初代の教会

使徒4:32-35

オーディオファイルを再生できません
4:32 信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。
4:33 使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。
4:34 彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、
4:35 使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。

 今日はペンテコステ、聖霊降臨日です。この日、聖霊が弟子たちの上に降って、教会が始まりました。いうならば教会の誕生日、全世界の教会の創立記念日です。この日にはじまった教会は今日にいたるまで発展を続けてきましたが、それは、何の努力も、労苦も、犠牲もなしにではありませんでした。ある歴史家が「殉教者の血が教会の種となった。」と言ったように、教会は、多くの人々の血と汗と涙によって建てあげられてきたのです。今日はメモリアル・サンデーでもあり、国のため、社会のため、また教会のために尽くしてくださった方々を覚える日ですので、初代教会の姿を学び、私たちの信仰の先輩たちの姿にならいたいと思います。

 一、一致

 初代教会の特徴は、数々ありますが、そのひとつは「一致」でした。主イエスは世を去る前、弟子たちのために「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。」と祈ってくださいましたが、この祈りの通りに、初代教会は「心と思いを一つにして」(32節)いました。使徒1:14に「この人たちは、…みな心を合わせ、祈りに専念していた。」とあるように、教会は心を合わせ祈ることから始まったのです。ペンテコステに新しく教会に加わった人々も「毎日、心を一つにして宮に集ま」っていました(使徒2:46)。一致は、教会が教会であることのなくてならない条件で、これがなければそこは教会でないと言ってもよいほどのものです。一致はほんとうの教会の「しるし」です。ピリピの手紙に「あなたがたは霊をひとつにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており、また、どんなことがあっても、反対者たちに驚かされることはない。それは、彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。」(ピリピ1:28)とあります。教会の力というものは、その人数や経済力によるのではありません。どんなに大きく、豊かな教会でも、こちらのグループとあちらのグループとがいつも対抗しあっている、足の引っ張り合いをしているというのでは、その教会は、教会としては成り立ちませんし、なによりも、神の栄光を表わすことはできないのです。

 人は、それぞれ同じ民族、同じ言葉、また同じ境遇の者といっしょにいるのを好みます。それは悪いことではありません。ですから、私たちも、日本人、日系人、何らかの形で日本と関わりを持つ家族が集まって、教会をつくり、その中に日語部、英語部という働きの部門があるのです。同じ、日語部の中にも、男性の会、女性の会、まきば、白百合会、ルツ会、ヤング・アダルト・アンド・ファミリーなどのスモール・グループがあります。しかし、私たちはひとつの教会です。英語部の方の中に "Pastor Nakao, your church is growing. It's good!" などと言ってくださる方がありますが、たとえ、私たちは別々に礼拝を持っていても、ひとつの教会なので、そう言われると返事に困ってしまいます。日語部が成長しなければ、英語部も成長しませんし、英語部が良くやってくださっているから、日語部も伝道できるのです。どちらか一方にトラブルがあれば、それはかならずお互いに悪い影響を与えます。日語部は、日本語を理解される方々に伝道する部門、英語部は英語でのミニストリーのための部門で、サンタクララ・バレー・ジャパニーズ・クリスチャン・チャーチは一つの教会です。同じように、各スモールグループも、それぞれ、伝道の対象の違いによってつくられたもので、それ自体が、独自の信仰や方向を持った「教会」ではないのです。私は、昨年8月の "Monthly Report" に「スモールグループとミニ・チャーチ」という文章を書き、スモールグループが「教会内の教会」にならないように、それぞれがキリストのからだである教会の各器官であるということを覚えているようにとお願いしましたが、各スモールグループが、それぞれの目的をはっきりとつかんで、教会の一致のために励んでいてくださることを感謝しています。

 もちろん、聖書が言う「一致」は、人間の知恵や工夫、あるいは組織の力によって作り出される人工的な一致ではありません。聖書の教える一致は、人間の側から出たものではなく、神から出た一致です。主は私たちのため「それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。」と祈られました。教会の一致は、三位一体の神から来る一致です。一致の心は愛と、謙遜から生まれますが、それもまた、キリストのうちから出たものです。ピリピの手紙は「あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志をひとつにしてください。」(ピリピ2:2)と勧めてから、「…それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」(ピリピ2:5-7)と言っています。自己主張しない心、自分を無にして仕える態度、弱い立場にある人のことを考えることのできる思いなどは、みなキリストが持っておられたもので、キリストを信じるひとりびとりが、このようなキリストの心を心として生きる時、また、神と人の前でへりくだる時、教会の一致が保たれていくのです。

 二、宣教

 初代教会の第二の特徴は、力強い伝道にありました。このことを、使徒の働きは「使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。」(33節)と書いています。使徒たちの力強い伝道の秘訣はどこにあったのでしょうか。それは、来週の礼拝メッセージや、その後の使徒の働きからのメッセージでとりあげていきたいと思いますが、今朝ひとつだけあげるとすれば、それは、聖霊の働きです。イエスは天に帰られる前、弟子たちに「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)と言われました。キリストの証人になる、キリストを証しする、と言われたことを、使徒たちは、文字通り実践しているのですが、その力は、聖霊でした。ユダヤの指導者たちの迫害を恐れて逃げ隠れしていた弟子たちが、何者も恐れずに、キリストの復活を宣べ伝えることができたのは、聖霊の力以外にありえませんでした。

 33節には「使徒たちは」とありますが、実は、キリストの証人になったのは、使徒たちだけではありません。この後、エルサレムの教会では、使徒たちを助けるために七人の執事が選ばれるのですが、その七人のうちのステパノもまた、キリストの証人となりました。ギリシャ語で「証人」という言葉には「殉教者」という意味がありますが、ステパノは文字どおりの証人、殉教者となったのです。同じ執事のひとり、ピリポはサマリヤの人々に、また、エチオピアからやってきた役人にも伝道しています。イエスが言われた「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」ということばは、使徒たちによってでなく、執事たちによってまず実行されたのです。

 使徒たちや執事たちばかりでなく、一般の信徒も伝道しました。使徒11章に、エルサレムで迫害にあって外国に散らされていった信徒たちが、アンテオケまでやって来て、そこでギリシャ人にも伝道したとあります。今までは、使徒たちがエルサレムにいて、ユダヤ人にしか伝道していなかったのが、執事たちがユダヤやサマリヤまで出かけ、信徒たちがユダヤ人だけでなく、ギリシャ人にも伝道していったのです。信徒のひとりびとりが聖霊の力によって「地の果てまで」伝道していく、それが初代教会の姿でした。

 福音はエルサレムから始まって、ユダヤ、サマリヤ、そして、ヨーロッパへとひろがり、ヨーロッパからアメリカへ伝えられました。そして、いわば地の果てのような日本に、ヨーロッパやアメリカから多くの宣教師が行って、福音を伝えたのです。今日のように、交通、通信が発達しますと日本は場所的には「地の果て」ではなくなりました。アメリカと日本は、文化の交流が盛んで、日本はアメリカのお隣の国といっても良いほどになりました。しかし、霊的な意味では、日本や日本人はまだまだ「地の果て」にいるような状態です。日本人の多くは福音を聞いたことがなく、霊的には神から遠く離れているからです。ですから、アメリカの国にいる日本人に伝道している私たちは、まさに、「地の果て」への伝道の使命を果していると言っても良いでしょう。伝道にはさまざまな困難なつきまとうかもしれませんが、聖霊の力をいただく時、私たちもキリストの証人となることができるのです。

 三、献身

 初代教会の第三の姿は、それが献身者の群れだったということです。「献身」というと、神学校に行って牧師、伝道者、宣教師になることと考えられがちですが、ほんとうの献身は、どういう立場に立つかということよりも、その置かれた場所で神を第一にして生きること、自分自身を神の手に任せて生きることにあります。そういう意味で初代の教会は献身者の群れでした。

 さいわいなことに、アメリカでクリスチャンになることは、さほど困難なことではありません。しかし、初代教会の時代にクリスチャンになるということは、大変なリスクを背負わなければなりませんでした。最初のクリスチャンはすべてユダヤ人でしたが、彼らはキリストを信じた時、ユダヤの会堂から追放されたのです。ユダヤでは会堂が社会の中心で、会堂から破門され、追放されるということは、ユダヤの社会での市民権を失うことを意味しました。そのため仕事を失い、貧しくなった人々も多かったのです。そういう人々を助けるために、教会では「地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられた」(34節)のです。32節にも「だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。」とあります。これは一見すると、共産主義のように見えますが、そうではありません。共産主義というのは、個人の自由を認めず、権力によって、すべてを国家のものにしてしまう制度ですが、初代教会では、資産を持っている人が強制的にそれを手放さなければならないというのではありませんでした。使徒の働きの次の章に、アナニヤとサッピラという夫婦が、地所の代金を教会にささげた時、その一部を自分たちのためにとっておいたのに、「これが地所の代金のすべてです。」と偽ったということが書かれています。その時、ペテロは、「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」と言っています。「それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。」ということばが示すように、初代教会では、人々は強制されて財産をささげたのではありません。信仰のゆえに貧しくなった人々に、愛の手をさしのばすために、自発的に、持っているものをささげたのです。アナニヤは地所を売らなくても良かったし、売った代金の十分の一だけをささげても良かったのです。アナニヤは、神からの報いではなく、「あの人は、貧しい人たちのためにすべてをなげうった。」という人々からの称賛を得ようとして、偽りの申告をしたのです。しかも、夫婦で共謀したのです。その結果は、とても恐ろしいことになりましたが、アナニヤとサッピラの事件は、彼ら以外の人々が、どんなに真心から、自分自身をささげ、持っているものをささげたかを示すものとなっています。初代教会には最初に三千人の人々が加わり、その後も次々と人々が加えられ、短い期間に五千人にまでなりました(使徒4:4)。けれども、それは、人々が物珍しさに誘われたり、そこにベネフィットを求めてやってきたというのではありません。人々はイエスが自分のために死んでくださったということを信じただけでなく、これからは、このイエスのために生きるのだという決意をもって、教会に加わったのです。神のために生きる、キリストのために生きるという決意、これが「献身」です。「だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。」というのは、神への献身のひとつの表われだったのです。

 北米ホーリネス教団は今から85年前に、ロスアンゼルスで始まりました。日本から来た青年たちとハワイから移住してきた二世の青年が、既成の教会で、純粋な福音が語られていないことに失望し、自分たちで教会を起こしました。彼らが一日働いて得たお金は全部テーブルの上に差し出され、それで必要がまかなわれたと、教団の歴史に書かれています。まるで、人々が使徒たちの足もとに財産を差し出した初代教会のようですね。教会のメンバーが二十人にも満たない時でしたが、葛原定市先生を牧師として招き、二軒の家を買い、一軒を教会堂に、一軒を牧師館にし、最初のロスアンゼルスの教会ができあがったのです。そして、そこから、カリフォルニアの各地に伝道がなされ、次々と教会が建てられていきました。

 サンタクララの教会は、サニーベルとキャンベルのふたつの教会がひとつになってできたのですが、サニーベルの教会が、教会堂を建てようとした時は、まだわずかな人数で、しかも、メンバーには裕福な人は誰もいませんでした。「はたして自分たちだけで会堂を建てることができるのだろうか。」という気持ちになったそうです。しかしその時、自分の持っているものをまず神にささげようと言って、みんながその時財布の中にあったお金をみんな差し出して、それを神に捧げ、神の助けを祈ったと聞いています。教会が、初代教会と同じように、献身者の群となった時、その捧げ物が用いられ、サニーベルの教会に会堂が与えられたのです。

 サニーベルとキャンベルの教会が力を合わせて建てたサンタクララ教会の建物も、35年の年月が流れ、手狭になってきました。5年後に40周年をお祝いするわけですが、私は、その時をたんなるセレブレーションで終わらせたくないと願っています。何か、形ある、具体的なものを、次の世代に残したいと祈っています。ホーリネス教団のどの教会も、戦争中、教会のメンバーはキャンプに入れられ、財産を無くしました。二世の若者たちは、ヨーロッパ戦線に送られ、命懸けで戦ってきました。ほとんど何もないところから、教会を復興し、こうして、私たちのために建物を残してくださったのです。二世の方々の労苦や犠牲を忘れてはなりません。また、二世の方々が、その信仰のゆえに、豊かな報いを主からいただいていることも、見落とさないようにしましょう。二世の方々は、戦後ほとんどゼロから出発しましたが、ほとんどの方々が、健康にも恵まれ、豊かな生活を楽しんでおられます。それは、自分たちのことよりも、神のことを第一にし、教会のために尽くしてくださったことに、神が報いて祝福してくださったからです。今度は、私たちの番です。先輩のクリスチャンの残してくださったものを、さらに大きくして、次の世代に渡していきたいと思います。そのために、私たちも、献身の心をもって、キリストとキリストの教会のために励みましょう。神は、一致のある教会、伝道する教会、そして、献身の思いを絶やさない教会をかならず、祝福してくださるのです。この祝福にあずかることができるよう、さらに励んでいきましょう。

 (祈り)

 父なる神様、メモリアル・サンデーに、初代の教会の姿を、また、私たちの先輩たちの信仰を思い返すことができ感謝をいたします。この後、私たちが守ります聖餐によって、私たちがひとつであること、また、私たちに福音を伝える使命が与えられていること、そして、あなたが、私たちに献身を求めておられることを、心に刻ませてください。そして、聖餐によって、私たちを信仰によってひとつとし、主の死と復活をあかしする力を与え、あなたに自らをささげることができるよう、導いてください。主イエス・キリストのお名前で祈ります。

5/30/2004