世の終わりの前兆

マタイ24:3〜7

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24:3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。」24:4 そこでイエスは彼らに答えられた。「人に惑わされないように気をつけなさい。24:5 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わします。24:6 また、戦争や戦争のうわさを聞くことになりますが、気をつけて、うろたえないようにしなさい。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。
24:7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。

 一、時のしるし

 この頃、目にし、耳にするニュースといえば、ウクライナとロシア、ハマスとイスラエルの戦争など、戦争のことばかりです。とくに、イスラエルは聖書の舞台となったところですので、その地域で戦争が起こると、聖書のこの預言が成就した、あの言葉の通りになったとの主張が聞かれます。「世の終わり」があること、そのときイエスが再び世に来られることは、確かな聖書の教えです。しかし、聖書の一部だけを取り上げて無理な解釈を施し、不確かなことを大声で主張するようなことはしてはいけないと思います。聖書はそのことを厳しく戒めています(ペテロ第二1:20)。

 ハロルド・キャンピングという人が聖書の年代を計算して2011年5月21日にキリストの再臨があると予言しました。でも、その日には何も起こりませんでした。彼は、自分の間違いを認め、悔い改めましたが、「キリストの再臨」という希望のメッセージを傷つけ、クリスチャンの証しを損ねてしまいました。イエスが「ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます」(マタイ24:36)と言われたように、再臨の日にちを特定することは誰にもできません。

 けれども、イエスは「世の終わり」の「前兆」について教え、それを「時のしるし」と呼んでおられます(マタイ16:1-3)。きょうの箇所の3節にも「時のしるし」との言葉があります。「イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがひそかにみもとに来て言った。『お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。』」弟子たちは、世の終わりの「しるし」について、イエスに尋ねています。

 イエスは弟子たちに答えて、7つの「しるし」を挙げました。第1は「偽キリスト」(5節)、第2は「戦争と戦争のうわさ」(6-7節)、第3は「飢饉と地震」(7節)、第4は「迫害」(9節)、第5は「背教」(10節-11節)、第6は「社会の堕落」(12節)、そして、第7は「福音の宣教」(14節)です。きょうは、最初の3つの「しるし」を取り上げます。

 二、偽キリスト

 第1の「偽キリスト」についてですが、これは、ユダヤの人々が長い間、自分たちを外国の支配から救ってくれる「救い主」(メシア)を待ち望んでいたことと関係があります。ユダヤの国は、北王国が紀元前722年に、南王国が紀元前586年に滅ぼされました。その後は外国に支配され続け、イエスの時代には、ローマの属州となっていました。それで、ユダヤの独立を叫んでローマに反抗する者が次々と起こりました。彼らは、自らを「キリスト」だと名乗り、人々を外国の支配から解放すると約束しました。しかし、彼らは約束を果すことはできませんでした。

 イエスは、ヨハネ10:7-9でこう言われました。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしは羊たちの門です。わたしの前に来た者たちはみな、盗人であり強盗です。羊たちは彼らの言うことを聞きませんでした。わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。」ここでイエスが「わたしの前に来た者たち」と言われたのは、「わたしこそキリスト、ユダヤに救いをもたらす者だ」と名乗りをあげた人々のことです。彼らはそうすることができなかったばかりか、かえって人々を苦しめることになりました。それで、イエスは、彼らを「盗人」や「強盗」と呼んだのです。イエスは、そうした「偽キリスト」に対して、ご自分こそがまことのキリストであり、人々を罪から救う者であると言われたのです。

 イエスの以前に「キリスト」と自称する者が多く起こりましたが、その後、使徒たちの時代にも「偽キリスト」が数多く起こりました。使徒5章に、使徒たちが最高法院で尋問されたときのことが書かれています。当時、尊敬されていた律法学者ガマリエルは、こう意見を述べました。「イスラエルの皆さん、この者たちをどう扱うか、よく気をつけてください。先ごろテウダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどになりました。しかし彼は殺され、従った者たちはみな散らされて、跡形もなくなりました。彼の後、住民登録の時に、ガリラヤ人のユダが立ち上がり、民をそそのかして反乱を起こしましたが、彼も滅び、彼に従った者たちもみな散らされてしまいました。そこで今、私はあなたがたに申し上げたい。この者たちから手を引き、放っておきなさい。もしその計画や行動が人間から出たものなら、自滅するでしょう。しかし、もしそれが神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすると、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」(使徒5:35-39)ガマリエルの発言の中に「テウダ」や「ユダ」などの反乱者の名前があります。使徒たちの時代にも、自分を「キリスト」だと名乗る「偽キリスト」がいたことが分かります。

 「使徒の働き」が書かれ、パウロやペテロが殉教した後、紀元66年に第一次ユダヤ戦争が起こりました。この戦争で、エルサレムは、神殿もろとも滅ぼされ、ユダヤの人々の離散が始まりました。70年のことです。離散のユダヤ人の中には、さまざまな地域に散らばっていても互いに連絡をとりあって、折あらば反乱を起こそうとしていた人々がありました。132年、シメオンという人物が自分を「バル・コクバ」(星の子)と呼びました。これは「キリスト」を指す名称の一つで、彼は自分を「キリスト」だと言ったのです。著名なラビ(律法学者)であった、アキバ・ベン・ヨセフが彼を支持し、ローマに反乱しました。ローマが他の戦争のために軍を移動した隙きをついて反乱は一時的に成功しましたが、ローマ軍の反撃によって135年、シメオンとラビ・アキバは処刑され、反乱は終わりました。この結果、ローマは、ユダヤ教を禁止し、ユダヤ教の書物は焼かれ、指導者たちは殺害されました。この反乱は、ユダヤの人々にとって、以前よりも、もっと悪い結果をもたらしたのです。エルサレムは「アエリア・カピトリナ」と改名され、ユダヤの人々の立ち入りが禁止されました。「ユダヤ属州」も「シリア・パレスチナ州」と改名されました。

 このように、多くの「偽キリスト」が起こりましたが、時代が進むにつれ、信仰心が薄れ、人々は「キリスト」を信じなくなり、その名にある力を認めなくなっていきました。それで、「自分がキリストだ」という代わりに、「キリストなどは時代遅れだ。これこそがキリストに代わって、神にに代わって人々を救うものである」という、人物、運動、思想などが起こりました。科学・技術は万能であり、神に代わるものだと言われたこともありました。また、革命を起こして政治や経済の仕組みを変えれば、平等で公平な社会が生まれ、誰もが幸福な生活ができると言われ、実行されました。しかし、人々は、科学・技術によっては解決できない問題があることや政治・経済によっては得られないものがあることを知るようになり、宗教に頼って安心を得ようとするようになりました。しかし、それはまことの神を信じるものではなく、「ニュー・エイジ」と呼ばれる思想でした。これは、「すべては神であって、人間、一人ひとりも神である。自分が神であることを自覚し、神そのものである大宇宙の霊的なエネルギーを自分のものにするなら、それによって人は幸せになれる」と教えます。この教えは、あらゆる分野に姿を変えて広まり、クリスチャンの中にさえ入りこんでいます。現代は、キリストを否定し、キリストと同じ立場に立とうとするものが人々を惑わしている時代です。キリストの名を使わない「偽キリスト」にも注意しなければなりません。

 三、戦争と災害

 第2の「しるし」は、「戦争と戦争のうわさ」です。イエスの時代、地中海世界は、規律正しく勇敢なローマの軍隊によって平和が保たれていました。これは Pax Romana(ローマの平和)と呼ばれ、200年続いたとされます。その間に全く戦争がなかったわけではありません。ローマを脅かす民族、国々は多くあり、人々は戦争のうわさに怯えていました。

 第2次世界大戦以後、共産主義国との「冷戦」もありましたが、世界はしばらくの間、アメリカを中心に平和を保ちました。それで、それは Pax Americana(アメリカの平和)と呼ばれましたが、この平和は長くは続きませんでした。アメリカの力が弱くなり、世界で指導的な立場に立てなくなったからです。そして、それからは、私たちが今、見聞きしているとおり、世界の各地で戦争が起こり、エスカレートしています。

 1945年に、アメリカの原子力科学者たちによって「世界終末時計」(Doomsday Clock)というものが作られました。これは核戦争で世界が滅びるまでの時間を「秒数」で表すもので、最近は、核戦争の他、気候変動も計算の中に加えられるようになりました。2020年には、世の終わりまで「100秒」だったものが、2023年1月24日の発表ではさらに短くなって「90秒」となりました。もし、核戦争が起これば、確実に人類は滅びます。地球が生物の住めないものになってしまうかもしれません。戦争は、かつての時代のように、局地的なものでは終わらなくなりました。世界のすべての人がそれに巻き込まれるのです。戦争が世の終わりのしるしであることは、今、とても現実味を帯びています。クリスチャンでない人たちでさえ、「世の終わり」を意識しているのであれば、聖書によってそのことを教えられている私たちは、なおのこと、「世の終わり」を正しく心に留めていなければなりません。

 さて、第3のしるしは7節にある「飢饉と地震」です。そこには水害や火災も含まれるでしょう。戦争は人が起こすものですが、飢饉や地震は自然災害です。しかし、自然災害だから防ぎようがないとは言えません。今、世界で起こっている飢餓や食糧不足は、食べ物がないからではなく、食べ物があっても、戦争のためにそれが必要な人のところに届かないことに原因があります。世界のどこかが不作であっても、別の地域では豊作が続き、穀物などの十分な備蓄があるものです。それを互いに融通しあえば、誰もが必要な栄養を摂ることができるはずです。

 また、地震などが起こったとしても、今は、世界中から救援隊がかけつけることができるようになりました。けれども、戦争状態にある国では、救援活動ができません。また、独裁的な政治体制を持っている国の中には、国際的な援助を拒否するところもあります。イエスは7節で「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります」と言われました。「民族は民族に、国は国に敵対する」ことと、「飢饉と地震」とが同じ文章に並べられています。民族と民族、国と国との敵対が、飢饉や地震のとき、それらによって苦しむ人々を助けるのを妨げていると仰っしゃりたいかのようです。そして、今、イエスが言われた通りのことが実際に起こっています。

 「偽キリスト」、「戦争と戦争のうわさ」、「飢饉と地震」。これらの前兆やしるしはいつの時代にもありましたが、今ほど、それが世の終わりの近いことを示している時代はありません。けれども、イエスは言われます。「気をつけて、うろたえないようにしなさい。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。」(6節)「まだ終わりではありません」というのは、あと4つの「しるし」が残されているからです。3つのしるしは誰の目にも見えるものですが、次の4つは霊的な「しるし」で、信仰の目で見なければならないものです。次回、それらを学びますが、「時のしるし」を理解するために必要なのは、「うろたえない」ことです。目に見えることだけに心を奪われたり、それをまことしやかに解説して、恐怖心を煽るような言葉に惑わされないことです。神の大きなご計画を知る知識、それを明らかにされたイエス・キリストの言葉に堅く信頼する信仰が求められています。そうした知識と信仰を祈り求め、御言葉の学びによって深めていきましょう。

 (祈り)

 父なる神さま、あなたは、使徒ペテロを通して「聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないことを、まず心得ておきなさい」と、私たちを戒めてくださいました。この戒めを心に留め、今の時代を正しく見極めることができるよう、私たちを助けてください。私たちに、この時代をどう生きるかの判断力を与えてください。また、どのように来るべきお方を待ち望むべきかを教えてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

11/5/2023