1:39 そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、
1:40 ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。
1:41 エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、
1:42 声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。
1:43 主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。
1:44 ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。
1:45 主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。
一、御言葉を受け入れたマリヤ
クリスマスの物語は、マリヤが天使から、神の御子をみごもるという知らせを聞いたことからはじまります。天使はマリヤに「恵まれた女よ、おめでとう」(ルカ1:28)と言いましたが、天使がマリヤに告げたことは、人間的に考えるなら、決してめでたいことでも、うれしいことでもありませんでした。むしろ、恐ろしいことでした。当時のユダヤの国では、未婚の女性が妊娠した場合、人々の前に引き出されて石で撃ち殺されたのです。マリヤもそのことはよく承知していました。しかし、マリヤは「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです」(ルカ1:30)との言葉に励まされました。「神には、なんでもできないことはありません」(ルカ1:37)との言葉を信じました。待ち受けている苦しみよりも、その苦しみを変えて恵みとしてくださる神を信じたのです。そしてこう言いました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように。」(ルカ1:38)
数多くの女性の中で、マリヤが神の御子の母となるという恵みを得たのは、神の選びによるものです。しかし、マリヤが素直に、また、恐れることなく神の選びを受け入れた、その信仰はやはり素晴らしいものだと思います。
二、御言葉を確認したマリヤ
天使のお告げを聞いたマリヤは、すぐに、親戚のエリサベツのところに行きました。エリサベツは妊娠して六ヶ月になっていたので、メイドサーバントとなってエリサベツに仕えるためでした。エリサベツは親戚とはいえ、マリヤにとっては女主人にあたりますから、マリヤはエリサベツに「どうぞ、よろしく」と深々と頭を下げたことだろうと思います。ところが、エリサベツは、自分よりうんと年若いマリヤの前に、ひざまずかんばかりにして、こう言ったのです。「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。(ルカ1:44-45)
マリヤが自分の身に起こったことを一言も語らない先に、エリサベツは、やがてマリヤが神の御子を産み、主の母となることを知っていました。聖書にエリサベツが「聖霊に満たされた」(ルカ1:41)とあるように、聖霊が、エリサベツにすべてのことを教えたのです。マリヤはエリサベツの言葉にたいへん驚いたことでしょう。しかし、同時に、エリサベツの言葉によって、自分に与えられた神の言葉をより一層確信したに違いありません。
エリサベツはまた、マリヤにこう言いました。「主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう。」(ルカ1:45)エリサベツがマリヤにこう言うことができたのは、エリサベツもまた神の言葉を信じる人だったからです。神の言葉を信じる人は、おなじように神の言葉を信じる人のことが分かるのです。そして、神の言葉を信じる人々は、神の言葉によって共感しあい、神の言葉に導かれて、互いに励ましあうのです。
このマリヤとエリサベツの対話は、クリスチャンに与えられる「聖霊のまじわり」を表わしています。神の言葉によって語り合い、神のみこころを確認しあっていく、そんなまじわりです。それはたんにおしゃべりを楽しむとか、誰かに悩みを打ち明けて、スッとするとかいう以上のものです。わたしは、多くの信仰者との御言葉による対話によって、どんなにか教えられ、力づけられ、養われてきたかわかりません。これは御言葉を信じる者たちの特権です。わたしたちもこうした御言葉のまじわりをもっと求めていきたいと思います。そして、その中で養われていきたいと思います。
三、御言葉に生きたマリヤ
マリヤはこののち、自分の町、ナザレに帰り、マリヤを迎えるようにと示されていたヨセフと結婚しました。これによってマリヤが石打になるという危険は取り除かれました。神は、御言葉に従う者に必ず、守りを、助け手を与えてくださるのです。
マリヤとヨセフのふたりは人口調査のため、生まれ故郷のベツレヘムに帰り、そこで神の御子が生まれました。生まれたばかりの神の御子を礼拝するためにやってきた羊飼いたちも、天使のお告げを聞き、それを信じ、それに従ったのです。マリヤは、その夜の出来事をすべて「心に留め、思いめぐらして」いました(ルカ2:19)。マリヤは、天使のお告げを受けたときだけでなく、生涯を通して神の言葉に耳を傾けた人でした。
マリヤは、イエスがわが子でありながら、同時に神の御子であることを知り、信じていました。イエスが家を出て、宣教に立つときも、それを支えました。イエスはやがて大勢の弟子を持つようになりましたが、一番最初にイエスを信じ、イエスに従った弟子は母マリヤだったと思います。聖霊が降り、教会が始まったとき、マリヤもまた聖霊を受けて、初代教会で重要な役割りを果たしました(使徒1:14)。福音書の多くの部分は、母マリヤが神の言葉を心に蓄えていたからこそ、書くことができたのだと思います。
神の御子が人となって来られたのはただ一度限りの出来事です。神の御子を宿すという幸いは、マリヤにだけ与えられた特権でした。しかし、神を信じる者は、神の言葉を心に宿すことが出来るのです。「神の言葉を聞いてそれに従う」という幸いが与えられるのです。マリヤの信仰を通して救いが世界にやってきたように、わたしたちも神の言葉を信じるなら、その人生に、神の救いが届くのです。神は、わたしたちひとりびとりが、神の言葉を聞いて信じ、信じて従うという幸いを得るようにと願っておられます。イエスご自身が「いや、めぐまれているのは、むしろ、神の言を聞いてそれを守る人たちである」(ルカ11:28)と言っておられます。
クリスマスごとに語り継がれるマリヤの物語は彼女ひとりのものではありません。マリヤのように神の言葉を聞き、信じ、従うすべての人にも実現するのです。このクリスマス、イエス・キリストのお生まれを告げるグッドニュースに耳を傾けてください。神の言葉に聞き、信じる幸いを受け取ってください。
(祈り)
父なる神さま、今から二千年前、あなたは御子イエスをわたしたちの救い主として送ってくださいました。最初に天使たちが告げた、このよい知らせは、今も聖書を通して、わたしたちに告げられています。どうぞ、わたしたちを、このよい知らせを聞いて信じる者としてください。神の言葉を信じる幸いを、わたしたちに与えてください。御子イエスのお名前で祈ります。
12/20/2015