母の日によせて

箴言1:7-9

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1:7 主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。
1:8 わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。
1:9 それらは、あなたの頭の麗しい花輪、あなたの首飾りである。

 ある学校で、先生がこどもたちに磁石のことを教えました。先生は、こどもたちに磁石を家に持って帰らせ、家にあるもので、どんなものが磁石にくっつくか試させました。次の日のクラスで先生は、こどもたちに聞きました。「M ではじまるもので、家の中にあるものを pick up するものはなぁに?」先生は、もちろん、Magnet という答えが返ってくると思っていました。ところが、こどもたちは、少し考えてから「それは Mother です。」と答えました。なるほど、おかあさんは、わたしたちがちらかしたものをいつも pick up してかたづけてくれますね。他にも、おかあさんは、わたしたちのためにたくさんのことをしてくれています。みんな、おかあさんに「ありがとう。」と言いましたか?「母の日」だけでなく、いつもおかあさんに「ありがとう。」を言うことができるといいですね。

 そして、おかあさんに「ありがとう。」を言うだけでなく、おかあさんの言うことを、すなおなこころで聞いて、「はい。」と言って、そのとおりにすることができると、もっといいですね。神さまは、わたしたちに、「わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。」と教えています。でも、どうして、わたしたちは、お母さんに感謝し、お母さんの教えることに従うのでしょうか。きょうは、そのことについて、ひとつの聖書のお話をしましょう。

 一、こどもを守ったおかあさん

 いまから、三千年以上も前のことです。イスラエルの人々はエジプトの国で奴隷になっていました。エジプトの国というのは、アフリカのナイル川という、それは大きな川の、川ぞいにある国です。三千年もの昔から今まで、づうと続いている古い国です。その昔、エジプトの王さまは、とても強い力を持っていました。エジプトの王さまは宮殿を建てたり、倉庫を建てたりするのに、イスラエルの人々を奴隷にして、つらい仕事をさせていました。建物を建てるには、たくさんのレンガがいるのですが、イスラエルの人々はそのレンガをつくる仕事をさせられていたのです。土をほって、それを篩(ふるい)にかけ、そこに水とわらを入れてかきまぜ、型に流し込んで乾かします。そして出来上がったレンガを宮殿や倉庫まではこぶのです。いまだったら、ショベル・カーで土をほり、機械で篩い、ミキサーでかきまぜ、出来上がったレンガはトラックで運ぶのですが、今から三千年前には、自動車も機械もありません。木のシャベルで土をほり、それをかごにいれ、棒をとおして、肩にかついで運ばなければなりませんでした。水だって、甕(かめ)に入れて、川から運ぶのです。泥だらけになりながらレンガの材料をかき混ぜ、かんかん照りの野原で、レンガをかわかすというたいへんつらい仕事でした。女の人たちも、畑仕事などに駆り出されました。エジプトの王さまは、イスラエルの人たちがずっと奴隷のままでいるように、イスラエルの人々を苦しめました。

 ところが、イスラエルの人々は、苦しめられれば苦しめられるほど、どんどん人数が増えていきました。そこで、エジプトの王さまは「奴隷の数が増えて、男たちが反乱を起こしたら、たいへんなことになる。」と考えました。そのころ、イスラエルの人々は「ヘブル人」と呼ばれていましたので、王さまは、「ヘブル人に男の子が生まれたら、みんなナイル川に投げ込んでしまえ。」というおふれを出しました。

 さて、そんな時、イスラエルの人々が住んでいた町に、アムラムさんと奥さんのヨケベデさんがいました。アムラムさんとヨケベデさんには、ふたりの子どもがいました。最初は女の子でミリアムと言いました。ミリアムは、とてもしっかりした女の子で、小さいころからおかあさんのお手伝いをよくしていました。次は、男の子でアロンといいます。アロンが生まれた時は、まだ王さまのおふれが出ていなかったので、アロンはナイル川に投げ込まれずにすみました。

 このヨケベデさんに三人目のこどもが生まれることになりました。もし、男の子が生まれたら、ナイル川に投げ込まれるのです。「どうか、女の子でありますように!」とどんなに願ったことでしょう。でも、生まれてきたのは男の子でした! おとうさんとおかあさんは、こどもの命を救おうとして、生まれた男の子を隠して育てていました。でも、三ヶ月もたつと泣き声も大きくなり、「ヨケベデさんは男の子を産んだそうだ。」という噂もひろがっていきました。王さまの兵隊も「ヘブル人の家に男の赤ちゃんはいないか。」といって調べに来ていました。このままでは、赤ちゃんは、ナイル川に投げ込まれる前に、兵隊に斬り殺されてしまいます。おとうさんとおかあさんは、神さまにお祈りして、どうしたら良いかを教えていただきました。赤ちゃんがすっぽり入るほどの大きな籠(かご)を手に入れ、それにタールや木のやになどをていねいに塗って水が入らないようにしたのです。そして、そこに赤ちゃんを入れてナイル川に流しました。こうすれば、きっと誰かが気がついて、赤ちゃんをひろってくれると思ったのです。これが、自分のこどもを守ることのできるただひとつの方法でした。おとうさんとおかあさんは必死になってこのことをしました。。

 わたしたちのおとうさんやおかあさんも、みんなを守るために、わたしたちを一所懸命育ててくれたのですよ。みんなは、赤ちゃんのころのことを覚えてはいないでしょうが、おかあさんは、みんなにミルクを飲ませ、食べ物を与え、病気になったら看病して、みんなを守ってくれたのです。みんな、なぜ、おかあさんに感謝するか、わかったでしょう? 神さまとおとうさん、おかあさんが私たちを守ってくれたからです。おとうさんも、私たちを守るために一所懸命働いてくれていますが、おかあさんはいつもわたしたちのそばにいて、守ってくれていますね。そうでなかったら、わたしたちはこうして元気に勉強したり、遊んだりすることができなかったことでしょう。神さまが、わたしたちにおかあさんをそばにおらせてくださったことをこころからかんしゃしましょうね。

 二、子どもを教えたおかあさん

 さてみなさん。ナイル川に流された男の子はどうなったでしょうか。ナイル川は大きな川でしたが、岸辺には、リードという背の高い草がたくさん生えていて、水はゆっくりと流れていました。男の子をのせた籠も、リードにひっかかりながら、岸辺をゆっくりと流れていきました。するとどうでしょう。そこにエジプトの王女さまが、水浴びにやってきました。王女さまが、ナイル川に降りて、足を水の中に入れようとした時、リードの茂みにひっかかっている籠を見つけました。なんと籠の中から赤ちゃんの泣き声が聞こえてきました。王女さまはすぐに侍女たちを呼んで、その籠を取ってこさせました。そっとふたをあけてみると、そこに、男の赤ちゃんがいたのです。侍女たちは言いました。「これはきっとヘブル人の子です。」王女さまは、「ヘブル人の男の子はナイル川に投げ込め。」という王さまの命令を思い出して、一瞬ドキッとしましたが、この赤ちゃんが、おなかをすかせて泣いているのを見ると、かわいそうに思い、なんとかこの子を救ってやりたいと思いました。そして王女さまは、いいことを思いついたのです。「わたしは、この子を自分の子どもにします。私の子どもなら、命を奪われることはありません。」けれども、どうやってこの子にミルクを飲ませたらいいのでしょう。自分で何でもできるようになるまで、どうやって育てたらいいのでしょうか。

 王女さまと侍女たちがそんな話をしているところに、この男の子のお姉さん、ミリアムがやってきました。王女さまの前にひれふし、「わたしは、王女さまにかわって、あかちゃんに乳を飲ませ、世話をする乳母(うば)を知っています。その人を呼んでまいりましょうか。」と言いました。ミリアムは籠に入れられて川に流された弟がどうなるかを見届けようと、その籠を追っかけてきて、王女さまに出会ったのです。

 王女さまは、ミリアムに「そうしてください。」と言ったので、ミリアムは家に飛んで帰って、おかあさんの手を引っ張って、もういちど王女さまのところに戻ってきました。王女さまは、おかあさんに「この子が大きくなるまで、私に代わって育ててください。子どもを育てるのに必要なお金は、全部わたしが出しましょう。あなたにも、給料を払います。」と言いました。

 おかあさんは、王女さまからお給料をもらって、自分のこどもを育てました。この子は、王女さまのこどもになったのですから、もう、誰に隠す必要もありません。堂々とこどもを育てることができました。おかあさんはどんなに喜び、神さまにかんしゃしたことでしょう。

 みなさん、この男の子が誰だかわかりますか。そう、「モーセ」ですね。このモーセが、おとなになってから、エジプトで苦しめられていたイスラエルの人々を救い出す人になったのです。モーセはエジプトの王子のまま、楽しい生活をすることもできたのですが、イスラエルの人々の苦しみを黙ってみていることができず、王子の位を捨てたのです。モーセはそのことを神さまを信じる信仰によってしました。聖書に「信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。」(ヘブル11:24-25)とあります。では、モーセはどうやって、そのような信仰を持つようになったのでしょう。誰から神さまのことを聞いたのでしょうか。それは、おとうさん、おかあさんからです。おかあさんは、モーセが泣けば神さまをたたえる賛美の歌を歌ってあやしたことでしょう。おとうさんも、ミリアムやアロン、そしてモーセに、神さまが天地の造り主であること、どんなに人々を愛し、イスラエルの人々のために不思議なことをしてくださったかを話してきかせたことでしょう。モーセは、おとうさん、おかあさんが神さまのことを教えるのを聞いて育ったので、おとなになってから、正しい道を歩くことができたのです。なぜ、神さまが、わたしたちに「わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。」とおっしゃったかわかりますね。それは、おとうさんやおかあさんが、わたしたちに神さまのことを教え、正しいことを教えてくれるからです。おとうさん、おかあさんが教えてくださることをしっかりと聞いて、モーセのように、神さまに喜ばれるこどもなってください。

 (祈り)

 天ににいらっしゃる私たちのお父さま。わたしたちにおとうさん、おかあさんを与えてくださってかんしゃします。おとうさん、おかあさんは、私たちを守り、私たちに神さまのことやたいせつなことを教えてくれます。天のお父さま、私たちを守ってくれるおかあさんにかんしゃし、私たちを教えてくれるおとうさんにしたがうこころを、わたしたちにあたえてください。イエスさまのお名前で祈ります。

5/14/2006