4:34 その期間が終わったとき、私、ネブカデネザルは目を上げて天を見た。すると私に理性が戻って来た。それで、私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。その主権は永遠の主権。その国は代々限りなく続く。
4:35 地に住むものはみな、無きものとみなされる。彼は、天の軍勢も、地に住むものも、みこころのままにあしらう。御手を差し押えて、「あなたは何をされるのか。」と言う者もいない。
4:36 私が理性を取り戻したとき、私の王国の光栄のために、私の威光も輝きも私に戻って来た。私の顧問も貴人たちも私を迎えたので、私は王位を確立し、以前にもまして大いなる者となった。
4:37 今、私、ネブカデネザルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだった者とされる。
一、ネブカデネザルが見た夢
バビロンの王ネブカデネザルは、ある時夢を見ました。それは、私たちがふだん見る夢とは違って、人の心にくつきりと残るもので、それは神からネブカデネザルへの語りかけでした。神の言葉が幻の形で彼に示されたのです。その幻とはこうです。
広い土地の中央に一本の天にまで届くような巨大な木がありました。それは地の果てのどこからでも見ることができるほどでした。葉は美しく、実も豊かで、その実は、その木の下に集まる獣や枝に宿る鳥を養っていました。ところが、天から地を見張る者のひとりが降りてきて、こう言いました。「その木を切り倒し、枝を切り払え。その葉を振り落とし、実を投げ散らせ。獣をその下から、鳥をその枝から追い払え。ただし、その根株を地に残し、これに鉄と青銅の鎖をかけて、野の若草の中に置き、天の露にぬれさせて、地の草を獣と分け合うようにせよ。その心を、人間の心から変えて、獣の心をそれに与え、七つの時をその上に過ごさせよ。」(ダニエル4:10-16)
この夢はネブカデネザル王を悩ませました。彼は王宮の知者にその解き明かしを命じましたが、誰も解き明かすことができず、ネブカデネザルはますます不安になりました。
そこに、ダニエルがやってきました。ネブカデネザルはダニエルを待ち構えていたかのようにして、こう言いました。「私の国の知者たちはだれも、その解き明かしを私に知らせることができない。しかし、あなたにはできる。あなたには、聖なる神の霊があるからだ。」(ダニエル4:18)ネブカデネザルは先に、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴが燃える炉の中から救い出された時、まことの神を「いと高き神」と呼びましたが、ここでは「聖なる神」と呼んでいます。ネブカデネザルは、自分が見た幻がバビロンの神々からのものではなく、「いと高く」「聖なる」神からのものであると感じていましたので、その神の霊の宿るダニエルに解き明かしを求めたのです。
ユダヤの若者が王の夢を解き明かすという出来事はずっと以前にもありました。それは創世記39-41章に書かれています。ヤコブの十一人目の子ヨセフは、他の兄弟たちに妬まれ、エジプトに奴隷として売られました。エジプトの王、ファラオの役人に買われましたが、その能力を発揮して、役人の家の管理を任せられるまでになりました。ところが、その妻の誘惑を断ったため無実のまま牢獄に入れられました。しかし、看守の信頼を得て、囚人であるのに、看守に代わって牢獄の一切をとりしきるようになりました。ヨセフは、その牢獄でファラオの側近の夢を解き明かしてやり、彼が赦されてもとの仕事に戻ったら、ファラオにとりなしてほしいと頼んだのですが、頼まれたその人は、ヨセフのことをすっかり忘れてしまいました。
しかし、ファラオが不思議な夢を見て、それを解き明かす者を求めたとき、その人はヨセフのことを思い出し、ヨセフはファラオの前に呼び出され、ファラオの夢を解きました。ファラオはヨセフに「神の霊が宿っている」ことを認め、王に次ぐ位を彼に与えました。この後、大きな飢饉が襲ったのですが、エジプトはヨセフの手腕によって飢饉から救われ、ヨセフは父親ヤコブと兄弟たちを救う者になったのです。
ヨセフは奴隷に売られ、ダニエルは捕虜となり、それぞれ外国に移されました。しかし、彼らが遭ったそのような苦しみには目的がありました。彼らは外国の地で、普通の人なら近づくことができない王の前に出て、まことの神を証しするという特別な使命を与えられていたのです。そして、ヨセフもダニエルも、神に従うことによって、その使命を果たし、王からも信頼を得ました。
私たちも、自分で選んでであれ、配偶者や親に連れられてであれ、生まれた国からアメリカに来て、仕事をし、生活をしています。考えてみれば不思議なことで、そこには神のご計画があり、神は私たちに何か特別な使命を与えておられるように思います。ヨセフやダニエルがしたことは特別なことで、誰もができることではありません。けれども、イエス・キリストを信じる者にはヨセフやダニエルと同じように、神の霊、聖霊が宿っています。そして聖霊は、私たちに神を証しし、神が私たちにお与えになった使命を果たすことができる力を与えてくださっています。私たちも、神がひとりひとりにお与えくださった持ち場で、その使命に生きる幸いを体験したいと思います。
二、ダニエルの解き明かし
さて、ダニエルの夢の解き明かしを見ましょう。それは20-27節に書かれています。
夢に現れた大木は、ネブカデネザル王のことです。その大きさや高さは、ネブカデネザル王の権力の大きさを表します。木の下に獣が住み、枝に鳥が宿っているのは、王のもとで多くの国民が平和と繁栄を楽しんでいることを表します。ダニエルは「王さま、その木はあなたです。あなたは大きくなって強くなり、あなたの偉大さは増し加わって天に達し、あなたの主権は地の果てにまで及んでいます」(22節)と言いました。
夢の後半は、その木が切り倒され、その根株が捨て置かれ、野ざらしになるというものでした。ダニエルはそれを解き明かして、ネブカデネザルの身に特別なことが起こり、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、天の露にぬれるようになると言いました。しかし、根株が残っていることは回復があることを意味します。七つの時が過ぎた後、ネブカデネザルは再びもとに戻るのです。彼の身にこのようなことが起こるのは、ネブカデネザルが「いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知る」ようになるためでした(25節)。当時、並ぶところのない権力を持っていたネブカデネザルに、神は、世界の本来の支配者は「いと高き神」であることを教え、彼と、その後の地上の王たちに、神の前にへりくだって正義を行うよう教えるためでした。ですから王の夢を解き明かした後でダニエルは、「それゆえ、王さま、私の勧告を快く受け入れて、正しい行ないによってあなたの罪を除き、貧しい者をあわれんであなたの咎を除いてください。そうすれば、あなたの繁栄は長く続くでしょう」と勧めています。
ネブカデネザルは、気性の激しい残酷な王として知られていましたが、ダニエルのこの勧告を受け入れ、その態度を改めました。ネブカデネザルが夢を見てから何ヶ月も過ぎましたが、王の身には何も起こりませんでした。ところがちょうど一年が経った時のことです。王はバビロンの宮殿の屋上を歩いていました。そこは王が王妃のために作った「バビロンの空中庭園」がありました。それは高い建物の上にあったので、遠くから見るとまるで空中に浮いているように見えたのです。バビロンの空中庭園は世界七不思議の一つで、高い建物の屋上まで水を運ぶため、棕櫚の木が使われ、その上に土がかぶせられ、そこに植えられた植物は棕櫚の木の隙間に根をおろし、水を吸収したそうです。彼が作ったバビロンの都はユーフラテス川をまたぐように作られ、何マイル以上もの城壁に囲まれ、その中には今までなかったような建物がいくつも建てられていました。ネブカデネザルは、空中庭園からバビロンの町を眺めてこう言いました。「この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。」(30節)彼の心に以前の高ぶりが戻ってきたのです。
すると、彼がそう言い終わらないうちに、天からの声がありました。「ネブカデネザル王。あなたに告げる。国はあなたから取り去られた。あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、こうして七つの時があなたの上を過ぎ、ついに、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる。」(31-32節)この言葉は、ただちにネブカデネザルの上に成就しました。
聖書はネブカデネザルの身に起こったことを次のように言っています。「彼は人間の中から追い出され、牛のように草を食べ、そのからだは天の露にぬれて、ついに、彼の髪の毛は鷲の羽のようになり、爪は鳥の爪のようになった。」(33節)ネブカデネザルが精神的な障害をきたし、自分を獣の仲間だと思い込み、宮廷の中にある獣を飼っている庭、動物園のようなところで、髪も爪も伸び放題になって過ごしたのです。その状態は「七つの時」の間続きました。バビロンでは「七つの時」というのは三年半のことです。ネブカデネザルの碑文の中に、彼が四年の間憂鬱な時を過ごしたという記録があるので、それが、この時のことをさしているのかもしれません。これは何かの物語のように聞こえますが、彼の身に実際に起こったことで、神がネブカデネザル王を懲らしめるためにされたことでした。
三、ネブカデネザルの告白
神の懲らしめの期間が過ぎ、ネブカデネザルの理性も、健康も、王の位も、元に戻りました。彼は、自分の身に起こったことが、いと高き神のなさったことであることを、ダニエルの言葉を通して知っていましたので、回復したとき国中にお布れを出しました。それがそのままダニエル4章になったのです。そにに「ネブカデネザル王が、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに書き送る。あなたがたに平安が豊かにあるように」(1-2節)とありますが、これは、王がお布れを出す時の体裁にそっています。そして、そこに、ネブカデネザルは、神への賛美の言葉をそこに書いています。「いと高き神が私に行なわれたしるしと奇蹟とを知らせることは、私の喜びとするところである。そのしるしのなんと偉大なことよ。その奇蹟のなんと力強いことよ。その国は永遠にわたる国、その主権は代々限りなく続く。」(3節)あのエルサレムを滅ぼした残虐な王が、今、神の前に謙虚になって、自分が滅ぼした人々が信じる神をほめたたえているのです。
預言者ハバククは、ネブカデネザルの悪をなぜ神は許しておられるのか、なぜ彼を裁かないのかと神に訴えましたが(ハバクク1:13-17)、この箇所に神の答があります。神がネブカデネザルを滅ぼさなかったのは、歴史の中で後にも先にもないような大きな権力を持つ王に、ご自分の力を知らせ、彼の口で神を賛美させるためだったのです。彼の口を通して「いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者に与え、また人間の中の最もへりくだった者をその上に立てること」(ダニエル4:17)を世界に知らせるためでした。
ダニエル4章は、神が全世界の主であることを教えています。イスラエルばかりでなく、世界のすべてを治めておられるのです。そして、新約時代の私たちは、この高き神の御子がイエス・キリストであり、イエス・キリストが聖なる神の聖なる御子としてお生まれになったことを知っています。そして神は御子にすべての権威、権能を与え、あらゆるものの上に高く上げられました。ピリピ2:9-11にこうあります。「それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」これは、イエス・キリストが再臨し、世界を治めるときに完全な形で実現しますが、「イエス・キリストは、私の人生の主です」と告白して、信仰が証しされるところではどこででも、人々がイエス・キリストをあがめるようになることによって、今も成就しているのです。ダニエルが神が主権者であることを証ししたように、私たちもイエス・キリストが主であることをさらに証ししていきたいと思います。
(祈り)
すべてを治めておられる主なる神さま。あなたはバビロンの王をさえもへりくだらせ、あなたの主権を認め、あなたを賛美する者とされました。私たちにも、へりくだってあなたの前に歩むことを教えてください。また、ダニエルがバビロンの王のために用いられたように、時代が違い、立場は違っても、私たちを、あなたの使者として用いてください。主イエス・キリストのお名前で祈ります。
12/8/2019