19:1 それからイエスは、エリコにはいって、町をお通りになった。
19:2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
19:3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
19:4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。
19:5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
19:6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。
19:7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた。」と言ってつぶやいた。
19:8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
19:9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
19:10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
きょうの聖書を劇にしたものを最初に観ましょう。
(第一場…中央にザアカイの家、右手にアンナの家)みなさんは、何か大切なものを失くしたことがありませんか。とても気にいっているマスコットを失くした。帽子を失くした。財布を失くした。車の鍵を失くした。そんなときは一所懸命探しますね。そして、見つかったら、大喜びをします。ザアカイの喜びは、失くしたものを見つけた喜びでした。
ザアカイは何を失くしたのでしょうか。第一に神様を信じるこころを失くしました。ザアカイはまことの神様を知っているユダヤの人でしたから「神様なんているものか」とは思わなかったでしょう。けれども、実際は、神様がいらっしゃらないかのような生活をしていたのです。神様に頼るよりもお金に頼りました。お金があったら何でも手に入ると思っていました。でも、ザアカイには、お金があっても喜びはありませんでした。神様を信じるこころを失くすと、人はとても寂しく、悲しいこころになるのです。
第二にザアカイはたましいのいのちを失くしました。神様は私たちに二種類のいのちをくださいます。ひとつはからだを動かすいのちです。このいのちがあるので、心臓が動き、肺が呼吸をし、脳に血液を送り、酸素を送ります。そして脳はその神経を通してからだを動かすのです。もうひとつのいのちは、私たちのたましいを生かすいのちです。このいのちは、からだのいのちが無くなっても無くなることなく、残ります。からだのいのちはどんどん減っていくのですが、たましいのいのちはどんどん増えていくものなのです。からだのいのちが終わっても、たましいのいのちを持っている人、それを育てている人は、神様とともに生きつづけることができます。聖書はそれを「永遠のいのち」と呼んでいます。ザアカイは、とても残念なことですが、この神様からのいのちを持っていませんでした。
第三に、ザアカイは自分を失くしていました。ほんとうの自分を見失っていたのです。神様のことなんかどうでもよい。たましいのことなんかより、おいしいものをいっぱい食べて、楽しいことをたくさんできればそれでいい。他の人をいじめても、みんなから嫌われてもかまわない。それがザアカイの生き方でしたが、ザアカイはそんな人間になるために生まれてきたのではありません。すべての人は「神のかたち」に造られました。神様の持っている美しいこころ、やさしいこころ、そしてきよいこころを持つようにと、神様は人間を造られたのです。でも、私たちはそうしたものを失くしてしまいました。
しかし、ザアカイはイエスさまによって、神様を信じるこころを取り戻し、新しいいのちをいただき、自分を取り戻したのです。イエスさまは言われました。「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」どこから来られたのですか。天から、父なる神様のもとからです。イエスさまは、神様のもとから離れていた私たちを救うため、ご自分も天を離れ、神様から離れている人々のところにまで来てくださったのです。そればかりでなく、罪の奴隷になっていた私たちを買い戻すため、イエスさまは十字架でご自分のいのちをささげてくださいました。イエスさまは、十字架の死から三日目に復活され、その復活のいのちを私たちにも分け与えてくださるのです。そしてイエスさまの福音は今、全世界に伝えられています。部屋の中で何かを失くしたら明かりをつけて探すでしょう。そのように聖書のことばは私たちを照らし、自分を取り戻させてくれるのです。
「ザアカイは大喜びでイエスを迎えた」と聖書にあるように、ザアカイはイエスさまを見つける喜び、イエスさまに見つけていただく喜びを味わいました。あなたも同じ喜びを自分のものにしませんか。
(祈り)
天の父なる神様。ザアカイが大喜びでイエスさまを迎え入れたように、私たちも、イエスさまをこころと生活にお迎えし、あなたのもとに立ち返る喜びを与えてください。イエスさまが「ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです」と言われたように、あなたは私たちがあなたのもとに立ち返るのをどんなに喜んでくださることでしょうか。あなたの喜びをいただき、あなたとともに喜ぶ私たちとしてください。主イエスのお名前で祈ります。
11/7/2010