感謝の生活

コロサイ3:15-17

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3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。

 一、感謝は命令

 “It’s not happiness that bings us graditude. It’s gratitude that brings us happiness.”(私たちに感謝をもたらすのは、幸福ではない。私たちに幸福をもたらすのは感謝である)聖書の言葉ではありませんが、味わい深い言葉です。聖書も、感謝が祝福をもたらすことを教え、私たちにまず感謝するように命じています。

 詩篇には「主に感謝せよ」という言葉が何度も出てきます。たとえば、詩篇107篇では、1節に「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」とあって、8節、15節、21節、31節に「彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ」という言葉が繰り返されています。

 新約聖書も同じです。最も良く知られているのは、テサロニケ第一5:16-18でしょう。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」喜び、祈り、感謝することが命じられています。そうです、それは命令です。今、喜べないと思ったとしても、とても祈れないと感じても、感謝すべきことが見えなくても、とにかく「喜び」、「祈り」、「感謝する」ことが教えられています。

 物理学に「慣性の法則」というものがあります。物体に力が加えられないかぎり、静止している物体は静止し続け、動いている物体はそのまま動き続けるというものです。たとえば、車を急発進すると、乗っている人はうしろに倒れます。人が静止したままでいようとするのに、車のほうが先に進んでしまうからです。逆に、車が急停止すると、乗っている人は前のめりになります。ステアリングホィールやフロント・グラスにぶつかったりしかねません。ですからシートベルトやエアバッグが必要になるのです。また、車も、一旦動きはじめれば、もし、摩擦や抵抗が何もなければ永遠に動き続けます。ブレーキの必要なわけが分かります。

 同じようなことは、人の心理の中でも起こります。私たちが長い間同じことを繰り返しているとそれが固定観念になり、習慣になり、そこから抜けられなくなるのです。何か嫌なことがあるとすぐに怒る、誰かが一つの失敗をしたら、それでその人のすべてを否定してしまう。自分が失敗したときには、いつまでも自分を責めて、失望、落胆してしまう。そうしたことはみな、物事が起こるたびにしてきた反応が積み重なって生まれたもので、たいていの場合、それは否定的、消極的なものです。

 猫をゲージに入れ、入り口を閉めると、猫は、もうそこから出られないと観念し、ゲージの中で入り口が開くのを待ちます。ゲージのシェルを取り外しても、猫は目の前の蓋にだけ注目し、そこから出ようとしないのです。私たちも目の前の問題だけしか見ず、イエス・キリストがそこから解放してくださっていること、また、救い出してくださることを見落としていることがあります。

 そうした固定観念や束縛を打ち破るものが「感謝」です。聖書が「感謝せよ」という通り、まず感謝する。とにかく感謝する。そこから問題の解決が生まれます。

 二、感謝は可能

 しかし、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」と言われても、喜べないこともあり、祈れないときもあり、感謝が湧いてこないこともあるでしょう。「いつも」、「絶えず」、「すべての事」と言われても、そんなことは、とうていできません。けれども、自分の力ではできなくても、イエス・キリストにあっては、それが可能になるのです。聖書は「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」と言うだけでなく、その後に、「これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」と付け加えています。「キリスト・イエスにあって」、この言葉が大切です。自分ではできないことも、イエス・キリストにあってはできます。イエス・キリストがそれをさせてくださるのです。

 私たちは、自分の力では、苦しみを受けてまで、それを喜ぶことはできません。しかし、イエスは苦しめられることがあっても、それを喜べと言われました。マタイ5:11-12にこうあります。「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。」ここには、私たちが喜ぶことができる理由があります。天の報いがあるからです。たましいの救いがあるからです。財産が奪われ、身体が傷つけれることがあっても、だれも、私たちのうちにある救いの喜びを奪うことができないからなのです。

 また、私たちは、自分の力では、祈り続けることができません。思い煩いにとらわれたり、疑いに押しつぶされたり、忙しさの中で疲れ果ててしまったりするからです。そうなると、「神は、もう私の祈りには聞いてくださらないのだ」と思い込み、祈ることをやめてしまうことがあります。しかし、イエスは言われました。「あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになる。」(ヨハネ15:16)イエスのお名前によって祈る祈りはかならず聞かれると約束されたのです。私たちは、キリストの名で呼ばれている者、イエス・キリストのお名前を持っている者です。どんなときでも、そのお名前を呼んで祈ることができるのです。

 私たちは、自分の力では、すべてを受け入れ感謝することはできません。「こんなことは感謝できない」と思ってしまうのです。しかし、キリストは、私たちの目を開いて、私たちがどんなに大きな恵みを受けているかを見せてくださいます。私たちにとってほんとうに必要なもの、大切なもののすべては、じつは、私たちが自分の力で勝ち取ったものではありません。みな、恵みによって受けたものです。この命も、命を支える空気も水も食べ物もみな恵みです。家族も、友も、教師も、医師も、社会を支えるために働いているすべての人もみな恵みです。誰一人欠けても、今の私はなく、毎日の生活は成り立ちません。

 そうした恵みに加えて、私たちに与えられている最高の恵みは、イエス・キリストによる救いの恵みです。罪に罪を重ねてきた過去の一切が赦されている。こんなに小さな者が神の子どもとして受け入れられ、神に愛されている。地上でも祝福され、天にはなお大きな祝福が待っている。

 しかも、私たちが受けている豊かな祝福は、イエス・キリストが天の栄光を捨てて貧しくなったことによって与えらたものなのです。私たちの罪が赦されているのは、イエス・キリストが十字架でその血を流してくださったからです。私たちが受けている祝福は、イエス・キリストが進んで「のろいの木」である十字架にかかってくださったからです。私たちが、今、永遠の命によって生かされているのは、イエス・キリストがその命を捧げてくださったからです。キリストのへりくだり、苦しみ、悩み、そのお身体に受けた傷のひとつひとつ、それらすべては私たちを救い、癒やし、生かすためのものだったのです。こんな恵みを受けていて、それでも、感謝できないことがあるでしょうか。「キリストにあって」て救われている私たちは喜び、祈り、感謝しないではおれないのです。「キリストにあって」そのことができるのです。

 三、感謝が始め

 テサロニケ第一には、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」と、「喜び」、「祈り」、「感謝」の順で書かれていますが、「喜び、祈り、感謝する」ことができるようになるためには、まず、「感謝」から始めるとよいと思います。「感謝」があれば、その後に「祈り」が続きます。そして、祈りは私たちを「喜び」に導きます。

 コロサイ人への手紙には7回、「感謝」という言葉が出ています。
(1:3)私たちは、いつもあなたがたのために祈り、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。
(1:12)また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。
(2:7)キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。

 これで3回です。そして、きょうの箇所には連続して3回、「感謝」が出てきます。もう一度読みましょう。
(3:15)キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
(3:16)キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
(3:17)あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。

最後、7番目は4:2にあります。
(4:2)目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。

 こうした箇所を見ただけも、感謝がどれほど大切かが分かります。そして、感謝から物事が始まることも分かります。「感謝の心を持つ人になりさい」、「感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい」、「主によって父なる神に感謝しなさい」。もう説明は要りません。実行があるだけです。

 (祈り)

 主なる神さま、あなたはイエス・キリストにより私たちに救いの恵みを注ぎ、私たちに「感謝」を教えてくださいました。私たちは、何度も「感謝」を教えられながら、それを忘れやすい者たちです。どうぞ、私たちに「主に感謝せよ」と命じてください。私たちはあなたに感謝を捧げ、感謝の心をもってすべてを行います。私たちのこの決意を、キリストにあって支え、守ってください。イエス・キリストのお名前で祈ります。

11/20/2022