導く人、導かれる人

使徒8:29-31

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8:29 御霊がピリポに「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい」と言われた。
8:30 そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが分かりますか」と言った。
8:31 するとその人は、「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」と答えた。そして、馬車に乗って一緒に座るよう、ピリポに頼んだ。

 私がはじめてアメリカに来たときのことです。到着して数日しか経っていない、はじめての日曜日、教会からの帰り、借りていた家の近くまで来ているのに、自分の家が分からなくなってしまいました。地図は持っていたのですが、地図を見てもよく分からなかったので、ガス・ステーションで、ガスを入れていた人に地図を見せて、「ここに行くにはどうしたらいいでしょう」と尋ねました。その人は、「こう行って、ああ行って」と教えてくれましたが、それでも、私が分からないような顔をしていたので、「ぼくが、そこへ行ってあげるから、あとをついてきなさい」と言ってくれました。私は、その人の車のあとをついて、無事に家に着くことができました。GPS のある今では、笑い話ですが、地図があっても、地図の読み方が分からないと目的地に着けないということがあるのです。

 それは、聖書についても同じだと思います。聖書は、神が与えてくださった真理を示す地図です。聖書に従えば、誰もが天国への道を見つけることができます。しかし、聖書という地図があっても、その読み方が分からなければ、その道を見つることができません。実際のところ、多くの人が聖書を読んでいながら、聖書から真理を、神への道を見つけられないでいます。聖書とともに「導く人」が必要なのです。きようの箇所には「導く人」であるピリポ、「導かれる人」であるエチオピアの役人、そして、その両方に働かれた聖霊が描かれています。まずは、「導く人」であるピリポのことから始めましょう。

 一、導く人

 ピリポは、エルサレム教会で、ステパノとともに選ばれた七人の一人でした。聖書は、ステパノについて、「信仰と聖霊に満ちた人」と言っていますが、他の六人もまた同じように「信仰と聖霊に満ちた人」たちで、ピリポもそうでした。

 ピリポは偏見のない人でした。ステパノの殉教ののち、エルサレムの教会は迫害を受け、使徒たち以外の人たちは、ユダヤやサマリアに散らされていきましたが、ピリポはサマリアに行きました。当時、ユダヤ人はサマリア人を軽蔑し、サマリア人はユダヤ人を嫌っていました。そこには人種の違いだけでなく、宗教的な違いもありました。けれども、ピリポはサマリアの人々にも、そして、その後、エチオピア人の役人にもイエス・キリストを宣べ伝えています。ピリポは福音を伝える相手を選びませんでした。それは、イエス・キリストこそ、すべての人の救い主であるとの確信が来ています。

 それぞれの民族は、違った歴史や文化を持ち、言葉も違います。とくに外国の属国にされたり、植民地にされて、苦しめられた人々の心の傷は簡単に癒やされるものではありません。それで、民族と民族の間に壁ができてしまうのです。しかし、イエス・キリストの福音には、互いの間にある壁を取り除く力があります。キリストを信じる者は、民族の血筋や DNA の違いはあっても、イエス・キリストの贖いの血で結ばれます。神から生まれた者として共通の霊的な DNA を持ちます。そして、神の言葉という共通の言語を持っています。聖書の翻訳は違っても、同じ章と節を指差せば、互いに分かりあえるのです。イエス・キリストの福音は神と人の間だけでなく、民族と民族の間、人と人との間にも和解と平和をもたらすのです。イエスは「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります」(使徒1:8)と言われました。「ユダヤとサマリア」、互いに敵対していた地域の両方にキリストが宣べ伝えられ、福音によって、互いの間に平和がもたらされることが言われています。それは、イエスのみこころでした。

 私たちは、ときとして、「このような人にはイエスのことを話しても聞いてもらえないだろう」、「あのようなところでは福音を語っても無駄だ」などと考えてしまうことがあります。人や場所を見た目で判断してしまいやすいのですが、ピリポはそういう人ではありませんでした。ピリポはサマリアにいたとき、御使いによって、「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい」という示しを受けました(使徒8:26)。聖書に「そこは荒野である」とありますが、今も、ガザは爆撃で破壊され荒野となってしまいました。「そんなところに行って何になるのだろう。」ピリポは思ったかもしれませんが、彼は従いました。そして、そこに彼を必要としている人を見出したのです。ときに、不毛の地と思えるところ、荒野に導かれることがありますが、神は決して無駄なことはなさらないのです。

 ニ、導かれる人

 次に、導かれる人、エチオピヤの役人について見ましょう。27節に「すると見よ。そこに、エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していた宦官のエチオピア人がいた」とあるように、この人はエチオピア女王の財産管理者でした。古代のエチオピヤは、皇帝によって治められていましたが、皇帝は神聖な者と考えられ、俗事には関わらず、直接政治にたずさわりませんでした。それで、皇帝のかわりに、皇帝の母親が女王となって政治をつかさどりました。ですから、女王に仕えるこの人は、今で言うなら、財務省長官にあたる人でした。旧約時代から、エチオピヤとイスラエルは親しい関係にあり、エチオピヤにはまことの神に心を寄せる人々が多くいたがことが知られています。このエチオピヤの役人もそのひとりでした。彼は、まことの神を信じており、神を礼拝するためにエルサレムに来ていました。ピリポに出会ったのは、礼拝を終えてエルサレムに帰る途中でした。

 しかし、彼はユダヤ人ではないので、エルサレムの神殿に行っても、異邦人の庭にまでしか入れませんでした。祭壇まで進み、そこにささげものをすることは許されなかったのです。しかも、彼は「宦官」と呼ばれる人で、旧約の律法によれば、こういう人は神に仕えることが許されませんでした。けれども彼はあきらめませんでした。律法の壁があったとしても、彼は、神の恵みを信じて、いつか神に受け入れられることを願い求めていたのです。神は、そうした求める心にこたえて、ピリポを送ってくださったのです。何事においても求める心が必要です。それがあれば、神は、聖書という地図から救いへの道をはっきりと知ることができるよう、必要な助けを送ってくださるのです。

 また、この人は、人から教えを受ける謙虚な心を持っていました。彼は馬車に乗って聖書を読んでいましたが、そこにピリポが近づいてきて、「あなたは、読んでいることが分かりますか」と言いました。ピリポの言葉は、聞きようによっては、とても失礼な言葉です。きちんとした身なりをし、御者や供の者を従えて馬車に乗っている彼のところに、馬車を追いかけて走ってきたため、汗臭くなっている一人の男が突然現れ、「あなたは、読んでいることが分かりますか」と言ってきたわけですから、この人がピリポを追い払っても不思議ではありませんでした。しかし、彼は、「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」と答え、ピリポを馬車に乗せ、一緒に座って教えを乞うたのです。

 何事においても、物事がうまく行かない場合、たいていは、間違ったプライドが原因の場合が多いと思います。「そんなことは分かっている」、「それは長年やってきたことだ」などと言って、自分の知識や経験に頼り、人の助言に耳を傾けなかったり、物事を軽く見たりしていると、大きな失敗を犯すことがあります。聖書が「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」(箴言18:12)と教えている通りです。とくに聖書の真理を理解し、聖書が約束している祝福を受けるには、謙虚な心が必要です。エチオピアの高官は、その地位にふさわしい教養があり、外国語で書かれた聖書を読むことができるほどの知識がありましたが、謙虚な心を持っていました。

 さらに、この人は、真理を悟ったならそれを信じ、受け入れる、信仰の決断ができる人でした。彼が読んでいたのはイザヤ書53章でした。しかも、ただぼんやりと読んでいたのではありません。イザヤ53:7-8に「彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと」とありますが、ここで言われている「彼」とは誰のことだろう、それは預言者イザヤのことだろうか、それとも他の誰かのことだろうか、他の誰かなら、それは誰なのだろうという質問が出るほどに、しっかりと、考えながら、聖書を読んでいました。ピリポは、イザヤ書53章の「彼」とは救い主イエス・キリストであると答えました。35節に「ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた」とあります。エチオピアの役人は、イエス・キリストを知ると、すぐさま信じて、バプテスマを受けました(36、38節)。彼は、神がピリポを送ってくださったこの機会を逃しませんでした。「いつか信じよう」、「いつか従おう」といっているうちは、決して信仰に至りません。信仰には決断が求められます。求める心、謙虚な心、そして決断する心が、私たちを救いと祝福に導くのです。

 三、背後の導き手

 この役人は、信仰の喜びに満たされてエチオピアに帰りました。その後のことは、聖書に何も書かれていませんが、紀元一世紀にエチオピアに教会があったことは歴史によって知られています。このエチオピアの役人は、古代から続いたエチオピア教会の礎を築き、エチオピアの王室に大きな影響を与えたと思われます。彼は、ピリポによって信仰に導かれましたが、エチオピアに帰ってからは、他の人をキリストに導く人になったのです。「導かれた人」が「導く人」に変えられたのです。やがてキリスト教はエチオピアの国教となりました。1974年にエチオピアで軍事革命が起こり、ハイレ・セラシェ皇帝が追放されるまで、歴代エチオピアの皇帝は教会の擁護者でした。

 1960年、革命前にビリー・グラハムがエチオピアの首都アディス・アベバで1万2千人の人々に福音を語りましたが、今年(2025年)フランクリン・グラハムが、65年ぶりに、エチオピアで集会を開きました。3月8日と9日の2日間で43万の人々が集まりました。

 使徒8章は、福音がエチオピアという「地の果て」までも届いたことを教えています。ピリポの働きは目覚ましいものでした。エチオピアの役人の信仰も素晴らしいものでした。しかし、「導く人」ピリポと「導かれた人」エチオピアの役人の背後で二人を導いておられたお方がありました。聖霊です。ピリポを遣わし、エチオピアの役人が救われるという伝道の実りを与えてくださったのは聖霊です。『使徒の働き』の以前の名前は『使徒行伝』でした。紀元30年から紀元59年までの30年間の初代教会の歴史を記録したものです。使徒ペテロと使徒パウロの宣教活動が中心に書かれていますので、『使徒行伝』と呼ばれてきたのです。けれども、福音を宣べ伝えたのは使徒たちだけではありませんでした。多くの人たちが、イエス・キリストを証しし、福音を語り伝えました。そして、そのどれにも、聖霊の働きがありました。ですから、「『使徒行伝』は『聖霊行伝』である」などと言われたものでした。

 クリスチャンであれば、誰もが、福音が広まることを願っています。そのために、神が用いてくださるなら、自分も「導く人」になりたいと願い、「導かれる人」に出会わせてくださいと祈るでしょう。福音は、「人から人へ」と伝えられますが、しかし、それは決して人の力によるものではありません。聖霊が「導く人」にも、「導かれる人」にも働いてくださってはじめて、福音が伝えられ、キリストの救いが届くのです。ですから、私たちは何よりも聖霊に頼り導かれながら、キリストを証しする者となりたいと思います。

 (祈り)

 父なる神さま、ピリポは、ほんの短い間でしたが、エチオピアの役人が自分の国に帰る旅に寄り添い、福音を伝えました。そのように、私たちも、誰かの人生の旅に寄り添い、イエス・キリストを証しできますよう、助けてください。とくに、母国に帰る人々をあなたのもとに導き、クリスチャンとして送り出すことができるようにしてください。アメリカでキリストに導かれた人たちが、自分の国で他の人を導く者となれますように。聖霊の力に頼り、聖霊の導きに従って、そのことができますように。イエス・キリストのお名前で祈ります。

6/22/2025