3:7 私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。
3:8 すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、
3:9 また、万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。
使徒パウロはエペソ3:8で、自分のことを「すべての聖徒たちのうちで一番小さな私」と呼んでいます。コリント第一15:9では「私は使徒の中では最も小さい者です。」と言っています。「聖徒たち」というのは「クリスチャン」のことをさしますから、使徒たちの中で一番小さいだけでなく、クリスチャンの中でも一番小さい存在だと言っていることになります。しかし、私たちが知っているパウロは「使徒の中で最も小さい者」どころか、どの使徒にもまさって一番大きな働きをした人でした。パウロは、三回にわたる伝道旅行によってキリストの福音をアジアからヨーロッパへと届け、各地に教会を建てました。ローマに行った後は、ローマからさらに西の地域、おそらくスペインにまでも伝道したと伝えられています。パウロの働きによって、エルサレムで始まった教会は、ユダヤとサマリヤだけでなく「地の果て」までも広がり、ユダヤ人だけでなく、全世界のすべての人々にキリストの福音が伝えられるようになったのです。
また、パウロは、パラダイスにまでひきあげられ、神から直接のことばを聞くことができたほど、神に近い人物でした。キリストの奥義を、パウロは他の誰よりも深く理解し、それを教えることができました。新約聖書には27の書物がありますが、その半分はパウロが書いた手紙です。彼の手紙が残っていなかったなら、私たちはキリストが教え、成し遂げてくださったことを十分には理解できなかったことでしょう。
実は、パウロはもとは「サウロ」という名前でした。それはイスラエルの初代の王サウルの名にちなんだものです。ところが使徒になってから彼は「小さい者」という意味の「パウロ」という名前を使うようになりました。こんなに偉大な使徒であるのに、パウロが「使徒たちのうちで、いや、聖徒たちのうちで一番小さい者です。」と言っているのは、なぜでしょう。自分の名前を変えてまで、自分を「小さい者」としたのはなぜでしょうか。それはパウロが二つのことを発見したからでした。今朝は、そのことを学び、私たちもパウロと同じ発見に導かれたいと思います。
一、罪の発見
パウロが発見した第一のことは、彼自身の罪でした。
パウロがユダヤ教の若き指導者になったのは、ちょうど教会がはじまったばかりの時でした。パウロは、ナザレのイエスがキリストであり、復活してすべてのものの上に立つ主となられたと信じ、教えている教会に対して怒りを燃やしました。パウロは大工の子にすぎないイエスがキリストであるはずがない、十字架で死んだ犯罪人を神としてあがめることは、神を汚すことであると思いました。教会はとんでもない異端であり、それを根絶やしにしなければならないと考え、それを実践したのです。教会の最初の殉教者はステパノですが、ステパノの殉教を背後で指導したのはパウロでした。聖書には、ステパノに石を投げて殺害した人々が「自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。」(使徒7:58)とあり、「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。」(使徒8:1)と書いています。パウロは、ステパノの殉教の時から、エルサレムやユダヤで「クリスチャン狩り」を始めました。ユダヤの地だけであきたらず、遠くはなれたダマスコという町まで行って、そこにいるクリスチャンを縛り上げ、エルサレムに引っ張ってこようとしていました。聖書は、この時のパウロの姿を「さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて…」(使徒9:1)ということばで描いています。まるで、飢えた獣が餌物を求めるような姿です。
パウロは、もともと、ヤクザの兄貴分、ギャングのリーダといった粗暴な人物ではありませんでした。確かな家柄の出であり、当時の最高の教育を受けた人でした。なのに、なぜ、このようなことをしたのでしょうか。それは、自分のほんとうの姿が見えていなかったから、自分の罪が分からなかったからです。パウロは、ユダヤ教の教師として恵まれた素質を持ち、十分な教育を受け、活躍の場をあたえられていました。パウロは自信に満ちて成功者の道をまっしぐらに進んでいると思っていました。しかし、実際は破滅への道でした。クリスチャンを迫害することは、キリストに敵対することであり、救い主であるキリストに刃向かうことは、自分を滅ぼすことになることだからです。それに、このような迫害を続けていると、一時的にはユダヤ教徒から拍手喝采を受け、英雄扱いされるかもしれませんが、おそかれ早かれ、同じユダヤ教徒からも過激で危険な人物とみなされ、やがては、退けられてしまうことでしょう。
しかし、ダマスコの町に向かうパウロに大きな変化が起こりました。キリストが天からの光の中にパウロに現れたのです。強い光がパウロを撃ち、パウロは地面にたたきつけられました。パウロの目に鱗(うろこ)のようなものができて、彼は盲目になりました。パウロにはキリストの姿は見えませんでしたが、「サウロ。サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声ははっきりと聞こえました。パウロが「主よ。あなたはどなたですか。」と尋ねると、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」との答えがありました(使徒9:4-5)。パウロは、「イエスはキリストである。」ことを信じないで頑固にそれを否定していましたが、そのイエスご自身が彼に現れ、主であり、キリストであることを示されたのです。パウロは、この否定しようのない事実の前に、神であり主であるお方に対する反逆の罪を悔い改めました。パウロは三日間目が見えないままでしたが、ダマスコの町のアナニヤというクリスチャンからキリストのことばを聞き、再び見えるようになって、バプテスマを受け、彼もまた、教会に加えられました。
パウロは、目が見えていた時には、自分の姿が見えず、目が見えなくなってはじめて、ほんとうの自分の姿が見えるようになったのです。聖書に「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。」(黙示録3:17)というキリストのことばがありますが、これは、パウロにそのまま当てはまることばでした。パウロは、これまで自分は正しく生きてきた、正しいことをしていると自負していましたが、この時、自分がどんなに大きな罪を犯してきたかがはじめて分かったのです。どんなに熱心であっても、それが的はずれであれば、その熱心が神にさからう罪となり、人を傷つける悪となるのです。聖書の「罪」という言葉には「的はずれ」という意味がありますが、まさに、パウロのしてきたことは的はずれの罪だったのです。
今日も、多くの人がかつてのパウロと同じように、キリストに敵対し、人を傷つけていながら、そのことを罪として意識していません。罪には、意識して犯すものと無意識のうちに犯すものとがありますが、無意識に犯すもののほうがやっかいです。意識しているものは、いつかはそれを直すことができますが、無意識にしていることは、本人が気づいていないことですから、直しようがないのです。パウロが天からの光によって、キリストを示され、自分の罪を示されたように、私たちにも天からの光、聖書の光が必要です。神のことばによって、キリストを知るとき、私たちはほんとうの自分の姿を知ることができるのです。
パウロが、自分を「小さい者」と呼んだのは、自分の罪がわかったからでした。コリント第一15:9で、パウロは「私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。」と言っています。テモテ第一1:15では「私は(その)罪人のかしらです。」とさえ言っています。キリストに出会うまでは、自分をふくらませ、自分を偉大な者にしようとしてきたパウロでしたが、キリストに出会った時に、彼は自分の罪を知り、それを悔い改めました。パウロは自分の罪が分かったので、心から「すべての聖徒たちのうちで一番小さな私」と言うことができたのです。
二、恵みの発見
パウロが発見した第二のものは、キリストの恵みでした。
キリストは、パウロをダマスコの町に入るまえに滅ぼすことによって、ダマスコのクリスチャンを守ることができました。しかし、キリストは、パウロを滅ぼすためではなく、パウロを破滅から救うために、パウロに現れてくださいました。キリストは、ご自分に敵対する者にも、恵みをもって臨んでくださったのです。自分の罪の大きさが分かれば、分かるほど、パウロはキリストの恵みの大きさをさらに深く理解していきました。パウロはローマ5:8に「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしめしておられます。」と書いていますが、こうしたことばはすべて、パウロがキリストの恵みを受けた、その体験にもとづいたものでした。
キリストは、その大きな恵みでパウロを救ってくださったばかりでなく、パウロにその恵みをゆだねられたのです。キリストはダマスコへの道で光に撃たれてひれ伏しているパウロに、「起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現われたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現われて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」(使徒26:16-18)と言われました。パウロがしばらくの間盲目になり、その後目が見えるようになったのは、パウロが、霊的に盲目になっている人々の目を開かせるものとなるためでした。キリストはパウロを破滅の道から救うだけでなく、彼に新しい使命を与えたのです。パウロは、キリストを信じる者になったばかりでなく、キリストに信頼される者となったのです。「信じる」という言葉は、私たちがキリストを信じると言うときにも、キリストが私たちを信頼し、私たちにキリストの救いのことば、恵みのメッセージをゆだねてくださるときにも使われます。「信じる」というのは、一方向のものではなく、双方向のものなのです。私たちがキリストを信頼するとき、キリストも私たちを信頼して、私たちに使命をゆだねてくださるのです。エペソ3:8に、「すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、…」とありますが、パウロは、ここで、かつて教会の迫害者であった自分に、人々の生死を握る神のことば、世界の救いがかかっている福音をゆだねてくださったことを思って「すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられた!」と、神の恵みに感謝しているのです。
「積極思考」(Positive Thinking)を説く人の中には、パウロが「私は使徒たちのうちで一番小さな者です。」「すべての聖徒たちのうちで一番小さな者です。」と言ったのは、「パウロがいつまでも過去にこだわって、後ろ向きな考え方をしていたからだ。」と言う人がいますが、それはあたっていません。パウロほど前向きに生きた人はいません。パウロは「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。」(ピリピ3:13-14)と言っています。「積極思考」を説く人たちは、聖書が大切なものとして教えている罪の悔い改めや神の恵みに対する感謝などといった部分を飛ばして読む傾向があります。その人たちにとって「信仰」とは自分の可能性を信じることであり、神に頼ることではないのです。パウロは「積極思考」の実践者や教師ではありません。パウロは、自分の「積極思考」に頼って困難を乗り越えたのではなく、常にキリストの恵みに頼って困難に立ち向かった人でした。パウロにとって何よりも大切なのは、キリストの恵みであり、彼はそれに生きた人でした。パウロが、ことあるごとに過去の自分の姿を口にしたのは、パウロのセルフエスティームが低かったからでも、後ろ向きに生きていたからではありません。それは、自分のような罪人を救ってくださったばかりでなく、自分のように小さな者をさえキリストを伝えるという使命を任せてくださったキリストの恵みをあかしするためでした。
パウロは言っています。「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかにされるためです。」(コリント第二4:7)土の器がどんなに小さくても、それで神のことばまでもが小さくなるわけではありません。パウロは自分にあたえられた大きな使命のゆえに、すすんで自分を「一番小さい者」と自らを呼び、キリストをあがめました。私たちも、すすんで自分を「一番小さい者」として、キリストの恵みを大きく示したいと思います。
(祈り)
私たちの心のすべてをご存じである神さま、自分をごまかさず、正直に自分の姿を見つめる勇気を私たちに与えてください。そして、真実に自分の罪を悔い改め、罪を赦し、私たちを造りかえてくださる、キリストの恵みを受け入れるものとしてください。自分を「一番小さな者」としてへりくだり、キリストの恵みによって生かされていることをおおいに喜ぶものとしてください。私たちの主、イエス・キリストのお名前で祈ります。
5/21/2006