っていました。しかし、クリスチャンは、イエスこそ、ローマ皇帝に勝る「主」であり「救い主」であると言い表わしました。当時、「イエスは主、キリスト」と告白することは、ときには命がけのことでしたが、神のことばによって確信を与えられた人たちは、恐れることなく、「イエスはキリスト」と言い表わしました。

 また、人々は、イエスを「御子」とも呼びました。使徒4:25-26は、迫害を受けた教会が祈った祈りの言葉です。

あなたは、聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの先祖であるダビデの口を通して、こう言われました。「なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。地の王たちは立ち上がり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。」
これは詩篇2:1-2の引用で、教会を迫害することは、神の御子であるイエスに逆らうことだと言っています。

 使徒パウロは使徒13:33で、「神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。詩篇の第二篇に、『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。』と書いてあるとおりです」と言って、イエスは神の御子であって朽ちていく人間ではないと論じています。

 ヘブル人への手紙は1:5と5:5で詩篇2:7を引用しています。ヘブル1:5には

神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」またさらに、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」
とあって、神の御子イエスは御使いに勝るお方であると言われています。御使いは神によって造られたものですが、御子イエスはすべてのものを創造されたお方です。御使いは神のしもべに過ぎませんせんが、イエスは御子として御使いたちを従えておられるお方です。

 ヘブル5:5には

同様に、キリストも大祭司となる栄誉を自分で得られたのではなく、彼に、「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」と言われた方が、それをお与えになったのです。
とあって、御子イエスが父なる神の右の座に座っておられる大祭司であることが教えられています。

 キリストを表わすシンボルに魚のマークがあります。バンパー・スティッカーに使われたりしているので、お馴染みでしょう。その起源は初代教会に遡り、ローマの地下墓所にも描かれています。なぜ魚のマークなのかというと、ギリシャ語で「魚」ということばのつづりが、「イエス、キリスト、神、御子、救い主」という言葉の頭文字になるからです。初代教会は、「イエスはキリスト、神、御子、救い主」と信じ、その信仰のシンボルとしてこのマークを使いました。それから二千年たった今も、この信仰は変わりません。私たちも同じように「イエスはキリスト、神、御子、救い主」と信じ、そう告白します。それは聖書によって裏打ちされた真理であり、私たちを救う力だからです。

 三、キリストへの礼拝

 イエスが神の御子なら、私たちはどうすべきでしょうか。詩篇2:11-12 にこうあります。

恐れつつ主に仕えよ。おののきつつ喜べ。
御子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。
怒りは、いまにも燃えようとしている。
幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。
「御子に口づけせよ」とは礼拝の姿を表わします。古代の人々は最高の敬意を表わすために王たちや皇帝たちの前にひれ伏して、その足に口づけしました。今でも、そういう風習が残っているところがあるかもしれません。『人生の訓練』の著者、レイモンド・エドマン博士はホィートン大学のチャペルで「王なるお方の前で」(The Presence of the King)というメッセージをしました。エドマン博士は、そのメッセージで、エチオピアの皇帝に謁見したとき、面会時間には絶対に遅れてはいけないと注意され、面会時間のかなり前から宮廷に入り、服装を整えてもらい、礼儀作法を教えられ、それから皇帝に会うことを許されたという体験を語っています。そして、「このチャペルは王の王、主の主であるお方に謁見するところである。…チャペルの時間は講義でも、エンターテーメントでもなく、礼拝のときである」と学生たちに訴えました。

 エドマン博士が語ったように、一国の首長に対してさえ、身を低くし、礼儀を尽くさなければならないとしたら、あらゆるものの王であるキリストに対して、私たちはひれ伏して礼拝すべきではないでしょうか。もし、ここに大統領が入ってきたらなら、皆、起立して迎えるでしょう。もし、キリストならどうするでしょうか。大統領を含め、誰もが、このお方の前にひれ伏すことでしょう。イエスはキリスト、神、御子、救い主、私たちが全身全霊をもって誉め讃え、崇め、礼拝すべきお方だからです。

 もちろん、イエスはただ畏れ多いだけのお方でなく、恵みと愛とあわれみに満ちたお方です。イエスは小さな子どもを拒まず、子どもたちを抱きしめられました。イエスは罪ある者さえも「友」と呼んで受け入れてくださるお方です。イエスのこのような恵みを決して見失ってはいけませんが、イエスをたんなる「お友だち」にしてしまい、イエスが神の御子であることを忘れてはならないと思います。

 今も歌い継がれている初代教会の賛美歌のひとつに「栄光の賛歌」(Gloria)があります。それはこう歌います。

天のいと高きところには神に栄光。
地には善意の人に平和あれ。
われら主をほめ、主をたたえ、主を拝(おが)み、主をあがめ、
主の大いなる栄光のゆえに感謝し奉(たてまつ)る。
神なる主、天の王、全能の父なる神よ。
主なる御(おん)ひとり子、イエス・キリストよ。
神なる主、神の小羊、父のみ子よ。
世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ。
世の罪を除きたもう主よ、われらの願いを聞き入れたまえ。
父の右に座したもう主よ、われらをあわれみたまえ。
主のみ聖なり、主のみ王なり、主のみいと高し、イエス・キリストよ。
聖霊とともに、父なる神の栄光のうちに。 アーメン。
私たちの人生はいつも順調とは限りません。思い通りにならないことのほうが多いかもしれません。四方八方ふさがりだと感じるときもあるでしょう。そのような時、私たちは落ち込んで下ばかりを向いてしまいます。信仰を持っていても気分が塞いでしまうことがあります。しかし、そのような時でも、自分がどう感じるかということを横に置いて、天の父の右におられるキリストを見上げ、このお方に近づきましょう。それが礼拝です。「栄光の賛歌」が歌うように、私たちも「主のみ聖なり、主のみ王なり、主のみいと高し、イエス・キリストよ」と、イエス・キリストを仰ぐ日々を、また、週ごとの礼拝を持ちたいと願います。

 (祈り)

 父なる神さま、今朝、イエスがあなたの御子、また、御子なる神であることを示してくださりありがとうございました。私たちが御子イエス・キリストの栄光をさらに見ることができるよう、聖書のお言葉によって私たちの心を照らし続けてください。そして、どんな時にも、イエスはキリスト、神、御子、そして救い主であるとの信仰の告白を貫き通すことができるよう、助けてください。ただひとり聖であり、すべての王であり、いと高き神の御子であるイエスのお名前で祈ります。

6/23/2013