1:6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
1:7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
一、五つの目的
先週の大統領就任式で、ふたりの牧師が祈りをささげました。そのうちのひとりはリック・ワレン牧師でした。私たちは、リック・ワレン牧師の書いた『人生を導く5つの目的』をテキストブックにして「目的に導かれる人生」を学んできましたので、リック・ワレン牧師が登場したとき、私は親しみを感じ、私たちを代表して、大統領のため、アメリカのため祈ってくれたという気持ちになりましたが、皆さんはどうでしたか。リック・ワレン牧師の姿を見て、「五つの目的」を思い出した人もいたかと思います。「今年も『五つの目的』を読み返してみよう。」「今年こそは『五つの目的』を最後までやり通そう。」という気持が、皆さんに起こったら、とてもうれしく思います。
今日のメッセージの前に、「五つの目的」のおさらいをしておきましょう。神は、すべてのものを目的をもって造られました。とくに、人間は、神からの特別な使命を果たすために造られています。リック・ワレン牧師は、それを五つの言葉で表わしました。第一の目的は「礼拝」、第二の目的は「まじわり」、第三の目的は「弟子訓練」、第四の目的は「奉仕」、そして第五の目的は「伝道」です。テキストブックでは、これら五つの目的を四十日間で学ぶことになっています。もし、まだテキストブックを読んでいない人がいたら、まず、四十日間、毎日、テキスト・ブックを学んでください。そのあと、毎週一章づつ、四十週かけておさらいをしてください。パートナーを決めて一緒に学ぶ場合、毎週、学びのときを持てないことがあるでしょう。そんなときは、隔週でもいいですし、一ヶ月一回でもいいでしょう。根気よく続けてください。隔週ごとの学びなら二年で、一ヶ月一度でも、三年と少しで、学び終えることができます。急いで何も得られないよりも、ゆっくりでも、確実に、ひとつひとつの目的を身につけていくほうが良いと思います。日本語の礼拝では、ひとつの目的に一年づつかけてきましたので、「礼拝」、「まじわり」、「弟子訓練」、「奉仕」の四つを学ぶのに、四年かかりました。今年は、その第五年目で、第五の目的「伝道」に取り組みます。
私は、常々、「五つの目的」は、順々に積み重ねられて達成していくものだと話してきました。最初に「礼拝」が来ます。「伝道」とは、人々が偽りの神々からまことの神に立ち返り、神を礼拝することを助けることですから、私たちのうちに「礼拝」が確立されていなければ、伝道もできないのです。次に「まじわり」ですが、「伝道」とは、人々を教会のまじわりに招くことですから、教会に、真理に立った、信仰のまじわりがなければ、伝道も力を失ってしまいます。第三は「弟子訓練」です。「伝道」は、人々がイエス・キリストを受け入れて、洗礼を受ければそれで終わるものではなく、生涯キリストにつながり、成長していくことを目指すものですから、弟子訓練のないところでは、伝道は中途半端で終わってしまいます。第四の「奉仕」は、第一から第三の目的である礼拝、まじわり、弟子訓練を支えるものですから、礼拝のため、まじわりのため、弟子訓練のための奉仕が足らなければ、神が教会に送ってくださった人々をよく導くことができなくなってしまいます。「伝道」は、礼拝、まじわり、弟子訓練、奉仕の上に成り立ちます。この順序はとても大切です。今まで学んできた四つの目的が、きちんと積み重ねられているかどうか、常に点検しながら、今年、ひとりびとりが、そして教会が「伝道」に備えられていきたいと思います。
二、キリストの証人
そんなわけで、今年の年間聖句は、「地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)となりました。「わたしの証人」とありますが、誰の証人なのでしょう。「わたし」と言っておられるのは、イエス・キリストですから、もちろん、「キリストの証人」です。さかんに布教活動をしている、「エホバの証人」と呼ばれる人たちがいますが、その人たちが「エホバの証人」なら、私たちは「キリストの証人」です。私たちは、キリストが道であり、真理であり、いのちであることを証言する者たちだからです。
では、私たちが、キリストを証言するためには、何が必要なのでしょうか。まず、第一に、証言すべき出来事を体験していること、証言すべき人物を良く知っていることです。以前のことですが、私が、赤信号を無視した無免許の車にぶつけられ、ポリスの処理が終わるまで待機していたとき、その事故を見ていたひとりの人が、「必要だったら証人になってあげるよ。」と言って、わざわざ名刺を持ってきてくれました。この人は、その事故を目撃していたので、証人になる資格があったのです。テレビで事故を見たとか、他の人から話を聞いたというのでは証人になることはできません。同じように、「キリストの証人」は、キリストをよく知り、キリストの恵みを体験している人でなければなりません。現代の私たちは、初代の弟子たちのようにイエスをその目で見てはいません。しかし、聖霊によってイエス・キリストを知り、体験しています。ペテロ第一1:8に「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。」とあります。イエス・キリストを信じ、愛し、喜びに満たされている人はすべて、「キリストの証人」となることができるのです。
第二に、「キリストの証人」に必要なことは、真実であり、忠実であることです。「証人」とか「証言」というのは、おもに裁判で使う言葉です。スポーツ選手や歌手が事件を起こして裁判になると、すぐテレビなどで報道されます。その人が事件を起こさなくても、有名な人が裁判で証人になる、証言をするとなると、その事件に興味のない人まで、有名人を見るために裁判所につめかけるようなこともあります。しかし、裁判では、有名な人が話したからその証言が取り入れられるわけではありません。弁舌巧みに話す人が良い証人となるわけでもありません。真実を語る人が良い証人であり、事実に忠実な証言が、価値のある証言となるのです。「口下手だから…」というのは、「キリストの証人」にならない理由にはなりません。どう話すかよりも、何を話すかが大切なのです。また、「キリスト」という偉大なお方を証言するのに、ことばだけでは足らないことは、誰もが知っています。「口下手」な人はことばが少なくても、行いでキリストの証人になることができます。大切なのは、キリストを正しく証言することです。そのためには、さらにキリストを深く知っていかなければなりません。ペテロ第一2:2は「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」と言い、ペテロ第二3:18は「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。」と教えています。聖書を学ぶことなしに、伝道はできませんし、その人自身の信仰も確かなものにはなりません。
三、地の果てにまで
では、救いの体験とみことばの知識さえあれば、それで「キリストの証人」になれるのでしょうか。もう一つのこと、キリストと人々に対する愛と、それを表わす勇気が必要です。使徒パウロは、「私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。」と、ローマ9:2-3に書いています。キリストの救いはすべての人のためのものであり、使徒パウロは、全世界のあらゆる人々に、キリストを伝えようとしました。しかし、同時に、使徒パウロの心には、ユダヤの人々の救いへの祈りが常にありました。キリストの救いのメッセージ、福音は、使徒1:8にあるように「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで」広がっていきました。「使徒の働き」は、福音が「エルサレム」から「ユダヤとサマリヤの全土」へ、そして「地の果て」へと広がっていく様子を描いています。パウロは「地の果て」への伝道に大きな貢献をした人ですが、彼にとって、じつは、ユダヤの人々が「地の果て」の人々だったのです。神のことばはユダヤの人々にゆだねられ、救い主もユダヤ人としてお生まれになったのに、ユダヤ人がいちばん福音から遠かったのです。パウロは、そのことに心を痛め、同胞の救いを心から願ったのです。
使徒たちの時代から二千年たった今日では、いたるところに宣教師が行き、聖書が届けられ、ラジオやテレビなどによって福音を聞くことができるようになりました。福音は、文字通り「地の果てにまで」届けられているように見えます。しかし、私には、「日本人」はまだ「地の果て」の人々、福音から、かなり遠い人々のように思えるのです。「地の果て」は、かならずしもアフリカの奥地や南米、共産圏やイスラム圏のことばかりではなく、じつは、私たちの身近にあるのではないでしょうか。キリストを知らない日本人が、あなたの側にいるのです。この人たちにキリストを知って欲しい、ほんもののキリストを知って、ほんものの救いを得て欲しい、そのような情熱が、「キリストの証人」には必要です。
日本にはじめて福音が届けられたのは、16世紀の半ば、1549年でした。フランシスコ会、イエズス会の宣教師たちによって伝えられた信仰は、瞬くの間に日本中にひろまり、信長の時代に有力なキリシタン大名が各地に起こりました。1582年に、九州のキリシタン大名は、みずからの名代として、4名の少年たちに8名の随行員を伴わせてローマに派遣しています。当時のキリシタン人口は40万から60万人に達したと言われています。
しかし、秀吉の時代になって、禁教令が出され、迫害が始まるようになりました。1596年12月8日、秀吉は京都のキリシタンを皆処刑せよと、石田光成に命じました。光成が、京都のキリシタンの数を調べたところ、それがあまりにも多いので、光成はそのうちの幾人かだけを捕まえて秀吉の機嫌をとることにしました。大阪と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名、合計24名が捕まえられ、両方の耳をそぎ落とされ、市中を引き回されました。秀吉は、鼻もそぎ落とすように命じたのですが、役人たちは、それはあまりにも残酷なので、耳だけにしたのです。翌年、1597年1月10日に、秀吉は、この24名を長崎に連れて行って処刑するように命じました。長崎にはキリシタンが多くいたため、見せしめにするためだったのです。この24人の人たちを世話していたふたりの信徒も、いっしょに処刑されことになり、26名が冬の道を京都から長崎まで裸足で歩かせられました。
この一行の中に、わずか12歳の少年ルドビコ茨木がいました。ルドビコというのは洗礼名です。父のパウロ茨木と叔父のレオン河津とともに、一ヶ月近くかかって長崎までの旅を続けてきました。その道中、ルドビコはとても明るくふるまい、人々を励まし、慰めたとの記録が残っています。長崎の役人は、ルドビコをかわいそうに思い、信仰を捨てることを条件に助けようとしたのですが、ルドビコは「この地上でわずかばかり生きながらえるよりは、天国で永遠に生きたいのです。」と言ってこの申し出を断わりました。長崎の西坂の丘に26本の十字架が立てられると、ルドビコは、「私の十字架はどれですか。」と役人に聞き、自分の十字架のところに走って行ってそれを抱きしめ、「私の主と同じように十字架で死ぬことができることを感謝します。私を処刑する人たちをゆるしてください。」と祈りました。
2月5日、処刑の日、長崎には外出禁止令が出たのですが、四千人もの人々が刑場に押しかけました。26名のひとり、イエズス会の修道士、パウロ三木は死を目前にして人々に信仰を語りました。秀吉は、長崎のキリシタンを震え上がらせようとして、26名を処刑したのですが、結果はまったく逆で、長崎ばかりでなく、全国のキリシタンの信仰を奮い立たせることになりました。それで京都や大阪では「秀吉はんは、あんなことをして、かえってキリシタンの信仰を広めはった。」とささやかれたそうです。
ギリシャ語で「証人」ということばは martus と言います。この言葉から英語の martyr(殉教者)という言葉が生まれました。「死に至るまで証しする」ということを指しています。初代のローマのクリスチャンや、豊臣・徳川時代の日本のクリスチャンにとって「キリストの証人」になることは、苦しみを味わうこと以外の何ものでもありませんでした。しかし、彼らは、それにたじろぎませんでした。キリストへの愛、人々への愛、そして、福音を恥としない勇気が与えられていたのです。
ところが、三百年に及ぶ迫害の時代に、日本人から、かつての信仰と勇気、情熱が失われてしましました。1859年、まだ幕末のころ、ヘボン、ブラウン、シモンズが神奈川に、フルベッキ、リギンス、ウィリアムが長崎に、プロテスタントの宣教師として宣教のために来日してから、今年はちょうど150年目。伝道の情熱に燃えていたプロテスタント教会も、今は低迷しています。もう一度、かつての信仰と勇気を取り戻す時です。私たちひとりびとりが、キリストの福音を忠実に語り、キリストの福音に生きる、ほんものの「キリストの証人」になる必要があります。そこから伝道が始まるのです。
(祈り)
父なる神さま、主イエスは天に帰られる前、「地の果てにまで、わたしの証人になる。」と言い遺していかれました。しかし、私たちは、あなたとあなたの福音を恥じるような勇気のない者たちで、忠実な「キリストの証人」ではありませんでした。あなたのあわれみよって私たちを赦し、あなたの恵みによって、ふたたび、私たちを強めてください。私たちがあなたの証人となることができるために、さらにあなたを知る者としてください。あなたのおことばに忠実なものとしてください。そして、あなたを愛し、あなたの愛を伝えることにおいて、大胆で、勇敢な者としてください。主イエスのお名前で祈ります。
1/25/2009