11:23 信仰によって、モーセは生まれてから三か月の間、両親によって隠されていました。彼らがその子のかわいいのを見、また、王の命令を恐れなかったからです。
11:24 信仰によって、モーセは成人したときに、ファラオの娘の息子と呼ばれることを拒み、
11:25 はかない罪の楽しみにふけるよりも、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。
11:26 彼は、キリストのゆえに受ける辱めを、エジプトの宝にまさる大きな富と考えました。それは、与えられる報いから目を離さなかったからでした。
前回はヨセフの信仰から学びました。エジプトの支配者となったヨセフは、やがて来る大きな飢饉に備えました。それで、飢饉の時にもエジプトには豊かな食糧がありました。ヨセフは父ヤコブと一族をエジプトに迎え、彼らを養いました。イスラエルはエジプトで増え広がり、大きな民族となりました。それまでイスラエルの人々はエジプトで自由を与えられていたのですが、エジプトにヨセフの業績を知らない王朝ができたとき、イスラエルはエジプトの奴隷となり苦しめられました。イスラエルが強くなるのを防ぐため、イスラエル人に男の子が生まれたら殺してしまえという命令さえ出されるようになりました。
一、両親の信仰(23節)
モーセが生まれたのは、ちょうどその時でした。モーセの両親は、モーセを三ヶ月の間隠して育てたのですが、ついに隠し切れなくなり、モーセを籠に入れてナイル川に流しました。しかし、神の特別なはからいによって、モーセはエジプトの王女に拾われ、エジプトの宮廷で王女の子として育てられることになりました。
歴史によると、エジプトのファラオ、トトメス三世の姉ハトシェプストは、ファラオに並ぶ力があってエジプトの女王として君臨したことがあります。彼女は、諸外国の王子たちを集め、彼らに教育を施して、それぞれの国に送り返したことで知られています。そうすることによって、近隣の国々が「親エジプト」になることを狙ったのです。聖書にある「王女」がハトシェプストである可能性は高いので、モーセは、エジプトで高度な教育を受け、諸外国の王子たちを通して、諸国の状況にも詳しい知識も持っていました。
このように、モーセはエジプトの宮廷で育てられましたが、彼にはイスラエル人の血が流れ、たましいにはイスラエルの神への信仰が宿っていました。モーセが王女に拾われたとき、姉ミリアムの機転によって、実の母ヨケベデがモーセの乳母となり、幼いモーセを育てたからです。その後も、モーセは自分の家族との交流を許されていたと思われます。ヘブル人への手紙は、「信仰によって、モーセは生まれてから三か月の間、両親によって隠されていました。彼らがその子のかわいいのを見、また、王の命令を恐れなかったからです」(23節)と、両親の信仰を語っていますが、それは、モーセの信仰が、父アムラム、母ヨケベデから、兄弟アロンや姉妹ミリアムと共に受け継ぎ、養われたものであることを教えています。
両親がクリスチャンだから子どもも自動的にクリスチャンになるのではありません。信仰は、一人ひとりが自分の意志で「イエス・キリストは主です」と言い表して持つものです。けれども、信仰者の家族に生まれた人は、そうでない人よりも、恵まれていると思います。信仰者の家庭には、御言葉があり、祈りがあり、賛美があるからです。幼い子どもは、神がおられること、神が自分を愛しておられることを直感で知っています。神に語りかけ、神からの語りかけを聴く素直で柔らかい心を持っています。大人が思う以上に、子どもは神を知り、体験しているのです。
イエスは、そうした子どもたちの信仰を大切にされました。人々が小さな子どもたちをイエスのところに連れて来ようとするのを、弟子たちが妨げたことがありました。マルコ10:13には、「イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた」とあります。イエスが弟子たちに対して「憤った」と書かれているのは、この箇所以外にありません。イエスはそれほどに子どもたちを愛しておられました。そして、こう言われました。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。」
現在子どもたちが受けている教育は、残念ながら、アメリカでも、「神はいない」という前提に立ったものです。子どもたちは週5日、そうした教育を受けており、神についてほとんど何も学ぶことがないのです。よく、「信仰は親が押し付けるものではない。子どもが自分で選ぶものだ」と言われます。そうかもしれませんが、子どもが正しく選択できるためには、信仰の知識が必要です。5日間の信仰を教えない教育と、たった1日、日曜日だけの信仰の教育とでは、「5対1」で、圧倒的な差があります。もし日曜日にも神の言葉に触れることがなければ、「5対0」の比率になります。そんなことで、子どもたちが正しい選択ができるのでしょうか。
子どもを持っている人も、持っていない人も、子どもたちがイエスのもとに導かれるよう祈ってあげましょう。クリスチャンの家庭から来ていない子どもたちのためには、教会がその子どもたちの家族になってあげる必要があります。サンデースクールの教師たちはそうした子どもたちの霊的な父親、母親になり、ユースワーカーはビッグブラザーになって、一緒に遊んだり、学んだりしながら、迷いやすい年代の若者たちを支えてあげることができます。今は「一人っ子」が多いので、教会で同世代の子どもたちと一緒に過ごすことは、どんなに益になるか分かりません。家庭的に恵まれない子どもたちも増えています。そうした子どもたちにとって、教会が癒やしの場所になるようにと、もっと祈りたいと思います。
二、モーセの選択(24-26節)
さて、モーセは40歳になったとき、大きな信仰の選択を迫られました。使徒7:23に、「モーセが四十歳になったとき、自分の同胞であるイスラエルの子らを顧みる思いが、その心に起こりました」とある通りです。ヘブル11:24には「信仰によって、モーセは成人したときに…」とあるので、それは40歳ではなく、もっと若いころだろうと、私も思っていました。けれども、「成人した」と訳されているところには μέγας(メガス)という言葉が使われていて、これには「偉大である」、「大きい」、「地位が高い」などの意味があります。ですから、「大いなる者になった」と訳すこともできます。おそらく、モーセは40歳になったとき、役職を与えら、高い地位に就き、「大いなる者になった」のでしょう。そして、イスラエルの民の視察に行ったのだと思われます。彼がそこで見たのは、自分の民が奴隷となって重労働にあえぎ、エジプト人から打たれ、苦しめられている姿でした。それを見てモーセは、ファラオの娘としての身分や勝ち取った地位、そして、それらによって得られる栄誉や楽しみといったものよりも、自分の民族、いや、神の民とともに苦しむことを選び取ることを決意したのです(24-25節)。
26節には、「彼は、キリストのゆえに受ける辱めを、エジプトの宝にまさる大きな富と考えました。それは、与えられる報いから目を離さなかったからでした」とあります。ここに「キリスト」とありますが、イエスが生まれたのはモーセから1400年も後です。しかし、イエスは「キリスト(救い主)」として世においでになる前から「神の御子」として、存在しておられました。イスラエルをご自分の民として選ばれたのは、父なる神ですが、父なる神は御子を神の民のかしらとされました。ですから、神の民とともに苦しむことは、キリストのために苦しむことであり、神の民のゆえに辱めを受けることは、キリストのゆえに辱めを受けることになるのです。
モーセが「キリストのゆえに受ける辱めを、エジプトの宝にまさる大きな富と考え」たのは、そこには報いがあることを信じ、「与えられる報いから目を離さなかったから」でした。ヘブル11:6に「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです」とありますが、モーセはこの言葉の通りに信じたのです。聖書はいたるところで、キリストのための苦しみには報いがあることを教えています。ペテロ第一1:6-7には「今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします」とあります。モーセは、エジプトが与えるこの世の宝や一時的な楽しみではなく、キリストによって与えられる天の宝、永遠の栄光を選びとったのです。
しかし、モーセは、この信仰の選択を持続することができませんでした。モーセは、イスラエル人を打ち叩いたエジプト人を殺し、その死体を砂に埋めて隠しました。モーセは、神が、彼の手によってイスラエルを救い出してくださるという自覚を持っていましたが、そのことを自分の力でやろうとし、一時的な感情から殺人を犯してしまったのです。そして自分の犯した罪が人々に、また、ファラオに知られるのを恐れ、エジプトからミディアンの地へと逃亡してしまいました。
彼はミディアンの地で羊飼いとして暮らし、家庭を持ちました。エジプトの同胞の苦しみや自分に与えられた使命を忘れてしまったかのようでした。しかし、神はモーセを覚えておられました。モーセを見離さず、見捨てませんでした。ミディアンでの40年ののち、神は「燃える柴」の中からモーセに語りかけてくださいました。神は、いちど失敗したモーセに、再び信仰の選択の機会を与えてくださったのです。モーセにとってミディアンでの40年は、過去の失敗に縛られたものでしたが、神は、モーセに過去を引きずって生きるのでなく、新しい出発をするよう迫られたのです。かつてのモーセにとってエジプトの宮廷での生活は確かに誘惑でした。けれども、今は、ミディアンでの生活が誘惑となっていました。そこにはエジプトの宮廷のような華やかさはありませんが、それなりの平穏があり、離れがたいものがありました。また、モーセには「何をいまさら…」といった思いもあったでしょう。しかし、神はモーセを「コンフォタブル・ゾーン」から引っ張り出し、「あなたをエジプトに遣わす」と言われました。信仰とは、しばしば、「居心地の良い場所」から一歩外に出ることでもあるのです。モーセはもういちど、神の民とともに苦しむこと、キリストの辱めを受けることを選んだのです。そして、それから後は、生涯、信仰の道を歩み通しました。
この時のモーセはもはやファラオの娘でも、エジプトの官僚でもありませんでした。40歳の壮年ではなく80歳の老人になっていました。モーセには人間的な力は何もありませんでした。しかし、彼には、神がともにおられました。40歳の時とは違って、自分の力で何かができるとは考えず、ただ神を仰ぎ、神の力に頼りました。D. L.ムーディは、モーセの生涯についてこう言っています。「最初の40年間、彼は自分が何者かであると思っていた。次の40年間、彼は自分が何者でもないことを学んだ。そして、残りの40年間、彼は神が何者でもないものを用いてくださることを見出した。」ミディアンでの40年も、モーセにとっては無意味ではなかったのです。
モーセは最初の40年をエジプトの宮廷で過ごし、その栄華の中にいましたが、最後の40年は、神の栄光の中にいました。彼は神の全能の手がイスラエルを救うのを見ました。シナイの山で神と顔と顔とを合わせて神の言葉を受け取りました。神の栄光が幕屋に満ちるのを見ました。荒野の旅の間中、昼は雲の柱、夜は火の柱で導き続けてくださった神の栄光を仰ぎ続けることができたのです。それらはみな、彼の信仰の選択の結果でした。私たちも神の栄光のために生きる道を選ぶなら、モーセのように神の栄光を見、それに与ることができるようになるのです。
(祈り)
父なる神さま、信仰とは、あなたを選び取ることです。様々な選択の場面で、私たちが正しくあなたを選ぶことができるよう助けてください。あなたの栄光のために生きることを選び、あなたの栄光を見、それに与る者としてください。イエス・キリストのお名前で祈ります。
3/19/2023