2:1 そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。
2:2 これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。
2:3 人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。
2:4 ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2:5 それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。
2:6 ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、
2:7 初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。
2:1 そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。
2:2 これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。
2:3 人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。
2:4 ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2:5 それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。
2:6 ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、
2:7 初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。
一、疎外された救い主
先週は、ルカの福音書から、天使がマリヤに神の御子を生むことを告げた箇所とマリヤがエリサベツを訪問した箇所をとりあげました。これはそれぞれ The Annunciation(受胎告知)、The Visitation(マリヤのエリサベツ訪問)と呼ばれています。きょうは、それに続いて降誕の箇所からお話しをします。これは The Nativity と呼ばれます。
わたしは、この箇所を読むたびに、「客間には彼らのいる余地がなかったからである」(7節)という言葉に心が痛みます。この「客間」は、宿屋の部屋であると考えられてきました。皇帝アウグストの人口調査では、人々はそれぞれ自分の生まれ故郷で登録をしなければなりませんでした。それで、人口調査のためおおぜいの人が小さな町におしかけたため、どの宿屋も空き部屋がなかったと解釈できます。降誕劇では、身重のマリヤを連れたヨセフが宿屋の主人とかけあう場面があります。どの宿屋でも、「うちはいっぱいだ。他をあたってくれ」「何?子どもが生まれそうだって?他のお客さんの迷惑になるから、お断りだよ」「おまえたち、ずいぶん貧乏な身なりをしているが、宿賃を持っているのかい。人口調査の期間中はいつもの倍の料金だからね。お金がないなら、野宿でもするんだね」などと言われ、どこの宿屋でも断られたというのです。
しかし、聖書には、この「客間」が宿屋の客間だとは書かれていませんし、降誕劇に出てくる宿屋の主人も登場しません。この客間は宿屋の部屋でなく、ヨセフの親族の家の客間だったと考えたほうがよいかもしれません。当時、「宿屋」はそんなに多くはありませんでした。あったとしても、けっこういかがわしいところだったようで、初代のクリスチャンの多くは、旅行をするときは、宿屋を避けて、同じクリスチャンの家に泊めてもらいました。聖書で「旅人をもてなすことを忘れてはならない」(ヘブル13:2)と勧められているのには、そうした背景があったと思われます。
ヨセフも、ベツレヘムに行くにあったっては、きっと親戚、親族の家を頼っただろうと思います。ところが、こちらの親戚でも、あちらの親戚でも受け入れてもらえず、たらい回しにされたのでしょうか、親戚の家には泊めてもらえませんでした。宿屋で断られるよりも、血のつながりのある親戚、親族に断られるほうが、もっと辛いものです。しかし、ヨセフはそれにもめげず、親戚の家の家畜小屋でもいいからと、無理を言って、そこに泊まったと思われます。
そして、その夜、マリヤは出産しました。神の御子がこともあろうに、人の住む部屋に入れてもらえず、家畜小屋、実際はほら穴でお生まれになったのです。このお方は、ユダヤの王としてお生まれになったのに、ユダヤの人々は自分たちの王を斥け、迎え入れなかったのです。ダビデの子孫として生まれたのに、ダビデの町ベツレヘムの、ダビデの血をひく親族からも、受けいれられなかったのです。王として、親族として受けいれらなかっただけではありません。人間扱いもされず、家畜小屋に追いやられたのです。じつに、救い主はお生まれになったときから、「疎外される」という苦しみの道を歩まれたのです。
二、疎外の苦しみ
聖書は、いたるところで救い主の苦しみを預言し、描写していますが、その中のひとつ、詩篇22:6にこうあります。「しかし、わたしは虫であって、人ではない。人にそしられ、民に侮られる。」誕生のとき家畜のように扱われた救い主は、十字架にかけられるときには、家畜以下のもの、人間によって駆除され、家畜によって踏みつけられる「虫」のように扱われたのです。わたしは、この言葉の中に、イエスが受けた「疎外される苦しみ」が述べられていると思います。
人が味わう精神的な苦しみの中で、いちばんつらいのは疎外され、拒否される苦しみだろうと思います。人は、たとえ自分の苦手なことや、好まないことでも、それが誰かの役に立ったり、誰かに認められるなら、苦しいことにも耐えられます。ところが、どんなに人のために努力しても、それが無視される、いや、その人の存在そのものが認められないなら、やりきれない気持ちになります。人には、それぞれの姿形が違っているように、それぞれに能力の違いがあり、個性の違いがあります。しかし、すべての人が人として等しく受けいれられなくてはなりません。ところが、この世では見た目が華やかな人、能力や立場がある人、あるいは、そのグループに何らかのつながりのある人が重んじられます。そうしたものがない人は、その人格や存在まで否定されるということがあります。日本の社会には学校でも会社でも「いじめ」がありますが、まわりの人から、まるでそこにいない人であるかのように扱われることがあるのです。まわりから無視され、「きみはここにいる必要のない人間なんだ」という、言葉では語られなくても、態度で示されるメッセージを聞くことほどつらいことはありません。そのようにして人格を認めてもらえなかった人たちが、自分でも「わたしはいてはいけない人間なのだ」と思ってしまうとき、自殺に走るのです。
あるところで、こどものためのクリスマスの催しがありました。百名ものこどもがいたのに、ステージに立つのはたった四、五人だけで、他のこどもたちはみんな黒い服を着せられ、「その他大勢」という役割をさせられました。ある親が、「人数が足りているんだったら、うちの子は、風邪ぎみなので出なくていいですか」と責任者にきいたら、「いやいや、やっぱり、人数がほしいから。みんなといっしょに、座っているだけでいいから」と言われたといってがっかりしていました。この親は、「座っているだけでいい」という言葉を聞いて、大勢の子どもたちが、木や石のような、命のない舞台装置のように扱われたと感じたと、話してくれました。子どもであっても大人であっても、若い人であっても高齢者であっても、男性であっても女性であっても、人であれば、人として扱われないことほど苦しいことはありません。
イエスほどの素晴らしいご人格の持ち主はありませんでした。イエスは愛とあわれみに満ちたお方でした。公平で、謙虚で、柔和でした。イエスほど知恵と力を持ったお方もありませんでした。その教えは万人に通用する権威ある教えでした。イエスは病人をいやし、嵐をしずめ、死人さえ生きかえらせたお方です。なのに、人々は、イエスの人格を否定し、その知恵や力さえも認めなかったのです。わたしたちは、そのことの中に、イエスの苦しみを見ます。そして、自らの救い主を疎外し、無視し、拒否することによって、自分の救いを失っている人間の罪を見るのです。
三、疎外された者の救い
イエスがエルサレムに行くとき、サマリヤを通り、サマリヤで宣教しようとしました。ところが、サマリヤ人はイエスを受け入れませんでした。そのとき弟子たちが、「主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」(ルカ9:54)と言いました。しかし、イエスはそれをたしなめ、別の道を通ってエルサレムに向かいました。イエスには、自分を受け入れなかった人々に天からの罰を与える権威、権利がありました。しかし、そうはなさいませんでした。イエスは弟子たちを伝道に遣わすとき、「もしあなたがたを迎えもせず、またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば、その家や町を立ち去る時に、足のちりを払い落しなさい」(マタイ10:14)といわれました。弟子たちに当然の権利として、そうしたことを教えたのです。ところが、ご自分は、ご自分を疎外し、無視し、拒否する人々に報復することなく、その痛み、苦しみをじっと背負われたのです。
なぜでしょう。それは、ご自分が疎外され、無視され、拒否されることによって、疎外され、無視され、拒否されている人々を救うためでした。実際、イエスが手を差し伸べた人々は、取税人、遊女、病人、障がい者、やもめ、女性、子ども、ガリラヤの人々、サマリヤの人々といった、当時のユダヤの社会では人々から疎外されていた人々でした。イエスは、だれであっても、決してみかけで判断なさらず、人をそれぞれかけがえのない人格として重んじられました。イエスのもとに来た人々は、例外なく、イエスに受けいれられました。
しかし、イエスご自身は、人々に受けいれられませんでした。弟子たちでさえ、イエスを見捨てました。人々は、死刑囚のバラバとイエスの「どちらをゆるしてほしいか」と総督にきかれたとき、「バラバをゆるせ。イエスを十字架につけろ」と叫びました。人々は、神の御子、救い主を、強盗よりも悪い人間、いや人間以下のものとしてしりぞけたのです。そして最後にイエスは神からも見捨てられました。十字架で「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)と叫ばれたとき、イエスはほんとうに父なる神から見捨てられたのです。人が神から斥けられる。これこそ究極の「疎外」です。しかし、イエスがこの究極の「疎外」を味あわれたのは、それによって、神から遠く離れている人々を、神のもとに連れ戻すためだったのです。
聖書は言います。「虫にひとしいヤコブよ、イスラエルの人々よ、恐れてはならない。わたしはあなたを助ける。あなたをあがなう者はイスラエルの聖者である。」(イザヤ41:14)救い主みずからが「人ではなく虫」のように扱われたのを耐え、神の前には「虫にひとしい者」を、あがない、救ってくだったのです。
イエスはその誕生のときから、人々に望まれず、歓迎されず、疎外されてきました。ルカは、救い主の誕生が天使によって知らされたのに、救い主を礼拝したのは羊飼いのほかなかったと言っています。マタイでは、東方の賢者たちがユダヤ人の王を拝みにきたのに、当のユダヤの人々はそのことを迷惑なことと考え、その存在を心の中から消し去ろうとしました。ヘロデ王は実際に剣でその命を奪おうとさえしたのです。ヨハネ1:10-11はこう言っています。「彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。」クリスマスは喜びのときなのに、じつに悲しい言葉です。
しかし、聖書は続けてこう言います。「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」クリスマスは、イエス・キリストを「救い主、また主」として、自分の心に、生活に、人生に受け入れるときです。神の子どもとして生まれ、愛する子どもとして神に受け入れられていることを喜ぶ日です。わたしたちの霊的な誕生、また信仰のリニューアルがあってはじめて、わたしたちは御子の誕生を祝うことができるのです。
パウル・ゲルハルトが書いた賛美はこう歌っています。
わが救い主よ今こそわれをきょうは、メッセージの最後の祈りをこの賛美に替えたいと思います。この賛美を、たんに音楽としてではなく、わたしたちの心からの祈りとして、主にささげましょう。
主イェスのまぶねとなさしめたまえ
来ませ今来ませまことの喜び
宿りたまえや
12/24/2017