ひつじかいとまいごのひつじ

ルカ15:1-7

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15:1 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。
15:2 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」
15:3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。
15:4 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
15:5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、
15:6 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。
15:7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。
 
 一、羊の名を知る羊飼い
 
 ジョナサンは、元気な男の子です。今日は、ジョセフ叔父さんのところで、羊の世話をすることになりました。
 「おじさん、こんにちは。」
 「ジョナサンか。良く来たね。今日は、叔父さんといっしょに、羊の世話をしてくれるんだって。ありがとう。今日は、遠い野原まで、羊を連れていくから、家に帰るのは遅くなるよ。きょうは、叔父さんの家に泊まっていって、明日の朝、帰りなさい。」
 「うん、ジョセフ叔父さん。お母さんにそう言ってきたから大丈夫だよ。」
ジョナサンは、初めて羊の世話をするので、わくわくしています。ジョセフ叔父さんは、ジョナサンを羊の檻につれて行きました。檻には羊がいっぱいいました。
 「わぁ、叔父さん、羊がいっぱいいるね、どれぐらいいるの。」
 「うん、この間、子どもが生まれてね、ちょうど百匹になったんだ。」
 「へぇ、そうなの。数えてみよう。一匹、二匹、三匹、…、あれ、あれ、みんな動き回っているから、数えられなくなっちゃった。」
 「ジョナサン、そんなふうに数えるんじゃないよ。檻から一匹づつ、出してやりながら、数えるんだよ。」
 「ああ、そうか。叔父さん、ぼくにやらせて。一匹、二匹、…、あれ、羊が檻から出てこないよ。」
 「ジョナサン、その羊は『一匹』って名前じゃないからね。羊にはみんな名前がついているんだ。その羊は、大きいから『ビッグ』っていうんだ。次は、色が白いから『ホワイト』、次は、ほら、すこし、黒い点があるだろう、だから『スポット』というんだ。」
 「そうなんだ。叔父さんは、いつも、羊を名前で呼んでいるんだね。」
 「そうだよ、百匹全部に名前がついているんだ。」
 「へぇ、ぼくには、どの羊もみんなおんなじに見えるけど、叔父さんには、見分けがつくんだね。」
 「そりゃそうだよ。叔父さんはいつも羊といっしょにいるからね。一目見ただけで、今日はビックは元気がないな、ホワイトは足を痛めたようだなって、すぐわるんだよ。」

 こうやって、ジョセフ叔父さんは、ビッグ、ホワイト、スポットからはじめて、羊を一匹、一匹その名前で呼んでは、背中や頭をなでてあげて、
 「さあ、おいしい草を食べておいで。冷たい水を飲んでおいで。」
と言って、檻から出してあげました。

 みなさん、聖書にはね、ぼくたち、わたしたちは、みんな羊で、イエスさまが羊飼いだって書いてあるんですよ。ぼくたち、わたしたちの羊飼いであるイエスさまは、ひとりひとりの名前をちゃんと知っていて、
 「一郎くん、二郎くん、三郎くん、かえでちゃん、すみれちゃん、ゆりちゃん」
と言って呼んでくださるんですよ。ヨハネ10:3に
 「彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。」
と書いてあります。イエスさまは、ぼくたち、わたしたちの名前だけでなく、ぼくたち、わたしたちのことは、心の中まで、何でも知っておられます。つらいことがあっても、いやなことがあっても、イエスさまによって、神さまにお祈りすると、神さまはそのことを聞いてくださるのです。イエスさまがぼくたち、わたしたちの気持ちを知って元気を与えてくださるって、素晴らしいことですね。
 
 二、羊を導く羊飼い
 
 ジョセフ叔父さんは、ほとんどの羊を檻から出しましたが、あと一匹だけ残っていました。それが、最近生まれた羊で、まだ小さいので、叔父さんは「チビ」という名前をつけていました。叔父さんが
 「チビやおいで。野原に行くんだよ。」
というと、チビはぴょんぴょんはねて、羊の群れの中に入っていきました。もう檻には一匹の羊も残っていません。百匹の羊は全部檻の外に出ました。ジョセフ叔父さんは、ジョナサンに言いました。
 「叔父さんが、先頭に立っていくから、ジョナサンは、うしろから見守っておくれ。とくに、チビは、あっちに行ったり、こっちに行ったりするから、気をつけてね。」
ジョナサンは元気良く、
 「叔父さん、わかったよ。まかしておいて。」
と言って、羊の群れを追っていきました。

 イスラエルの国では、どこにでも草があって、水があるわけではありません。石ころだらけのところもあれば、藪が生い茂っているところもあります。あてずっぽうで野原に出かけて行っても、そこにおいしい草があるわけではありません。でも、ジョセフ叔父さんは、最近どこに雨が降って、そこに草が伸びているか、どこに川ができているかを良く知っていました。ですから、叔父さんは、羊の先頭に立って進むのです。そして羊は羊飼いの叔父さんについていくのです。羊は自分で、草や水を見つけることはできません。でも、叔父さんのあとをついていけば、かならずおいしい草を食べ、水を飲むことがでるのです。

 イエスさまは、ぼくたち、わたしたちの羊飼いでしたね。イエスさまは私たちに、おいしい草やきれいな水をくださるのです。みなさんは、
 「ぼくは草なんか食べないよ」
と言うかもしれませんが、それは、私たちのこころのごはんのことです。ごはんを食べないと、おなかがすいて、からだの力が抜けてしまうように、ぼくたち、わたしたちも、イエスさまがくださるこころのごはんを食べないと、きれいなこころ、やさしいこころ、強いこころでいられなくなります。こころのごはんは神さまのことばです。神さまのことばをいっぱいいただいて、強くてやさしい人になってくださいね。聖書は
 「彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。」(ヨハネ10:4)
と言っています。イエスさまの声をしっかり聞いて、イエスさまについていきましょう。
 
 三、羊を探す羊飼い
 
 羊が草を食べている間、叔父さんとジョナサンも、いっしょにお弁当を食べました。ビッグもホワイトもスポットもみなおいしそうに草を食べていました。でも、チビだけは、はじめて、こんなに広いところに来たので、あっちに行ったり、こっちに行ったり、ちっともじっとしていません。チビがみんなから離れていこうとすると、ジョセフ叔父さんは、チビの行こうとするところに、ピューと石を投げます。すると、チビはおどろいて、引き返すのです。ジョナサンも、叔父さんの真似をして石を投げてみましたが、石は、遠くまで届かず、
 「メェ〜、ヘタクソ〜」
と羊たちに笑われてしまいました。

 「さあ、暗くならないうちに家に帰ろう。」
叔父さんにそう言われて、ジョナサンも立ち上がり、羊を追って、家に向かいました。羊の先頭にいる叔父さんから、
 「ジョナサン、チビはいるかい。」
という声がありました。ジョナサンは、大きい羊たちの中に、小さい羊が混じっているのを見て、
 「大丈夫だよ、おじさん。チビはいるよ。」
と答えました。野原ではあんなに暖かかったのに、少し日が傾くと、谷あいの道は、日陰になり、冷たい風が吹きつけてきました。黒い雲が出てきて雨がふりそうでした。

 家に着くと、ジョセフ叔父さんは、また、羊を一匹づつ、頭をなでてあげたり、背中をさすってやったりしながら、檻に入れました。
 「ビッグや、今日はいい子だったね。」
 「ホワイト、今日は、ちょっと食べ過ぎだぞ。」
 「スポット、長い道のりをごくろうさま。」
 「さて、これで、みんな帰ってきたね。明日の朝まで、ゆっくりお休み。」
と言おうとして、叔父さんは、チビがいないのに気がつきました。どこかに隠れているのかなと思い探しましたが、どこを探してもいません。百匹いた羊が、一匹足りません。九十九匹しかいないのです。

 ジョナサンは、一瞬顔が真っ青になりました。
 「チビは、他の羊といっしょにいたよ。ぼく、見たんだ。」
と言おうとしましたが、ジョナサンの見たのは、チビではなく、他の子羊だったのです。
 「ジョセフ叔父さん、ごめんなさい。ぼくがちゃんと見ていなければいけなかったのに。」
ジョナサンはそう言って叔父さんに謝りましたが、叔父さんは
 「ジョナサン、心配いらないよ。叔父さんは羊飼いだ。チビがどこにいるか、見当はつくし、叔父さんはチビの鳴き声が分かるからね。すぐ帰ってくるから、ここで待っているんだよ。」
そう言って、ジョセフ叔父さんはもう暗くなった家の外に飛び出していきました。昼間はあんなにいいお天気だったのに、夜になってぽつり、ぽつりと雨が降り出しました。

 ジョナサンは、叔父さんが帰ってくるまで、気が気ではありませんでした。叔父さんが暗くて濡れた道でころんでいないだろうか。チビを探すために、藪に入って茨で怪我をしないだろうかと心配でした。
 「チビや、どこにいるんだい。」
と呼んでいる叔父さんの声が聞こえるようでした。叔父さんはいつもジョナサンに優しくしてくれていましたが、それぐらいにチビのこともかわいがっているんだなあ、ビッグもホワイトもスポットも、叔父さんはほんとうに羊たちの一匹一匹をかわいがって、誰がいなくなっても、探しにいくだろうなあと考えていました。

 ぼくたち、わたしたちの羊飼いイエスさまも、神さまから離れたぼくたち、わたしたちを、
 「どこにいるんだい。神さまのところに帰っておいで。」
と探してくださるのです。イエスさまはある時、
 「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)
と言われました。羊飼いは、羊を探すために、怪我をすることがありますが、イエスさまも、私たちが神さまに立ち返るために、鞭で打たれ、傷つけられ、十字架の上で命までも投げ出してくださいました。聖書は
 「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」(イザヤ53:5-6)
と言っています。
 
 四、見つかった羊を喜ぶ羊飼い
 
 ジョナサンが、叔父さんはどうしたんだろう、チビは見つかっただろうかと心配しながら待っていましたら、そのうち雨がやみました。そして、なんだか家の外が騒がしくなってきました。どうしたんだろうと思ってそっと戸をあけてみると、近所の人たちがみんな広場に出て、ワイワイガヤガヤ言っています。そこに、ずぶぬれになった叔父さんが立っていました。チビもいっしょでした。
 「ヤッター、ジョセフ叔父さんはチビを見つけてくれた。」
近所の人たちも、みんなチビが見つかったので大喜びでした。叔父さんには九十九匹の羊がいました。でも、いなくなっていた一匹のために、みんなが喜びました。

 イエスさまは、おっしゃいました。
 「それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」
おとなもこどももすなおな心で、
 「イエスさま、わたしは迷って、帰る道がわからないでいます。わたしを助けて、神さまのところに連れていってください。わたしのきたない心をきれいにするためにイエスさまが十字架にかかってくださったことを信じます。今も生きておられるイエスさま、どうぞ、わたしの心の中に入って、わたしを導いてください。」
と祈るなら、天に大きな喜びがあるのです。
 
 (祈り)
 
 父なる神さま、私たちは迷子の羊のようにさまよっていましたが、今は、たましいの牧者である方のもとに立ち返ることができました。神さま、あなたは、ひとりでも悔い改めてあなたのもとに立ち返る者があるなら、そのことを喜んでくださるお方です。あなたの喜びがもっと大きなものになるように、また、私たちもその喜びにあずかることができるように、私たちに日ごとの悔い改めを与え、また、人々に神への悔い改めとイエス・キリストへの信仰を身をもって示す者としてください。私たちの羊飼いイエス・キリストのお名前で祈ります。

11/7/2004