赦しの福音

マタイ26:26-29

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26:26 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。
26:27 また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。
26:28 これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。
26:29 あなたがたに言っておく。わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。

 一、伝えられた福音

 聖書に「福音」という大切な言葉があります。これが「良い知らせ」、“Good News” という意味であることは、皆さんがご存知だと思います。では、どんな「グッド・ニュース」なのでしょうか。「福音」という言葉は、一般では「この薬の開発はがん患者の福音となるでしょう」とか「新しい奨学金はすべての学生への福音です」などというふうに使われます。「病気が治る」ことや「教育の機会が与えられる」ことは、そのことで悩んでいる人や困っている人には「グッド・ニュース」ですが、聖書の言う「グッド・ニュース」とは、健康で、必要なものが満たされて、楽しい生活を送ることができるということなのでしょうか。皆さんは聖書の福音をどんなものとして聞いてきましたか。今、どのように聞いているでしょうか。それとも、聖書の「グッド・ニュース」はそれを聞いても聞かなくても良いもの、聞き逃してもかまわないものなのでしょうか。

 福音とは何かを知るために、イエスがそれをどんなものとして教えられたのか、弟子たちがそれをどう伝えたのかを見ましょう。イエスは弟子たちにこう教えられました。

こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。(ルカ24:46-47)
イエスは、ご自分の十字架と復活と、それによって与えられる罪の赦しが「福音」だと言われました。イエス・キリストが、人間の罪を背負って十字架に死んでくださった。罪と死を滅ぼしよみがえってくださった。イエス・キリストを信じる者は、だれでも罪の赦しを受けられる。これが福音です。ひとことで言えば、福音とは「罪の赦しの宣言」と言ってよいでしょう。

 弟子たちは、この福音をイエスが教えたとおりに人々に伝えました。ペンテコステの日にペテロは人々にこう説教しました。

このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのであるが、あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されているはずはなかったからである。(使徒2:23-24)
ペテロはイエスの十字架を語り、復活を証ししました。そして、さらに「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい」(使徒2:38)と勧めました。ペテロの説教は、イエスご自身が「キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる」と言われたのとそっくり同じです。弟子たちはイエスの教えをまるでなぞるようにして、そっくりそのまま人々に伝えました。

 時代が変われば、人々の生活も変わり、聖書の福音も変わると言う人がいます。つい最近までは「富と健康」(“Wealth and Health”)が「福音」だと言われて来ました。近頃は、「罪の赦し」など、もはや誰も求めていない。自分の弱さを認めたり、足らなさを嘆いたりする必要などない。人間には無限の可能性があって、「やればできる」と励ます言葉が「福音」である。自分を肯定して、自分を愛することを教えるのが「福音」なのだと言われるようになりました。

 ほんとうにそうでしょうか。健康で、お金に困らず、才能に恵まれ、家族の愛を受けているのに、生きる目的や喜びを見失っている人が大勢いるのです。それは神を知らないから、神に背を向けて歩いているからです。聖書で言う「罪」とは人間の神に背を向けた状態、その思いや生活、人生から神を締めだした状態のことなのです。どこまでも正しく、どこまでも聖い神の前に、人は罪を持ったままでは立つことが出来ない。それでいて、人のたましいは神を求めている。神を求めているのに、神に近づくことができない。皆さんの中にはそんなジレンマを味わっている人がありませんか。また、自分のしていることは良いこととは思わない。それをやめたいけどできない。こうすべきだと分かっているが、それができない。そんなジレンマを味わっている人もあるかと思います。

 そうしたジレンマを解決するのがイエス・キリストによる罪の赦しなのです。罪の赦しによってわたしたちは聖なる神が愛の神であることを知り、神に近づくことができるようになるのです。罪の赦しを受けて、神の愛の中に飛び込んで行く。そこに、わたしたちの必要なもののすべてがあります。罪の赦しこそ、わたしたちに与えられた最高のグッド・ニュースです。

 二、忘れられた福音

 教会は二千年の間、忠実にイエスの教えを守り、使徒たちの教えに従ってきました。しかし、罪の赦しの福音が忘れられた時代もありました。それが今からおよそ500年前、マルチン・ルターの時代でした。

 ルターは18歳でエルフルト大学に入り、父親の願いに従って法律家になることを目指して勉強していました。ところが、22歳の時、雷に撃たれそうになり、「聖アンナよ。私は修道士になります」という誓いを立て、エルフルトのアウグスチヌス会に入りました。そして24歳で司祭となって、ミサを執り行い、人々に説教をするようになりました。しかし、神に近づこうと努力すればするほど、自分の罪深さだけが見えてきて、ルターは罪の赦しを確信することができないでいました。

 ルターは30歳のとき、1510年から1511年にかけてですが、ローマを訪れました。ローマ教会は、すべての教会の頂点に立つ教会で、多くの人々がそこに巡礼にやって来ていました。当時そこには、「主イエスがピラトの前に立った時の階段」というのものがあって、人々はその一段、一段をひざで這い登り、そこに口づけをし、祈りを唱えていました。そのようにしてその階段を上りつめたなら、すでに亡くなった親、兄弟、親族のたましいが天国に行くことができるのだと信じられていました。ルターも他の人と同じようにその階段を上ったのですが、自分のしていることがいったい何になるのだろう、人はこのような行いで、罪を赦していただき、神の前に正しいとされるのだろうかとの疑問を持ちはじめました。伝説では、その階段を上りきったところで、ルターは聖書の真理を発見して、「義人は信仰によって生きる」と叫んだと言われていますが、ルターがこの真理を発見するようになったのは、実際は、それからもう少し後です。

 ローマから帰ったルターは、修道院長シュタウピッツの勧めによってウィッテンベルク大学に移り、1912年、32歳で神学博士号を授与され、聖書学の教授となりました。ルターは1513年から15年にかけて詩篇の講義を、1515年から16年にかけては、ローマ人への手紙とガラテヤ人への手紙の講義をしています。ルターは「どのようにして人はその罪を赦され、神の前に正しい者とされるのか」という疑問をずっと心に抱いていましたが、その疑問の答えを聖書から得るのです。詩篇22篇の講義録の中で、ルターは「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか」という言葉を取り上げ、「これは、主イエスが十字架の上で語られた言葉だが、なぜ、主イエスは、十字架の上で神から見捨てられたのか」と問いかけ、「キリストが実に私たちの罪をその身に負われたからである」と答えています。当時の人々は、ルターも含め、キリストを罪人を裁く審判者と考えており、キリストが私たちの罪を負ってくださった救い主であることを知らなかったのです。ルターは、キリストが私たちの罪を負って死なれたことと、その意味を聖書の中に見出しました。ルターは、ローマ人への手紙やガラテヤ人への手紙の研究によって、人は、宗教の形式に服従したり、戒律を守ることによってではなく、罪を悔い改めてキリストを信じる信仰によって救われるという確信を持つようになりました。

 ルターの宗教改革は、神のことばによって、彼の心の中で始まりました。それは、自分の罪と向かいあって、その罪の醜さを徹底的に知り、そしてキリストによる罪の赦し、信仰による救いをそのたましいのうちに体験したことから始まったのです。宗教改革は政治的なものでも、権威に対する抵抗でも、制度の変更でもなく、福音の真理の再発見であり、罪の赦しの福音に立ち返ることでした。ルターによって忘れられていた罪の赦しの福音がもういちど正しく宣べ伝えられるようになったのです。

 三、取り戻された福音

 宗教改革は、貧しいドイツから豊かなイタリアにお金が流れていくのを快く思わなかったドイツの領主たちの政治的な思惑なども働いて、ルターが思っても見なかった方向に進んでいくのですが、福音を信じ、それに生きるという精神は保たれ、後の教会に受け継がれました。もし、宗教改革がたんに政治や経済の理由から起ったもの、また聖職者たちの腐敗を責めるだけのものであったら、長くは続かなかったでしょう。実際、ルターの上司であったウィテンベルグ大学神学部長カールシュタットに導かれたグループは極端に走り、自滅していきました。ルターは、人の罪を責めるだけの人ではありませんでした。人一倍自分の罪に悩み、苦しんだ人でした。ただ苦しんだだけでなく、聖書の中に答えを求め、罪の赦しの福音を見出し、それに生きた人でした。ルターは「われわれの髪の毛の一本一本には『罪の赦し』と書かれている」と言うほどに、罪の赦しの喜びを体験していました。

 イエスを力強くあかしし、伝道してきた人はみな、罪の赦しの福音を知り、それに生きてきました。パウロは自分を「罪人のかしら」と呼ぶほど自分の罪を深くとらえ、赦しの恵みに感謝して生きました。放蕩の生活から回心したアウグスティヌスは生涯をかけてこの福音を宣べ伝えそれを守りました。ジョン・ウェスレーもまた福音の喜びを体験し、それによって当時の英国に道徳的な改革をもたらしました。奴隷売買の船長だったジョン・ニュートンは、この福音に出会い教会の牧師になり、奴隷売買禁止法の成立に影響を与えました。

 これらの人たちは自分が罪という牢獄につながれていることを知っていました。「罪の支払う報酬は死である」(ローマ6:23)とあるように、わたしたちは刑が執行される日をおびえながら待っている死刑囚のようでした。これは、実際に聞いた話ですが、ある人の知人が死刑囚でした。その知人に刑が執行されたのを知ったその人は、こう言いました。「わたしもまた、いつ死を迎えるか分からない死刑囚のような者だ。」人は必ず死を迎え、神の前に立たなければなりません。これほど確かなことはありません。しかし、いつ死がやって来るかは誰にもわかりません。その時ほど不確かなものはありません。しかし、罪の赦しによって、わたしたちは恐れることなく、神の前に立つことができます。罪の赦しというのは、死刑囚に与えられる恩赦のようなものです。神の御子が身代わりに刑罰を受けてくださり、霊的な死刑囚であったわたしたちはそれによって恩赦を受けたのです。

 罪の赦しの福音は、まさに驚くほどの最大、最高のグッド・ニュースです。ジョン・ニュートンは、この恵みに感動し、“Amazing Grace” という賛美歌を作りました。皆さんは、赦しの福音をこの賛美のように驚きをもって受け止めているでしょうか。あふれる深い感動を持って聞いているでしょうか。

 どんなに時代が変っても、わたしたちが年をとっても、また、就職、結婚、引越などによって生活が変っても、わたしたちの人間としての根本的な必要は変わりません。それは神の前に罪を赦され、その喜びの中に生きるということです。イエス・キリストだけがわたしたちに罪の赦しを与えます。福音だけがこの恵みを伝えます。この変わらない福音、変えてはいけない福音をしっかり守り、この福音に生き、この福音を伝える。その決意を、この礼拝で新しくしたいと思います。

 (祈り)

 父なる神さま、わたしたちはイエス・キリストの赦しによってはじめて、心からの信頼と喜びをもって、あなたを「わたしたちの父よ」と呼ぶことができます。罪の赦しの福音、それはなんとさいわいなおとずれでしょう。わたしたちはこののち、主の晩餐を守ります。主の晩餐を通して語りかけられている罪の赦しの福音を確信することができますように。主イエス・キリストによって祈ります。

11/2/2014