神に聞き従う

使徒4:18-20

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4:18 そこで、彼らは二人を呼んで、イエスの名によって語ることも教えることも、いっさいしてはならないと命じた。
4:19 しかし、ペテロとヨハネは彼らに答えた。「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。
4:20 私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」

 一、アメリカの憲法

 きょう9月17日は何の日かご存知ですか。「アメリカ合衆国憲法」が作られた日です。アメリカは1776年7月4日の「独立宣言」以来、7年間の独立戦争を戦い、1783年9月3日の「パリ講和条約」で独立国と認められましたが、合衆国としての制度はまだ出来ていませんでした。それで、1787年5月に、フィラデルフィアで「憲法制定会議」が開かれました。ジョージ・ワシントンが議長となり、会議は16週間続き、“We the People” で始まる憲法が作られました。この会議で重要な役割を果たしたのは、ジェームス・マディソンです。彼は、身長5フィート4インチ、体重100ポンドの小柄な人で、このとき、34歳の若さでしたが、憲法制定のための実質的な働きをしました。マディソンは後に第4代大統領となりますが、大統領としてよりは、「憲法の父」としてのほうが、よく知られています。

 アメリカの憲法は、当時、他のどの国にもなかった画期的なものでした。憲法が定めた政治体制は、まだ誰も試したことのないものでした。この憲法が生き残るかどうかは、憲法を守り、憲法が目指すものを実現していこうとするアメリカ市民の努力にかかっていたのです。

 このことについて、憲法制定会議のメリーランドの代議員ジェームス・マックヘンリーが次のようなことを、日誌に記録しています。

 会議が終わり、最高齢81歳の議員ベンジャミン・フランクリンが議場から出てきました。そこにミセス・エリザベス・ウィリング・パウエルがやってきました。憲法制定会議には女性はひとりも参加していませんでしたが、パウエル・ファミリーはフランクリンとコネクションがありました。彼女はこう尋ねました。「ドクター・フランクリン、会議の結果はどうなりましたか。共和制ですか? 王制ですか?」フランクリンは答えました。「共和制ですよ、奥様、もしそれを保つことができれば…。」“Republic, if you can keep it.” 憲法ができ、国家体制が定められたからといって、国家が作られたわけではない。憲法は、これから作られていく国家の設計図、青写真であって、われわれは、憲法を守り、国を作って行かなければならないと、フランクリンは言おうとしたのです。それは、合衆国憲法ができて236年経った今も同じです。今も、憲法を実現するための努力が続けられなければ、憲法は「絵に描いた餅」になるのです。

 二、信仰の自由

 合衆国憲法は「三権分立」を定めています。議会が法律を作り、大統領を長とする行政がそれを実行します。しかし、議会がとんでもない法律を作った場合は、司法がそれを無効にすることができます。また、大統領が勝手なことをした場合、議会は大統領を免職できます。また、最高裁の判事は大統領が任命し、議会で承認されなければなりません。「立法」、「行政」、「司法」が互いにチェックし、バランスを保つのです。そして、大切なことは、連邦レベルでも、州レベルでも、市民が選挙によって主な役職に就く者を選ぶことができることです。市民が政治に関わる。これが民主主義です。この仕組みは、アメリカ市民がどんな権力によって支配されず、自らの手で自らを治めるという「自治」を保つための制度です。

 そして、この「自治」の権利が守られるためには、自由が必要です。それで、「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と、独立宣言に謳われていることが、憲法にも記される必要がありました。それで、1789年3月に開かれた第1回連邦会議で10項目の「修正条項」が追加されました。これは「権利章典」と呼ばれますが、その中で、一番大切なものは、修正第1条です。こう書かれています。

修正第1条[信教・言論・出版・集会の自由、請願権]連邦議会は、国教を定めまたは自由な宗教活動を禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、ならびに国民が平穏に集会する権利および苦痛の救済を求めて政府に請願する権利を制限する法律は、これを制定してはならない。

 アメリカには「立法」、「行政」、「司法」の「トライアングル」がありますが、同時に「信仰」、「道徳」、「自由」の「ゴールデン・トライアングル」があり、これが国を支えています。アメリカは個人の自由や権利が最大限尊重される国ですが、その自由は、けっしてわがままなものであってはなりません。他の人の自由を侵す自由はほんとうの自由ではありませんし、自分の権利の主張が他の人の権利を脅かしてはならないのです。互いの自由や互いの権利が衝突しないようにするため、さまざまな法律が作られているのですが、すべてのことを法律で規制することなどできませんし、そんなことをしたら、自由のない社会になってしまいます。人々の自由や権利が守られるためには、進んで自分の権利を譲り、互いに他を思いやる道徳が必要です。

 しかし、道徳は時代によって変わるもので、道徳は、それ以上のもの、神が立てられた秩序に従うのでなければ、その土台を失います。確かに「アメリカ憲法」には「神」という言葉はありません。しかし、それが作られたときには、その根底に神への信仰がありました。第2代大統領ジョン・アダムスはこう言いました。「我々の憲法は道徳と信仰を持つ人のために作られている。我々の政府は、そうでない人たちには全くふさわしくない。」合衆国憲法と民主政治は、神への信仰を持つ者たちによって守られることが前提になっていたのです。

 アレクシ・ド・トクヴィルは、のちに、フランスの外務長官になった人ですが、1831年から1832年にかけてアメリカに滞在し、その政治と社会を研究し、『アメリカのデモクラシー』という本を書きました。その中で、彼は「道徳の支配なくして自由の支配を打ち立てることは出来ない。信仰なくして道徳に根を張らすことは出来ない」と書いています。また、こうも書いています。「フランスにおいては、信仰の精神と自由の精神がそれぞれ反対の方向に向かっているが、アメリカにおいては、それが結びついている。」実際、フランス革命では、クーデターに次ぐクーデターが起こり、トクヴィルはナポレオンによって公職を追放されています。信仰、道徳、自由はしっかりと結びつくところ、それらが正しく機能するところに国の発展があるのです。

 三、使徒たちの模範

 自由は道徳を必要とし、道徳は信仰を必要とし、そして、信仰は自由を必要とします。信仰は、国王であれ、大統領であれ、どんな権威、力であれ、そうしたものの強制や束縛、圧迫から自由でなければなりません。聖書が書かれた古代には、合衆国憲法がいうような「信仰の自由」という概念はありませんでしたし、言論や集会の自由、政府への嘆願の権利などもありませんでした。しかし、聖書の信仰者たちは、王の命令がどうであれ、神に従い通しました。神に従い通すことによって、後に「信仰の自由」と呼ばれるものを示したのです。エリヤは、国王がバアル礼拝をしても、まことの神への信仰を捨てず、王とバアルの預言者たちに立ち向かいました。ダニエルは、彼を妬む者たちの策略により、神への祈りを禁じられたときも、いつものように神に祈ることをやめませんでした。

 新約の時代、使徒たちも、ユダヤの宗教権力者たちから迫害を受けましたが、それにひるむことなく、イエス・キリストを宣べ伝えました。聖書に記されている最初の迫害は、使徒3〜4章に書かれています。ペテロとヨハネが神殿でイエスのことを証ししていると、「祭司たち、宮の守衛長、サドカイ人たち」がやって来て二人を捕まえ、留置所に入れました。翌日、大祭司とその一族、民の指導者たち、長老たち、律法学者たちが集まり、「大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレクサンドロと、大祭司の一族」も出席しました。アンナスは大祭司カヤパのしゅうとで、ゲツセマネの園で捕まえたイエスを尋問した人物です。カヤパは、イエスを罪に定め、総督ピラトの手に渡した人です。主イエスは、主が受けたのと同じ扱いを、弟子たちも受けようになると言っておられましたが、はたして、そのとおりになりました。主イエスを罪に定めた人々は、イエスに従う人々をも同じように罪に定めようとしたのです。

 彼らは、「おまえたちは何の権威によって、また、だれの名によってあのようなことをしたのか」と二人に問いただしました。ペテロはそれに答えて、イエスがキリストであることを語り、「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです」(使徒4:12)と言い切りました。大祭司たちは、このイエスの名によって癒やされた人がそこにいたので、困りきってしまい、二人に「イエスの名によって語ることも教えることも、いっさいしてはならない」と命じました。けれども、ペテロとヨハネの二人はこう答えたのです。「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」(使徒4:19-20)言論の自由などなかった時代に、ユダヤの権力者たちの前で、このように語ることができたのは、驚くべきことでした。

 ペテロとヨハネは釈放されたあと、教会の集まりに戻りました。クリスチャンは迫害を受けても、共に集まり、心を合わせて祈ることをやめませんでした。今日の言葉でいえば、彼らは信仰の自由、言論の自由だけでなく、集会の自由も守り通したわけです。

 この後、エルサレムの教会に大きな迫害が起こり、イエスを信じる者たちはエルサレムを追われましたが、どこに行ってもそこでイエス・キリストを宣べ伝えました。そして、キリストが宣べ伝えられたところには、キリストを信じる者たちの集まりが生まれました。そうして教会は、ユダヤ地方だけでなく、ローマ帝国のいたるところに建てられたのです。

 やがて、ローマ皇帝による組織的な迫害が臨みましたが、クリスチャンは礼拝と祈りのために集まることをやめませんでした。ローマの地下墓所には、聖書や信仰に関するものが数多く壁に刻まれています。それは、クリスチャンがそこで集まり、礼拝をささげ、互いに信仰を励ましあい、迫害に打ち勝ったしるしとして残されています。教会の指導者たちは、クリスチャンが善良な市民であること、国を愛し、国のために祈っているのはクリスチャンであることを手紙に書き、命がけで皇帝に直訴しました。信仰の自由、言論の自由、集会の自由、また、政府にアッピールする権利などを、クリスチャンは二千年前から実践していたのです。もちろん、その自由を守り、勝ち取るために、多くの殉教者が出ました。古代のクリスチャンは、イエス・キリストを信じる信仰の自由、神に聞き従う自由が、命をかけても守る価値があることを知っていたのです。

 今日、アメリカだけでなく、さまざまな国々で、信仰の自由や信仰を言い表す自由が制限されつつあります。かつては、「イエスは主です」と告白し、賛美し、礼拝すること、神に従うことは、愚かなことだと言われ、馬鹿にされてきましが、今は、信仰を持ち、神に従うことに対して敵意が向けられるようになりました。それはヨーロッパですでに起こっていたことで、今、アメリカでも起こっています。アメリカ建国の父祖たちが大切にしたものが崩されようとしています。この大きな時代の転換期にあっても、私たちは「神に聞き従う」ことを選びとっていきたいと思います。それが多くの人々の幸せにつながるからです。

 これは、トクヴィルの言葉です。

「私は、アメリカの教会の講壇から正義が語られるのを聞いて、はじめて、アメリカの力の源を知った。アメリカが偉大なのは、善であるからだ。アメリカが善であることをやめるなら、もはや偉大であることはできない。」(America is great because she is good, and if America ever ceases to be good, she will cease to be great.)
アメリカのクリスチャンが信仰に踏みとどまることが、アメリカを神の祝福のもとにある自由で、豊かで、平和で、偉大な国にするのです。

 (祈り)

 主なる神さま、アメリカの歴史を振り返るとき、建国の父たちがあなたへの信仰によって、国を作り、発展させようとしたことを思います。そのことが忘れられようとしている、この時代ですが、今一度、私たちの信仰を励まし、何にも勝って信仰を大切に守る覚悟を、私たちに与えてください。イエス・キリスのお名前で祈ります。

9/17/2023