世界を変えた人たち

使徒2:1-8

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2:1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
2:2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
2:3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
2:5 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、
2:6 この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
2:7 そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。
2:8 それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。

 一、弟子たちの変化

 ペンテコステの日に聖霊は何をしてくださったのでしようか。聖霊は、弟子たちをつくりかえ、教会を生み出し、そして世界を変えました。

 まず、弟子たちの変化から見ていきましょう。それまで逃げ隠れしていた弟子たちが、イエスを十字架につけたユダヤの指導者たちを前にして、「あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」(使徒2:36)と語っています。彼らは恐れを知らない者となりました。聖霊によって、勇気と大胆さを与えられたのです。

 そればかりでなく、聖霊によって、知恵に満たされました。弟子たちが、それぞれ自分たちの国の言葉で話しているを見た人々は「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか」と言いました。

 「ガリラヤ人」という言葉には、軽蔑の意味があります。首都エルサレムから遠く離れ、サマリヤ人やカナン人の土地と隣接した「ガリラヤ」は貧しく、無学な人々がいるところと思われていたのです。しかし、弟子たちは、イエス・キリストが救い主であることを理路整然と語り出しました。それはユダヤの宗教指導者たちも反論できないほどでした。

 さらに、聖霊は、弟子たちの品性を高めました。どんなに大胆で、知恵があっても、それだけでは、人々にイエス・キリストを証しすることはできません。大胆であっても誠実さがなければ、知恵があっても謙遜さがなければ、それは本物とはいえません。聖霊は弟子たちをキリストの似姿へとつくりかえました。弟子たちは、迫害を受けましたが、その人格のゆえに、同時に人々から大きな尊敬を勝ち取っています。

 最初の殉教者となったステパノは「恵みと力とに満ちて」いて、その顔は天使の顔のように見えた(使徒6:8, 15)といわれています。聖霊は、力と知恵と品格を与えてくれます。

 聖霊は今も、信じるわたしたちに、同じように働きかけてくださっています。聖書は約束しています。「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。」(使徒2:38)

 ここでいう「聖霊の賜物」は、「賜物としての聖霊」という意味です。信じて、バプテスマを受け、キリストに従う者に、神がくださるプレゼントは、「聖霊」そのものです。わたしたちの救いのために御子をくださった神は、救われた者が、救われた者としての使命と目的を果たすために、聖霊をくださるのです。神は、神ご自身を与えてくださいました。これより大きな賜物はありません。

 人は自分で自分を変えることはできません。それが出来るのは神だけです。しかし、変えられたいと願うとき、聖霊はわたしたちを内側から変えてくださいます。わたしたちは自分のうちにそんなに大きなお方を持っていることを悟っているでしょうか。そのことを悟り、いつも聖霊により頼みたいと思います。

 二、教会の誕生

 第二に、聖霊は教会を生み出しました。教会とは何でしょう。それは、たんにイエスを尊敬する人、キリスト教が好きな人の集まりではありません。教会は、人々が集まって作ったものではありません。それは、神のご計画の中にありました。

 イエスは「わたしは…わたしの教会を建てよう」(マタイ16:18)と言われました。また、使徒20:28には「神が御子の血であがない取られた神の教会」という言葉があります。イエス・キリストは教会を建てるために世に来られ、そのために、十字架で血を流し、死んでくださったのです。そして、天に帰られたイエス・キリストは聖霊を送り、ペンテコステの日に教会を生み出してくださいました。

 聖霊は教会を生み出しただけでなく、今に至るまで教会を守り、育て、導いておられます。使徒9:31にこう書かれています。「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った。」わたしたちも、聖霊のはげまし、慰めを受けて、平安を味わいたいと思います。信仰の基礎をしっかり築きたいと思います。

 なによりも、「主をおそれる」思いを持ちたいと思います。わたしたちがいくらイエス・キリストのことを語ったとしても、もし、わたしたち自身が主イエスを愛し、敬い、主イエスを第一にしていなかったら、わたしたちの語ることは説得力を持ちません。人々は、わたしたちの語る言葉だけでなく、わたしたちの主に対する態度を見ているのです。

 これは、日本でのことですが、ある奥さんが信仰を持ちました。彼女は、それ以来、どんなことがあっても日曜日の礼拝を守り続けました。毎週日曜日になると教会に出かける奥さんのことを、ご主人は快く思っていませんでした。「きょうぐらいは礼拝を休んでもいいんじゃないか」とご主人が言っても、奥さんは礼拝を守りつづけました。しかし、奥さんは礼拝が終わるとすぐに帰ってきて、ちゃんとご主人に食事を用意するので、ご主人は文句のつけようがありませんでした。

 ある日曜日、礼拝の時間の直前に、奥さんに来客がありました。ご主人は、「きょうは礼拝を休むだろうな」と思っていたら、奥さんは来客を誘っていっしょに礼拝に行きました。こうした姿を見て、ついにご主人も奥さんと一緒に礼拝を守るようになり、信仰に導かれました。ご主人はクリスチャンになってからこう言いました。「もし、家内が礼拝に行ったり、行かなかったりだったら、ぼくも信仰を持たなかったでしょう。ぼくが反対しても礼拝を守った家内を見て、この信仰は本物だと思ったのです。」

 わたしたちも聖霊に導かれ、主を第一にして歩むことによって、教会に信じる人々が加えられるのを見たいと思います。

 三、世界の変革

 第三に、聖霊は世界を変革しました。何によってでしょうか。福音によってです。誰によってでしょうか。聖霊に満たされた人々によってです。

 当時の世界は、ローマ帝国によって支配されていました。ローマ帝国は、アジア、アフリカ、ヨーロッパの三大陸にまたがる大帝国でした。ローマ皇帝は、世界に平和をもたらした神々の子と呼ばれ、その平和は「ローマの平和」といわました。しかし、実際のところ、世界を支配していたのは、平和ではなく、戦争と恐怖でした。戦争に負けた国はローマの一部、または属国となり、奴隷とされ、皇帝への礼拝が強要されました。ローマに反逆する者には容赦のない刑罰が待っていました。

 イエスの時代のイスラエルも、ローマ総督に治められていたシリア州の一部で、人々はローマへの税を取り立てられていました。「使徒信条」が「主は…ポンテオ・ピラトのもとで、苦しみを受け、十字架につけられ…」と言っているように、わたしたちの主イエスもまた、ローマの権力によって葬り去られたのです。

 しかし、主はよみがえられました。死の力にさえ勝利された主が、ローマの権力に勝利されないわけはありません。ローマ皇帝は、その総督が主イエスを十字架につけたように、クリスチャンを迫害し、主を信じる者たちを十字架につけました。しかし、そんな中でも福音はローマ帝国の隅々にまで伝えられていきました。福音は近衛兵や皇帝の側近の間にも伝えられました。

 初代教会の指導者のひとりが皇帝に宛てた手紙の中で、「わたしたちは、国家のために祈り、誰をも傷つけはしません。しかし、覚えていてください。皇帝よ、あなたの身近な人々の間にも多くのクリスチャンがいるのです」と書いています。313年、皇帝コンスタンティスの命により、迫害は終わりました。あの残酷な十字架刑は廃止されたのです。その後、ローマ帝国は395年に東西に分裂、476年に西ローマ帝国は滅びています。

 しかし、教会はローマ帝国が滅びても、滅びることなく、ローマ帝国の領土をこえて、福音をひろげていきました。教会は、武力によってでも、暴力によってでもなく、愛の言葉によって、この世の大帝国に勝利したのです。偽りの平和、一時的な平和ではなく、イエス・キリストによる、ほんとうの、なくなることのない平和をうち立てたのです。

 ペンテコステの日に、弟子たちが様々な国の言葉で語リ出したのは、福音が全世界のあらゆる人々に伝えられることを表わしています。使徒2:9-11には、英語や日本語はありませんでした。しかし、主は、福音が英語でも日本語でも伝えられているこの日のことを、すでに知っておられました。わたしたちにも福音が届くようにと、歴史を導いてくださったのです。今日も、聖霊に満たされた人たちが神の言葉を語り、証ししています。ペンテコステは続いているのです。

 わたしたちも聖霊に満たされ、聖霊によって変えられるなら、世界を変えることができます。わたしたちの身近な人々の人生が変わり、家庭が変わり、地域が変わり、社会が変わり、国が変わり、世界が変わるのです。

 世界を変えたのが、「ガリラヤ」の人々であったことを覚えていましょう。神が用いてくださるのは、才能のある人、地位のある人、財産のある人とはかぎりません。そうしたものがあろうが、なかろうが、神には問題ではありません。神が求めておられるのは「わたしを変えてください」と、聖霊に身を任せる人です。

 ペンテコステは弟子たちが変えられ、教会が始まり、世界が福音によって変えられていった日です。この日に、わたしたちも、もういちど新しい決心をもって、聖霊に導かれて前進したいと思います。

 (祈り)

 父なる神さま、わたしたちは今、それぞれが信仰の決心をもって、あなたの前に立っています。

 最初にジュニア・メンバーのために祈ります。まだ学生であっても、主に仕え、家族や友人に証しすることができます。そのことを喜んですることができますように、また、日々聖書にしたしみ、祈りに励む良い習慣を身につけることができますように。

 次に英語メンバーのために祈ります。英語を話すメンバーの間に、信仰を励ます良いまじわりを与えてください。また、言葉の壁をこえて、ひとつの教会としてあなたに仕えることができますように。

 日本語のメンバーのために祈ります。母国語で御言葉を聞くことができる幸いを感謝します。この特権をもっと生かして、さらに御言葉に生かされ、御言葉を生きるものとしてください。この地にいる日本人の救いのために、心を込めて祈り、証ししていくことができますように。

 これからバプテスマを受けようとしている方々のために祈ります。信じて、バプテスマを受ける者に聖霊が約束されています。聖霊に導かれる生活の一歩がバプテスマからはじまります。その一歩を踏み出すことができるよう助けてください。

 全能の神よ、わたしたちすべてを、聖霊によって変えてください。そして、世界を変えるために用いてください。愛する主イエスのお名前で祈ります。

5/15/2016