1:1 ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。
1:2 「ペルシヤの王クロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜わった。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。
1:3 あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。
1:4 残る者はみな、その者を援助するようにせよ。どこに寄留しているにしても、その所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んでささげるささげ物のほか、銀、金、財貨、家畜をもって援助せよ。』」
1:5 そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たち、すなわち、神にその霊を奮い立たされた者はみな、エルサレムにある主の宮を建てるために上って行こうと立ち上がった。
1:6 彼らの回りの人々はみな、銀の器具、金、財貨、家畜、えりすぐりの品々、そのほか進んでささげるあらゆるささげ物をもって彼らを力づけた。
一、エルサレムへの帰還
紀元前586年、エルサレムが神殿もろとも破壊され、主だった人々はバビロンに連れて行かれました。祖国を失った人たちの悲しみはどんなに大きなものだったことでしょう。詩篇137篇はそうした人々の気持ちをよく表しています。
バビロンの川のほとり、そこで、私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた。
その柳の木々に私たちは立琴を掛けた。
それは、私たちを捕え移した者たちが、そこで、私たちに歌を求め、私たちを苦しめる者たちが、興を求めて、「シオンの歌を一つ歌え。」と言ったからだ。
私たちがどうして、異国の地にあって主の歌を歌えようか。
エルサレムよ。もしも、私がおまえを忘れたら、私の右手がその巧みさを忘れるように。
もしも、私がおまえを思い出さず、私がエルサレムを最上の喜びにもまさってたたえないなら、私の舌が上あごについてしまうように。
ユダヤの人々がそのような目に遭ったのは、神の民として選ばれていながら、まことの神に背を向け、偶像を拝み、社会に不正を蔓延させ、敬虔な生活を捨てたからでした。人々は、国を失い、外国の支配を受けるようになってはじめて、自分たちの罪や不信仰、不道徳や不敬虔に気付き、真剣に悔い改めるようになりました。神もまた、ご自分の民をあわれんでくださいました。
ペルシャがバビロンに代わって中東を治めるようになった時、ペルシャのクロス王は、勅令を出して、ユダヤの人々がエルサレムに帰り、神殿と町とを建て直すことを許しました。その勅令はエズラ1:2-4にある通りです。聖書に「エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせた」(1節)とあるように、クロス王の勅令の背後には神がおられました。神は預言者エレミヤを通してこう預言しておられました。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。」(エレミヤ29:10)この預言がエレミヤに与えられたのはエホヤキム王がヨシヤ王のあとを継いで王になってまもなくの頃でした。エホヤキムの即位は紀元前609年でしたから、この預言は紀元前608年ごろでしょう。それから70年後は紀元前538年になり、それはちょうどクロス王の勅令が出された年です。神の言葉は、見事に、その年数まで違わず実現しています。イザヤ書55:11に「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる」とある通りです。
いったん捕虜となって遠い国に連れていかれた人々がもとの場所に帰ることを許される。そんなことは歴史の中で、どの民族にも起こらなかったことでした。ところが、ユダヤの人々にそれが実現しているのです。そして、それは、歴史を導いておられる神の力とともに、ご自分の民をあわれみ、赦し、癒やしてくださる神の愛を、私たちに教えています。聖書は「主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない」(詩篇103:9)と言い、主ご自身も、「わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす」(申命記32:39)と言っておられます。ユダヤの人々は70年の間「バビロン捕囚」という懲らしめの期間を過ごしましたが、もう一度、神のあわれみによって癒やしと回復を体験したのです。
聖書には、神に赦され、癒やされ、再び神のために生きた信仰者たちのことが数多く書かれています。ダビデは自分の部下の妻を奪い、その部下を戦場で死なせるという、ダビデらしくない、卑怯なことをして、大きな罪を犯しました。しかし、真剣に悔い改めたとき、神は彼を赦し、その王位を回復してくださいました。イエスの弟子ペテロは、自分を守るために「イエスなどという人は知らない」と三度も言って、自分の主を否定しました。しかし、その後聖霊を受けて、初代教会の指導者となりました。ペテロと同時代の人パウロは、キリストを信じる者を捕まえては投獄していた急進派のパリサイ人でした。しかし、イエスは彼の罪を赦し、彼をご自分の使徒として、世界中に福音を宣べ伝えさせました。
神はじつに、回復の神であり、聖書は回復の物語です。アダムの罪のために失われた神の義と聖さは、キリストによって回復され、エデンの園はキリストの再臨によって回復します。ノアの物語は、人の罪によって破壊された世界が回復したことを告げています。そして、ユダヤの人々の捕囚からの帰還もまた、神が回復の神であることを力強く教えているのです。
人生において、失敗や挫折を体験しない人はおそらく誰もいないでしょう。誰もが、落胆したり、行き詰まりを覚えたりするものです。信仰者といえども、世の中と妥協し、大きな罪を犯して信仰から離れてしまうこともあるのです。もし、神が回復の神でなければ、そんなとき、何の希望も回復もなく終わってしまっていたでしょう。しかし、神は、私たちの心を奮い立たせ、また、人々を通して具体的な助けを与え、私たちをどん底から立ち上がらせてくださいました。私たちは神の恵みによって身も心も強められ、人間関係においても癒やされてきました。皆さんも、そのような回復の恵みを与えていただいたこととと思います。
大阪に弟子教会という教会があるのですが、以前、その牧師、金沢泰治先生のお話を聞く機会がありました。先生は、高校に入ったとたん学校をやめ暴走族に加わり、少年鑑別所に入れられました。そのあと、山口組系の暴力団員になり野球賭博などで組のための資金集めなどをしていました。覚醒剤や大麻に溺れたりもしました。しかし、組同士の抗争に巻き込まれ、九死に一生を得、組を抜ける決意をするのですが、なかなかうまくいきませんでした。そんなとき、父親が病気で亡くなったことを通して、信仰に導かれました。先生の両親はクリスチャンで、先生も、中学生になって不良仲間に入るまでは両親と一緒に教会に行っていたのです。先生は、母親の祈りが自分をクリスチャンにしたと話していました。
先生はその話をこのように結びました。「どんな人もやりなおせます。キリストを信じる信仰によってやりなおせないものはありません。僕も人生をやり直せました。誰でも、イエスさまを信じるなら人生をやり直すことができます。決して、もう遅いということはありません」という言葉で結びました。その通りです。神は回復の神だからです。
二、神殿の再建
さて、クロス王は、シェシュバツァルに権限を与えて、神殿を再建するように命じました(1:8、10)。ところが、シェシュバツァルの名は、エズラ記の2章以降は出てきません。2:2に「ゼルバベルといっしょに帰って来た者は…」とあって、ユダヤの指導者は「ゼルバベル」になっています。「シェシュバツァル」と「ゼルバベル」は同一人物で、一方はペルシャで呼ばれていた名前、もう一方はユダヤで呼ばれていた名前だったと思われます。「ゼルバベル」という名には「バビロン生まれ」という意味があります。ゼルバベルとその一行はみなバビロンで生まれたユダヤ人二世だったのです。神は、ご自分の宮の再建を、バビロン生まれの新しい世代に任せられたのです。
神殿の再建は、単なる建物の再建とは違って、長い間行われなかった礼拝を再開することでしたから、神殿での礼拝を司る祭司やそれを助けるレビ人が数多くエルサレムに向かいました。
ペルシャはユダヤの人々に寛容でしたから、ユダヤの人々はペルシャで安定した生活ができました。エルサレムがいくら父祖の地だといっても、バビロン生まれの人々にとっては見知らぬ土地でした。しかもそこは戦争で荒れ果てたところでした。「なにも今さらエルサレムに行かなくても…」と考えたとしても不思議ではありません。実際、ペルシャに残ったユダヤの人たちのほうが、エルサレムに帰った人たちよもはるかに多かったのです。しかし、ゼルバベルと一緒にエルサレムにやってきた人たちは皆、「神にその霊を奮い立たされた者」(1:5)でした。クロス王の霊を奮い立たせた神は、神殿の再建を願う思いを持つ人々の霊をも奮い立たせてくださったのです。私たちの霊を生かし、強め、支えてくださるのはまさに聖霊の働きですが、聖霊の助け無しには、困難を乗り越え、忍耐して神のために働くことができません。私たちも、神のために働こうする時には、聖霊の力をいただく必要があります。
エルサレムに帰ってきた人々は自分たちの生活もままならない状態でしたが、神殿再建のために身を粉にして働きました。自分たちのことよりも、神のことを第一にしたのです。エズラ3章には、そのようにして、神殿の基礎が据えられたことが書かれています。その定礎式の時、人々は「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と言って主なる神を賛美しました(エズラ3:11)。その賛美の声は遠くまで響いたとあります(同3:13)。
「いつくしみ」と訳されている言葉には「善」あるいは「善意」、「恵み」と訳されている言葉には「誠実な愛」という意味があります。けれども、これらの言葉の意味をいくら学んだところで、実際にそれを体験しなければ、神は善であって、私たちに善をなしてくださる。たとえ、私たちが不誠実であっても、神は私たちに約束されたことを違えずに、私たちに誠実を尽くしてくださということは、ほんとうの意味では分かりません。詩篇34:8に「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ」とありますが、これは英語では “Taste and see that the LORD is good.” と訳されています。「味わう」というのは「体験する」ということですが、様々な困難な中でもなお主に信頼してはじめて、私たちは “The LORD is good.” ということを体験できる、味わうことができるのです。私たちも主のいつくしみと恵みを、そのようにして「味わい」たいと思います。
ペルシャからエルサレムに戻ってきた人々は、ユダヤ人二世でしたので、私は、エズラ書を読むたびに、カルフォルニアの日系二世の方々のことを思い起こします。山崎豊子の小説『二つの祖国』にあるように、日米戦争が始まったとき、アメリカにいる日本人は「敵性外国人」とみなされ、人里離れた収容所に入れられました。そのときまだ子どもや若者だった二世の人々も、アメリカ市民であるにもかかわらず、同じように収容所に入れられました。若者たちは兵士となって戦地に行くことによってアメリカへの忠誠を示すよう強いられました。二世の多くがドイツ軍と戦うためにヨーロッパ戦線に送られました。戦争が終わり、日系人は収容所から出てきましたが、家も土地もみな人手に渡っており、ゼロからの出発をしなければなりませんでした。
そんな中でもクリスチャンの二世たちは、自分たちのことを後回しにして、戦争中閉鎖されていた日系人教会の再建のために働きました。そのころ多く日系人は農業に従事していましたが、日が暮れるまで畑で働いた後、ドロのついた手をやっと洗って教会に集まり、教会の再建のために祈り、また、働きました。そのようにして、カリフォルニアの日系人教会は再建されていったのです。
今では、日系二世の方々はほとんど世を去りました。しかし、二世の信仰者の方々の忠実な働き、彼らが流した血と汗と涙を忘れてはならないと思います。豊かで自由な環境の中にいる私たちは、自分のためには涙を流し、シェイプアップのためには汗を流すかもしれませんが、まことの神を知らない人々のために涙して祈ることや、主の働きのために汗して働くことを忘れてはいないでしょうか。「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」(詩篇126:5)エルサレムに帰ってきた人々は涙をもって種を蒔き、収穫の喜びに与りました。私たちも、そうした人々の信仰に倣いたいと思います。
(祈り)
いつくしみと恵みの神さま。あなたは、あなたに立ち返る者を、あわれみ、恵み、赦して、もう一度立たせてくださいます。また、あなたを第一にする者には、あなたのいつくしみと恵みを注いでくださいます。あなたが善きお方で、善きことをしてくださいます。そのことを確信し、この週も歩むことができますよう、私たちを導いてください。主イエスのお名前で祈ります。
1/12/2020