28:16 しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。
28:17 そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。
28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
きょう、バプテスマ式がありました。バプテスマでは「父と子と聖霊の御名によってバプテスマを授けます」という宣言のあと、信仰を言い表した人が水に浸されます。なぜ、「父と子と聖霊の御名によって」と宣言するのでしょうか。主イエスがそうするようにお命じになったからですが、なぜ、イエスはそうお命じになったのでしょうか。
「父、子、聖霊」は三名ですから、文法的に言えば、「御名」は複数形(names)になるはずです。ところが、ここでは単数形(name)が使われています。それは父と子と聖霊が三つのご人格でありながら、おひとりの神だからです。ですから、「父、子、聖霊の御名によって」という言葉は、神が「三位一体」のお方であることを示しています。
また「御名によって」という言葉は直訳すれば「御名の中に」(in the name of)となります。これは、バプテスマが、人を、罪と死が支配するこの世から、義と命の支配する天へと移しかえ、人を、三位一体の神に結びつけ、父と子と聖霊とのまじわりに導き入れるものであることを意味しています。神が三位一体であることは人間の理解の範囲をこえています。それは頭だけでは理解できません。しかし、父と子と聖霊とのまじわりの中に生きることによって、神が "One in Three"、"Three in One"、三位一体のお方であることを体験によって知ることができるのです。
では、信じる者は、父なる神、御子イエス・キリスト、そして聖霊とどのような関係に入れられるのでしょうか。
第一に、信じる者は、バプテスマによって、父の子どもとされます。天の父との愛の関係に入れられるのです。主イエスのバプテスマのとき、父なる神がイエスについて「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」(マタイ3:17)と言われました。神は、私たちのバプテスマのときも、同じように、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と語りかけてくださったのです。空の鳥を養い、野の花を美しく飾ってくださる神が、鳥や花にまさる私たち人間に良くしてくださらないはずがないと、主イエスは教えてくださいました。私たちの人生は、天の父の大きないつしみの中にあります。そのことを信じて、さらに天の父に信頼していきたいと思います。
第二に、信じる者は、キリストのからだの一部となります。かしらであるキリストによって生かされます。キリストといのちの関係に入るのです。キリストを信じ、キリストに従うとは、自分の力でキリストに見習って生活したり、その教えを実行するということではありません。自分の力でそれができる人は誰もいません。イエスが「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝」と言われたように、キリストを信じる者とは、いのちのつながりを持ち、キリストのいのちがその人の中に働くことによって、キリストの姿に近づき、その教えを守ることが出来るようになるのです。キリストのいのちに生かされてこそ、はじめてキリストのように生き、キリストのために生きることができます。キリストとのいのちのつながりにいつも留まっていたいと思います。
第三に、信じる者は、聖霊の宮となり、その人のうちに聖霊が住まわれます。私たちが神のうちに導き入れられるだけでなく、神が私たちの内に入ってくださるのです。父なる神は天におられ、主イエスは私たちと共におられ、聖霊は私たちの内におられると考えると良いでしょう。ですから、信じる者と聖霊とのまじわりは存在のまじわりと言って良いかと思います。このことは、信仰を持ってすぐに理解できないかもしれません。しかし、信仰生活のさまざまなところを通っていくなかで、体験によって知っていくことができます。天の父を仰ごうとしても、信仰の目をあげ、心を高くあげることができないときがあります。そんな時、主イエスが共にいてくださることが励ましになります。主イエスと共に神に近づくことができるのです。しかし、共におられる主イエスを見失った時はどうしたら良いのでしょうか。大きな試練に投げ込まれたときなど、神が共におられることが感じられなく なり、「ほんとうに神は私と共におられるのだろうか」と疑ってしまうことがあります。しかし、そんなときも、聖霊は、私たちの内にいて、決して離れることはありません。聖霊は私たちの内側から働きかけてくださいます。聖霊は私たちにキリストを示し、キリストは私たちを父のもとに導いてくださいます。三位一体の神は、私たちを上から、横から、そして内側から支えてくださるのです。
バプテスマによって導かれた、三位一体の神との、愛のまじわり、いのちのまじわり、また存在のまじわりの中に留まり、それを育てていきたいと思います。
(祈り)
父なる神さま、きょう、「父、子、聖霊の御名」によってバプテスマを受けた兄弟も、先にバプテスマを受けたひとりびとりも、バプテスマの恵みを受け取り、そこに留まることが出来ますように、お助けください。また、あなたを知り、信じたいと願っている方々が、一日も早くバプテスマにあずかり、共に恵みの中を歩むことができますよう、導いてください。主イエスによって祈ります。
11/18/2012