2:11 ところが、ケパがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。
2:12 なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。
2:13 そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。
2:14 しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。
2:15 私たちは、生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。
2:16 しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
10月31日は宗教改革記念日です。マルチンルターをはじめとする宗教改革者たちは福音の真理がゆがめられていることに心を痛め、真理を愛する思いから、真理を守るため、福音の真理をそこなおうとするものと戦いました。ルターもそうでしたが、多くの改革者たちは、パウロが福音の真理を守るために心を込めて書いたガラテヤ人への手紙から多くを学び、また力を得ました。それで、私たちも、今月はガラテヤ人への手紙から学んでいます。
一、真理によるまじわり
今朝の箇所には、使徒パウロが、福音の真理を守るために、安易な妥協をしなかったこと、使徒ペテロにさえ立ち向かったということが書かれています。
11節に「ケパがアンテオケに来たとき」とありますが、「ケパ」というのはペテロの別の名前です。「ペテロ」というのはギリシャ語で「岩」という意味ですが、それはアラム語で言えば「ケパ」となります。それで、アラム語で話すユダヤ人の間では、ペテロは「ケパ」と呼ばれていました。「ケパがアンテオケに来た」というのは、ペテロとパウロの間に主にあるまじわりがあったことを意味しています。パウロは、ガラテヤ1:18で言っているように、回心してから三年目にペテロに会っています。その時15日間いっしょにいたと言っています。ほんの短い期間でしたが、おそらくペテロとパウロは、その時、お互いの信仰がひとつであることを確認しあったことだろうと思います。それ以来、14年間パウロとペテロは会っていません。しかし、14年後にエルサレムで再会した時、お互いに手をとって主にあるまじわりを確認しあっています(ガラテヤ2:9)。主にあるまじわりというのは、長くいっしょにいたから深められる、いつもいっしょにいるから強められるというだけのものでないことがわかりますね。たといほんの僅かしかいっしょにいなかったとしても、またそれ以来互いに別々のところに住み、別々の働きをし、いっしょになることがなかったとしても、再会した時には、まるで長い年月を感じさせないような親しいまじわりができるのです。私たちは、この夏、日本で親しくしていた宣教師をオレゴンに訪ねました。十数年ぶりの再会でしたが、まるで昔に戻ったように感じました。私たちは口をそろえて「時間が止まっていたような感じですね。」と言い合ったものですが、皆さんも同じような体験をなさったことがあるかと思います。
14年ぶりにペテロとパウロが会った時、ペテロが割礼を受けた者、つまりユダヤ人への伝道をし、パウロが割礼を受けない者、つまり異邦人への伝道をするということが確認されました(ガラテヤ2:7-8)。主にあって一致するというのは、みなが同じことをするというのではありません。それぞれの違った役割をお互いに認め合っていくのが、主にあるまじわりです。ペテロとパウロは、それぞれの使命と、働きの分野を認め合い、共に主のために働くことを確認しあいました。このようにペテロとパウロは主にあるまじわりを固く保っていました。
ところが、アンテオケで、ペテロとパウロのまじわりを壊そうとする出来事がおこりました。当時、ユダヤ人が異邦人の仲間に入ったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことと考えられていました。ユダヤには厳しい食べ物の規定があって、異邦人と一緒に食事をすることは、異邦人の汚れに触れると考えられていたのです。けれどもペテロは、神からの幻によって、「どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないこと」(使徒10:28)を示され、異邦人ともまじわるようになっていました。12節にある「いっしょに食事をしていた。」というのは、教会の愛餐や聖餐を意味しています。ペテロはアンテオケで異邦人クリスチャンとのまじわりの中に入っていったのですが、「ある人々がヤコブのところから来る」と、そのまじわりから身を引いていったのです。この「ある人々」というのは、割礼派の人々のことです。彼らが「ヤコブのところから」来たというのは、エルサレム教会の指導者ヤコブが割礼派であったとか、彼らを派遣したということではなく、割礼派の人々がヤコブの名前を使い、彼の権威を傘に着てやってきたという意味でしょう。おそらくペテロは、無用なトラブルを避けるために、異邦人クリスチャンとのまじわりから身を引いたのですが、それは割礼派に妥協することになってしまったのです。
皆さんがペテロだったら、どうしたでしょうか。「私は妥協しなかった。」と言うことができるでしょうか。回りの人からどんな影響も受けないというような人は誰もいないでしょう。私たちは回りにいる人から影響を受けます。優しい人と一緒にいれば優しくなれますし、暖かい人と一緒にいれば慰められます。落ち着いた人と一緒にいれば安心します。しかし、どこかに苦いものを持った人や不誠実な人と関わると、自分まで苦くなったり、今まで持っていたはずの誠実さや、善良さがかき乱されるのを感じることもあります。もし、回りに誰がいてもまったく変らないとしたら、そのような人は意志が強いというよりは、石のような冷たい心しか持っていないのかもしれません。ペテロは、優しく暖かい人でしたから、人一倍回りの人の影響を受けやすかったのでしょう。しかし、ペテロは岩でなくてはなりませんでした。彼には、石ころのように転がされるのでなく、動かない岩として真理を示しつづける使命がありました。しかし、この時のペテロはその使命を果たすことができませんでした。ルターは「このペテロの失敗は私たちを慰める。信仰の先輩が失敗もしないような人ばかりなら、私たちは自分のみじめさを覚えるばかりだが、ペテロでさえ失敗した。しかも主はその人を用いてくださったことに、私たちは励まされる。」と言っています。ペテロのような人でさえ失敗したのなら、私たちはもっと簡単に、同じ失敗をしかねません。ですからもっともっと主に頼らなくてはなりません。また、ペテロが自分の過ちをすぐに認めたように、私たちも、すぐに、素直に悔い改めるものになりたいと思います。
ぺテロの失敗は、クリスチャンのまじわりを壊し、福音の真理を脅かすことになりかねませんでした。それで、パウロは面と向かってペテロに抗議したのです。パウロは「みなの面前で」ペテロに抗議しましたが、もし、みなさんがパウロだったら同じようにしたでしょうか。「ペテロとの友情がこわれてしまう。」「ペテロに失礼なことをしたというので、自分が非難されてしまう。」「そんなにムキにならなくても、まあまあ仲良くすればいいのではないか。」と考えてしまうかもしれません。しかし、もし、パウロがペテロに抗議しなかったら、福音の真理が守られなかったばかりでなく、パウロはペテロとの本当の主にあるまじわりを失ってしまったでしょう。福音の真理を伝える者たちが、福音の真理を曲げたままで、まじわりを保つことはできないからです。福音の真理をまっすぐにする時、福音の真理を伝える者たちのまじわりもまたまっすぐなものになるのです。真理にもとづかないまじわりは、真理をも互いの関係をも損なうものになりますが、真理にもとづくまじわりは、真理によって育てられ、豊かなものとなっていきます。パウロはローマ15:14で「私の兄弟たちよ。あなたがたが善意にあふれ、すべての知恵に満たされ、また互いに訓戒し合うことができることを、この私は確信しています。」と言っています。「善意」と「知恵」が伴わなければ、それは「訓戒」ではなく「攻撃」になってしまいます。私は「善意にあふれ、すべての知恵に満たされ、また互いに訓戒し合うこと」ができるまじわりが、教会に育っていくようにと心から願っています。
二、真理に生きる
ペテロ自身が「異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いる」ようなことをしたわけではないのに、パウロはペテロに「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。」(14節)と言っています。パウロは、割礼派の人々に妥協するなら、割礼派の人々が「異邦人も割礼を受け、ユダヤの戒律を守ってユダヤ人のようにならなければならない。」と教えているのを認めることになり、やがては、「異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いる」ことになってしまうと言いたかったのです。15節の「私たちは、生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。」というのは、ユダヤ人に罪がないというのではなく、ユダヤ人が「自分たちはまことの神を信じ、律法を守っている。偶像を拝み、律法を守らない異邦人とは違う。」と誇っていたことばをそのまま使っただけのことです。16節に「しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。」とありますが、ここでパウロが言いたかったのは、「私たちはユダヤ人として生き、律法を守ってきた。しかし、ユダヤ人だからというので、罪が赦されたわけではなかった。律法を守り行ったからといってそれで神の前に正しいと認められたわけではなかった。私たちは、お互いに自分の罪に苦しんできたではないか。その罪から、救われたのは、イエス・キリストを信じたからではなかったのか。ユダヤ人であっても、律法によっては救われないのなら、なぜ、異邦人に律法を強要するのか。」ということだったのです。パウロがこのようにペテロに抗議したのは、福音の真理が、単なる聖書解釈の問題やユダヤ人と異邦人の文化の違いなどというようなものではなかったからでした。福音の真理が単なる学問上、論理上のことなら、パウロは、こうまでこだわらなかったでしょう。「人はイエス・キリストを信じる信仰によって救われる。」というのは、単なる理論ではなく、それによってパウロ自身が、罪の赦そ確信し、神の前に生かされていた真理でした。パウロにとってこの真理を否定することは、自分の救いを否定することだったのです。パウロは福音の真理に生かされ、それに生きていたからこそ、その真理を命をかけて守ろうとしたのです。
ルターもまた、パウロと同じように福音の真理に生かされ、またそれに生きた人でした。ルターは、18歳でエルフルト大学に入り、父親の願いに従って法律家になることを目指して勉強していましたが、22歳の時、雷に撃たれそうになり、「聖アンナよ。私は修道士になります。」という誓いを立て、エルフルトのアウグスト会に入りました。そして24歳で司祭となって、ミサを執り行い、人々に説教をするようになりました。しかし、神に近づこうと努力すればするほど、自分の罪深さだけが見えてきて、ルターは罪の赦しを確信することができないでいました。1510年から1511年にかけて、ルターはローマを訪れています。彼が30歳の時でした。ローマ教会は、すべての教会の頂点に立つ教会で、多くの人々がそこに巡礼にやって来ていました。当時そこには、神がモーセに現われた「燃える柴」と言われるものや「バプテスマのヨハネの頭蓋骨」だと言われるものが、まことしやかに置かれていて、人々はそうしたものの前でひざまづいて十字を切っていました。「主イエスがピラトの前に立った時の階段」というものもあって、人々はその一段、一段をひざで這い登り、そこに口づけをし、祈りを唱えていました。そのようにしてその階段を上りつめたなら、すでに亡くなった親、兄弟、親族のたましいが天国に行くことができるのだと教えられていたからでした。ルターも他の人と同じようにその階段を上ったのですが、自分のしていることがいったい何になるのだろう、人はこのような行いで、罪を赦していただき、神の前に正しいとされるのだろうかとの疑問を持ちはじめました。伝説では、その階段を上りきったところで、ルターは聖書の真理を発見して、「義人は信仰によって生きる。」と叫んだと言われていますが、ルターがこの真理を発見するようになったのは、実際は、それからもう少し後です。
ローマから帰ったルターは、先輩の修道士の勧めによってウィッテンベルク大学で聖書を研究し、1912年、32歳で神学博士となってウィッテンベルク大学の聖書学の教授となり、1513年から15年にかけて詩篇の講義を、1515年から16年にかけては、ローマ人への手紙とガラテヤ人への手紙の講義をしています。ルターは、ずっと心に抱き、そのために苦しんできた疑問、「どのようにして人はその罪を赦され、神の前に正しい者とされるのか。」との疑問の答えを聖書から得たのです。たとえば、詩篇22篇の講義録の中で、ルターは「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。」ということばを取り上げ、「これは、主イエスが十字架の上で語られたことばだが、なぜ、主イエスは、十字架の上で神から見捨てられたのか。」と問いかけ、「キリストが実に私たちの罪をその身に負われたからである。」と答えています。当時の人々は、キリストは罪人を裁く審判者としてしか教えられておらず、キリストが私たちの罪を負ってくださった救い主であることを知らなかったのです。ルターは、キリストが私たちの罪を負って死なれたことと、その意味を聖書の中に見出しました。ルターは、ローマ人への手紙やガラテヤ人への手紙の研究によって、人は、宗教の形式に服従したり、戒律を守ることによってではなく、罪を悔い改めてキリストを信じる信仰によって救われるという確信を持つようになりました。ルターの宗教改革は、神のことばによって、彼の心の中で始まりました。それは、自分の罪と向かいあって、その罪の汚さ、醜さを徹底的に知り、そしてキリストによる罪の赦し、信仰による救いをそのたましいのうちに体験したことから始まったのです。宗教改革は政治的なものでも、権威に対する抵抗でもなく、福音の真理の再発見による、たましいの改革だったのです。ルターも、パウロと同じように、福音の真理に生かされていました。だからこそ、福音の真理のために命をかけることができたのです。
「私たちクリスチャンは真理を守る戦いに参加している。」とよく言われますが、真理を守るのは、哲学や神学を勉強して、さまざまな論理を駆使することだけでできることではありません。ルターを始め、改革者たちが、神のことばによってその心を照らされ、キリストの恵みを徹底して体験したように、私たちの心が福音の真理で照らされ、変えられ、燃やされていくという、たましいの改革を、私たちも求めましょう。そうして福音の真理に生かされ、それに生きることによって真理をあかししていきましょう。世の終わりが急速に近づいていることが、誰にも感じられるこの時代に、「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは滅びません。」(マタイ24:35)と言われた主のことば、福音の真理を奪われることのないよう、しっかりと握りしめていようではありませんか。
(祈り)
父なる神さま、「人はイエス・キリストを信じる信仰によって救われる。」と、福音の真理は、はっきりと教えていますのに、多くの人がこの真理をつかみとることができないでいます。もし、私たちがこの福音の真理をほんとうには理解しておらず、またその真理に生かされていないなら、どうぞ、私たちのうちに、あなたのみことばの真理をはっきりと示してください。それによって私たちの心と、思いと生活に改革を与えてください。私たちが福音の真理に生きることによって、多くの人々に、福音の真理を伝えることができるよう、導いてください。主キリストのお名前で祈ります。
10/31/2004