4:7 私の様子については、主にあって愛する兄弟、忠実な奉仕者、同労のしもべであるテキコが、あなたがたに一部始終を知らせるでしょう。
4:8 私がテキコをあなたがたのもとに送るのは、あなたがたが私たちの様子を知り、彼によって心に励ましを受けるためにほかなりません。
4:9 また彼は、あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟オネシモといっしょに行きます。このふたりが、こちらの様子をみな知らせてくれるでしょう。
コロサイ4:2以下は、この手紙の結びの部分です。それまではずっと教えが中心でしたが、ここからは手紙らしい部分になります。2-6節ではパウロの祈りの課題が、7-8節には、この手紙を届ける人、テキコについて、9節にはテキコといっしょにコロサイに向かうオネシモについて書かれています。きょうは、このオネシモについてお話しします。
一、オネシモの逃亡
その前に、ピレモンのことを話しておかなければなりません。ピレモンはコロサイ教会で指導的な立場にある人でした。ピレモンはパウロから「同労者」と呼ばれ、信仰においても、愛においてもすぐれた人でした。パウロはピレモンに宛てた手紙で「私は、祈りのうちにあなたのことを覚え、いつも私の神に感謝しています。それは、主イエスに対してあなたが抱いている信仰と、すべての聖徒に対するあなたの愛とについて聞いているからです」(ピレモン1:4-5)と書いているほどです。
ピレモンは信仰と愛とに恵まれていただけでなく、資産においても恵まれていました。多くの財産を持ち、また、そうしたものを管理するしもべたちを何人か持っていました。そのひとりがオネシモでした。しもべたちは身分の上では「奴隷」でした。当時、ローマに征服された国の国民はみな奴隷となりました。ローマの市民権がなければ、ローマの制度では身分は奴隷だったのです。身分は奴隷でも、学問や芸術、また土木や機械などの専門の技術、経営や管理の分野で活躍した人たち、皇帝や貴族の子弟の教師になった人々もありました。奴隷だからといってすべてが重労働を課せられ、過酷な扱いを受けたわけではなかったのです。
コロサイ4:1に「主人たちよ。あなたがたは、自分たちの主も天におられることを知っているのですから、奴隷に対して正義と公平を示しなさい」と教えられています。キリスト者の主人は自分も、しもべたちも、同じ一人の主の下にある「しもべ」であることをわきまえて、身分が奴隷、立場がしもべである人たちをも大切に扱いました。ピレモンも、奴隷であったオネシモにも、能力に見合った責任を与え、自分の財産を任せ、大切にしていたことでしょう。
ところが、オネシモは、どんな不満があったのか、ピレモンのもとから逃亡しました。当時、逃亡奴隷には死刑の刑罰が待っていましたから、オネシモも必死だったと思います。逃走資金も必要だったでしょうから、オネシモは主人ピレモンからお金を盗んで逃げたかもしれません。パウロは、ピレモンへの手紙に「もし彼があなたに対して損害をかけたか、負債を負っているのでしたら、その請求は私にしてください」(1:8)と書いていますが、オネシモが主人のピレモンに大きな損害をかけたことは間違いありません。
二、オネシモの回心
犯罪を犯した人が身を隠すのに最適な場所は大都会です。オネシモも、大勢の人の中に紛れ込み、名前を変え、身分を偽って生活しようとしました。しかし、そうした生活ほど惨めなものはありません。いつ自分の素性が露見するか、逃亡奴隷として罰を受けなければならないかと思うと、何の平安もありませんでした。オネシモは毎日を恐れの中に生きていたのです。彼は、その身分だけでなく、霊的にも奴隷でした。「罪の奴隷」だったのです。
そんなオネシモが、パウロのところに来て、パウロと一緒に生活するようになりました。このときパウロは「囚人」で、「牢」に繋がれていましたが、「牢」といっても、そこはパウロが自費で借りた家でした。手に鎖をかけられ、ローマ兵の監視のもとに置かれ、外出は許されませんでしたが、来る人を迎えることはできました。実際、パウロの「牢」には多くの人が出入りしていました。
どういう経緯でオネシモがパウロのもとに来たのか、聖書は何も語っていません。これは、私の想像になりますが、おそらくは、パウロがオネシモを探し当て、自分のところに引取ったのではないかと思われます。ピレモンとパウロは親しい間柄でしたから、当然、ピレモンはオネシモのことをパウロに知らせ、祈ってもらっていたと思います。そして、もし、オネシモがローマに逃げてきていたら、彼を見つけ、キリストに導いてほしいと、パウロにお願いしていたことでしょう。パウロは囚人の身で、軟禁状態にありましたから、自分でオネシモを探しに行くことはできませんでしたが、パウロには、ローマに来る前からローマに多くの知り合いがありました。ローマに来てからは、もっと多くの人々との交流がありました。ローマ中のキリスト者たちが協力し、オネシモを見つけ出し、彼を説得してパウロのところに連れてきたのだと思います。
パウロは、オネシモを、自分の身の回りの世話をする者として雇いました。そのことによって、オネシモがもはや逃亡奴隷ではなく、ピレモンからパウロが譲り受けた奴隷としての立場を持つようになるためでした。オネシモはもう、逃げ回る必要がなくなりました。パウロから、思いもよらない恵み深い扱いを受けたとき、オネシモは主人ピレモンを思い出したことでしょう。パウロの持つ愛も、ピレモンが示してくれた愛も同じだということに気付きました。そして、それがキリストの愛から来たものであることが分かったのです。そして、それが分かったとき、自分の犯した罪がどんなに大きなものであったかに気付きました。オネシモは、悔改め、イエス・キリストを信じる信仰へと導かれました。罪の奴隷から、神の子どもへと生まれ変わったのです。
当時、指導者は「父」、その弟子は「子」と呼ばれました。オネシモは、聖霊によって父なる神の子どもに生まれ変わったのですが、地上の関係では、パウロがオネシモを信仰に導き、育てたので、パウロはオネシモの信仰の「父」、オネシモはパウロの信仰の「子」となりました。ピレモンへの手紙で、パウロがオネシモを「獄中で生んだわが子」(ピレモン1:10)と呼んでいるのは、そのようなことを意味しています。パウロはこのときおよそ65歳で、オネシモはまだ若かったと思います。年齢的にも、「父」と「子」のようだったでしょう。神に立ち返ったオネシモは、「子」が「父」に仕えるようにして、パウロに仕えました。
三、オネシモの帰還
パウロはオネシモをずっと側に置いておきたかったでしょうし、オネシモもパウロの側にいたかったでしょう。しかし、オネシモが主人ピレモンのもとに帰る日がやってきました。パウロは、もうすぐ自分が解放され、再び伝道旅行に出発する時が近づいていることを予感していました。それで、オネシモをピレモンのもとに送り返すことにしたのです。
パウロはこのとき、三つの手紙を書きました。一つは「エペソ人への手紙」で、もう一つは「コロサイ人への手紙」、そして、三通目が「ピレモンへの手紙」です。「エペソ人への手紙」と「コロサイ人への手紙」はテキコが持参し、それぞれエペソの教会とコロサイの教会に届けられました(エペソ6:21-22参照)。パウロはテキコにオネシモを託しました。おそらく、テキコのしもべという立場で、オネシモが、逃亡奴隷の疑いをかけられることなく、安全に旅行できるためだったのでしょう。そして、パウロは、オネシモには「ピレモンへの手紙」を預けました。テキコとオネシモがコロサイに着いたとき、オネシモはテキコと別れ、主人ピレモンの家に向い、ピレモンにパウロからの手紙を渡したと思います。
その手紙には、こう書かれていました。「オネシモを、あなたのもとに送り返します。…もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟としてです。…私を迎えるように彼を迎えてやってください。」(ピレモン1:12-17)ピレモンは、パウロの手紙通りにオネシモを受け入れました。オネシモもピレモンに罪を詫び、ピレモンの寛大な処置に感謝し、真実な心でピレモンに仕えたことでしょう。逃亡奴隷がもとの主人のもとに帰る。そんなことは、この時代にはありえないことでした。しかし、その「ありえないこと」が起こりました。それは、オネシモが、まず神に立ち返り、キリストを信じる者になったからです。
パウロは、コロサイ4:9で、オネシモを「あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟」と呼んでいます。それは、コロサイでは逃亡奴隷としてしか知られていなかったオネシモを、信仰の仲間に、神の家族の兄弟姉妹のひとりとして、受け入れるよう促す要請の言葉でもあったと思います。キリストの愛が、キリスト者を互いに結びつけます。キリストにあっては、自由人も奴隷もなく、ともに一つの家族、兄弟姉妹なのです。どの古代の帝国もそうでしたが、ローマ帝国は奴隷の労働によって支えられていました。奴隷制度が無くなることは、ローマ帝国の滅亡を意味していました。ですから、ローマでは奴隷解放運動は起りませんでした。しかし、霊的な奴隷解放、つまり、人がキリストの十字架の愛と復活の力によって罪の奴隷から解放されることは、奴隷制度によって支えられていたローマ帝国の只中で始まったのです。それはまたたくまにローマ帝国内に広まり、人々の人生を変え、やがて奴隷制度をも変えました。
パウロはピレモンに、オネシモのことを、「彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています」(ピレモン1:11)と言いました。じつは「オネシモ」という名前には「役に立つ者」、「有益な者」という意味があります。ところが、オネシモは、その名と正反対のことをして、「役に立たない者」、「無益な者」となってしまったのです。しかし、神の恵みによって、オネシモはその名の通り「役に立つ者」、「有益な者」へと変えられました。
コロサイ4:7-17には「テキコ、アリスタルコ、マルコ、ユスト、エパフラス、ルカ、デマス、ヌンパ、アルキポ」といった人々の名前が出てきます。どの人も長年、パウロとともに伝道の働きに携わってきたパウロの同労者たちです。パウロは、そうした人々の中にオネシモを加えました。そして、「このふたりが、こちらの様子をみな知らせてくれるでしょう」と言って、オネシモを自分の使者の一人であり、信頼できる人物として、コロサイの人々に推薦しました。イエス・キリストの救いは、人を「罪の奴隷」から「神の子ども」へ、「無益な者」から「有益な者」へ、さらに「キリストの使者」と造り変えるのです。
私たちも、イエス・キリストを信じる前の人生を振り返ると、無益な生活をしてきたことに気付きます。しかし、神は、そんな私たちを、神にとっても、社会にとっても有益な者として造り変えてくださいました。私たちだけでありません。世界中の何と多くの人が、神なく、望みのない生き方から救われ、神の愛により、キリストの恵みにより、聖霊の力によって有益な者に変えられてきたことでしょうか。
きょうの箇所は、「ピレモンへの手紙」と合わせて読むとき、私たちに大きな慰め、励ましを与えてくれます。イエス・キリストは、罪を赦してくださる。人を造り変えてくださる。大きな愛でご自分のうちに迎え入れてくださる。キリストにあって、無益な人など誰もいない。キリストの目には、一人ひとりが、赦されている存在、新しい存在、神の家族、そして有益な者なのです。これが「福音」(グッド・ニュース)です。私たちはこの福音を聞いて、信じて、救われました。この福音がもっと多くの人に証しされ、より多くの人が幸いな人生を始めることができるよう祈りましょう。
(祈り)
父なる神様、罪のために「無益な者」だった私たちを、あなたは、イエス・キリストによって「有益な者」として造り変えてくださいました。あなたの大きな恵み、あわれみを心から感謝します。この週も、「キリストにある自分」を再確認して、あなたの愛のうちに、キリストの恵みのうちに、そして、聖霊の交わりのうちに歩む者としてください。主イエス・キリストのお名前で祈ります。
11/6/2022