15:1 さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」と教えていた。
15:2 そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。
ヴァージニアにアン・ジャーヴィスという人がいました。南北戦争(1861-65)のとき、ヴァージニアは南部連合に属していました。彼女は母親たちのクラブを作り、敵味方なく、兵士たちを助け、戦後、南北の和解のために働きました。またグラフトンの教会の建設にもかかわり、その教会のサンデースクールで25年の間、子どもたちを教えました。ジャーヴィスさんは、夫の死後、娘のアンナさんが住んでいたフィラデルフィアに移り、1905年にそこで亡くなりました。それから2年経って、アンナさんは、母親の記念会をヴァージニアのグラフトンの教会で行いました。その時のアンナさんのスピーチに感銘を受けた人たちが、翌年「母の日礼拝」を行い、それが、今日の「母の日」となりました。母の日は、母を通して私たちに愛を注いでおられる神への礼拝から始まったものでした。
一、証の力
私がカリフォルニアで奉仕していた教会では、若い母親たちが大勢教会に来ていました。ソーシャル・ホールには何台ものストローラが並ぶほどでした。母の日ともなると、もっと大勢の若い母親たちが集まりました。母の日は、ほんとうは自分の母親を覚えて感謝する日なのですが、いつしか、母親である人が、「私の日」のようにして、自分が主人公であるかのようにして、母の日の集まりに来るようになりました。そんな中で、バプテスマを受けたばかりのひとりの姉妹が、寂しい思いをしていました。というのは、その姉妹は、結婚して何年も経つのに子どもが与えられなかったからでした。彼女は、後になって、「その時は、赤ちゃんを連れて教会に来る人を、うらやましく思っていました」と、正直に話してくれました。彼女は、親しくしている人たちと一緒に子どもが与えられるように、まだクリスチャンでない夫も救われるようにと祈り始めました。
神はその祈りを聞いてくださいました。まず、彼女の夫が教会に来るようになり、彼は、間もなくしてイエス・キリストを信じて、救われたのです。そして、それから彼女に子どもが与えられました。神は、生まれてくる子どもが、クリスチャンの両親によって育てられるという祝福を受けるよう、とりはからってくださったのです。私たちは、彼女の夫が救われ、子どもが与えられるという二重の祝福を目の当たりにしました。旧約時代にハンナの祈りに答えてくださった神は生きておられることを、改めて確信しました。
聖書は、神がすべてのものを創造され、生きる者すべてに命を与えておられることを教えています。私たちは、造られたものの中で、人間が、他の動物とは違う特別な存在であることを知っています。人間には、環境に合わせて生きるだけでなく、環境を変えて生きる「知恵」が与えられています。また、自分を客観的に見ることができる「良心」を持っています。さらに、たとえ自分は辛くても、正しいことや他の人のために尽くす「愛」を知っています。これは、聖書が教えるとおり、神が人をご自分に向けて造ってくださったからです。人間は、神に造られた被造物のひとつで、決して「神」ではありませんが、神に似せて、「神のかたち」に造られたものなのです。私は、聖書の勉強を始めたとき、詩篇139:13の「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです」という言葉を読んで、神が、ひとりひとりを、存在の始まりから心にかけておられることを知って、とても感動しました。
知識は「力」です。神の言葉、聖書によって神を知ることによって人は力を得ます。しかし、さきほどの姉妹のような証に触れると、聖書の知識が、心に入り、それを確信することができるようになります。牧師は、聖書から説教します。それを聞く信徒は、聞いたことを実行し、神の祝福を体験します。そして、それを証しします。人々は、その証しよって、信仰に導かれます。私は、奉仕したどの教会でも、次々に人々が救われていくのを見てきました。毎年、多くの人がバプテスマを受け、信仰を成長させ、教会の奉仕を担ってくれました。さきほど触れた姉妹の夫は執事となって良い奉仕をするようになりました。それは、牧師の説教だけで出来たことではありません。説教を真剣に受け止め、それを実行して、神の祝福を体験した人たちが、それを証ししたから出来たことでした。神は、牧師の説教と信徒の証、この二つを用いて、人々を救いへと導いてくださるのです。
この「証の力」はきょうの箇所にも見ることができます。使徒15章には、初代教会が異邦人伝道に乗り出したときに起こった教理的な問題が書かれているのですが、その問題を解決したのは、聖書の教えとともに、実際の証だったのです。
二、割礼問題
その問題は、ある人々が、アンテオケ教会にやってきて、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えたことから生じました(1節)。「割礼を受ける」というのは、ユダヤ人と同じようになるとことを意味します。それは「割礼」を受けるだけにとどまらず、ユダヤ人に課せられたさまざまな律法に従うということでした。「人は、イエス・キリストを信じることによって、イエス・キリストの恵みのゆえに救われる。」これが福音の教えです。使徒13:38-39で、パウロはこう説教しました。「ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」人が罪の刑罰、罪の負債、罪の重荷から解放されるのは、律法を守ることによってではなく、イエス・キリストを信じることによってなのです。
ところが、「ユダヤ主義者」、あるいは「律法主義者」と呼ばれる人たちは、異邦人キリスト者に、「信仰だけでは救われない。あなたがたも、割礼を受け、ユダヤ人が守っているさまざまな戒律を守らなければならない」と教えたのです。ユダヤの人々が割礼を受け、ユダヤ人の生活律法を守るのは、それによって救われようとしない限りは、問題はありません。しかし、異邦人にそれを要求するのは間違っています。信仰だけでは不十分で、律法を守らなければ救われないとするのは、結局のところ自分の力で自分を救うことになり、キリストの救いの恵みを無益なものにしてしまうことになるのです。
パウロとバルナバは、そうした教えに立ち向かいました。2節に「そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じた」とありますが、「慰めの子」と呼ばれた柔和なバルナバでさえ、議論に加わわりました。問題が、形式や表現の違いだけのことなら、バルナバはそんなに激しく議論しなかったでしょう。むしろ、互いに受け入れあうように勧めたことでしょう。しかし、この問題は信仰の本質や福音の真理に関わることで、決して妥協することのできないものでした。私たちは、本質的なものを見抜けないで、間違った教えを受け入れてしまっているのに、周辺的なものにこだわって、どうでもよいことを議論することがあります。そうならないように、絶えず聖霊の知恵を求め、本質的なものと周辺的なものを見分けることができる理解力を持っていたいと思います。
三、問題の解決
パウロとバルナバは、この問題を使徒たちや長老たちと話し合うため、エルサレムに行きました。エルサレムにも、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである」という人がいて(5節)、そこでも激しい論争がありました。
論争の最中、ペテロが立ち上がって、カイザリヤでコルネリオが救われた時のことを証しして、こう話しました。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めのころ、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」(7-11節)すると、「全会衆は沈黙して」しまいました。言葉の応酬だけの議論は果てしなく続きます。しかし、神が、実際にしてくださったことの証は議論に決着をつけます。ペテロの証は、「論より証拠」で、議論を結論に導いたのです。バルナバとパウロもペテロの証に加えて、伝道旅行で神がしてくださったさまざまな出来事を語りました。最初に申し上げたように、「証には力がある」のです。
最後に、議長役のヤコブが、「神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません」と言って、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである」という意見を退けました。そして、この会議の決議文を諸教会に送ることになりました。その決議文の内容は23-29節にある通りです。結論の部分にはこう書かれています。「聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」(28-29節)非常に簡潔で的を得たものです。異邦人クリスチャンは、この決議文を歓迎し、それを喜びました(30節)。
この問題は、これで決着がついたかに見えましたが、割礼を主張する人たちは、その後も、しつこく活動しました。パウロはこのあと、2回目の伝道旅行に出かけ、以前バルナバと一緒に伝道したピシデヤのアンテオケ、イコニオム、ルステラ、デルベに、もう一度行きました。こうした町がある地域は「ガラテヤ」と呼ばれていました。パウロは、それから、アジアを離れてギリシャに向かい、コリントまで行くのですが、コリント滞在中に、ガラテヤの町の人たちまでも「ユダヤ主義」や「律法主義」に傾いてしまったという知らせを受けました。パウロは心を痛めて、ガラテヤの諸教会に手紙を書き送りました。それが、「ガラテヤ人への手紙」です。
パウロはその中でこう言いました。「よく聞いてください。このパウロがあなたがたに言います。もし、あなたがたが割礼を受けるなら、キリストは、あなたがたにとって、何の益もないのです。割礼を受けるすべての人に、私は再びあかしします。その人は律法の全体を行なう義務があります。律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。」(ガラテヤ5:2-4)ガラテヤ人への手紙では、人が救われるのは律法の行いによってではなく、福音を聞いて信じることによってであること、つまり、人間の力によってではなく、聖霊の働きによってであることが、言葉を尽くして書かれています。
初代教会にあったこの問題は、歴史を通して、形を変えて表れてきました。4世紀には「アリウス主義」というものが起こりました。イエス・キリストは神ではなく、最高の人間であったため神の子とされたとする説です。それは、イエスは人類のお手本であり、イエスに倣い、イエスのように生きることによって、人は救われると教えます。もしそうなら、人は、信仰によってではなく、行いで救われるということになります。それは、「律法主義」と同じです。自由主義神学やエホバの証人、モルモン教会などは、現代版のアリウス主義です。パウロやバルナバが守ろうとした福音の真理は、教会がはじまった最初の時から常に挑戦を受けてきました。福音に敵対する人たちは、イエス・キリストを否定しません。もし、そうなら誰も耳を傾けないでしょう。ところが、彼らは、聖書が教え、使徒たちが証ししたイエス・キリストではなく、自分たちの都合のよいように作り変えたキリストを教えるのです。そして、神の恵みだけでは不十分で、そこに人間の側で果たす何かの功績を加えなければならないと言うのです。しかし、真実な信仰者は、救いはイエス・キリストの恵みによることを知り、そのことを証しし続けてきました。ジョン・ニュートンが Amazing Grace で歌っている通りです。「私は、ただ神の恵みによって救われた。」私たちも、この恵みを証しし、人々に届けたいと思います。
(祈り)
恵み深い神さま、私たちが救われたのは、ただイエス・キリストの恵みによってです。私たちにこの恵みの豊かさをさらに体験させてください。この恵みを証しして、人々に福音を分かち合うことができるよう、助け、導いてください。キリストのお名前で祈ります。
5/9/2021