34:29 すると、王は使者を遣わして、ユダとエルサレムの長老をひとり残らず集めた。
34:30 王は主の宮へ上って行った。ユダのすべての人、エルサレムの住民、祭司とレビ人、および、上の者も下の者も、すべての民が行った。そこで彼は主の宮で発見された契約の書のことばをみな、彼らに読み聞かせた。
34:31 それから、王はその定めの場所に立ち、主の前に契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、精神を尽くして、主の命令と、あかしと、おきてを守り、この書物にしるされている契約のことばを行なうことを誓った。
34:32 彼はエルサレムとベニヤミンにいるすべての者を堅く立たせた。エルサレムの住民は、その父祖の神である神の契約に従って行動した。
34:33 ヨシヤはイスラエル人の全地から、忌みきらうべきものを除き去り、イスラエルにいるすべての者を、その神、主に仕えさせた。彼の生きている間、彼らはその父祖の神、主に従う道からはずれなかった。
一、ルターの宗教改革
10月31日は何の日でしょう。「ハロウィーン」ですが、また「宗教改革記念日」でもあります。今から500年と少し前、1517年の10月31日に、アウグスティヌス会修道士でウィッテンベルグ大学教授マルティン・ルターが「九十五箇条の提題」を、教会の扉に掲げました。「九十五箇条の提題」というのは、当時、ドイツで販売されていた「贖宥状」に関しての学問的な議論を呼びかけたものでした。教会の扉は、そのころ、掲示板として使われており、ルターは、翌日のオール・セインツ・デーに教会に来る人たちの目に留まるようにそれを掲示したと言われています。人々はローマの教会が贖宥状の販売を口実に民衆からお金を集めていることに反感を持っていました。しかも、それは販売人が言うように教会堂の再建のためではなく、教皇と大司教の借金返済に使われていたのです。ルターはそうした政治的なことは知りませんでしたし、関心もありませんでした。ルターは学問的な論争だけを考えており、「九十五箇条の提題」もラテン語で書いたのですが、それはドイツ語に訳され、ドイツ国内で広く読まれました。ものごとはルターが思ってもみなかった方向に進み、結果として、ドイツにローマ・カトリック教会から分かれた新しい教会が生まれました。一般に「プロテスタント教会」と言われる教会です。
しかし、「プロテスタント」という名前は後につけられたもので、ルター自身は新しい教会を「福音教会」と呼びました。聖書にしるされている福音を明確に教える教会という意味です。では、ルターの宗教改革まで教会に福音は無かったのでしょうか。そんなことはありません。教会はいつの時代も福音を保ってきました。しかし、教会の組織や制度が複雑になり、神学が聖書から離れて独り歩きし、本来真理を目に見える方たちで表す儀式が、それを守れば救われるなどいう考えが起こり、逆に真理を隠すものになってしまっていたのです。ルターが目指したのは福音がまっすぐに、また単純に語られ、教えられることでした。誰もが、自分たちに分かる言葉で、福音を聞き、信じて救われ、そして福音にふさわしい生活をすることでした。ルターはそのために聖書をドイツ語に訳し、「教理問答」を書き、説教者を養成しました。本当の「プロテスタント」というのは、たんに古いものに「プロテスト」して、新しいものを取り入れるだけのことではなく、本当に古いもの、つまり聖書に立ち返り、本当に新しいもの、聖霊のみわざを追い求めていくことなのです。
二、ヨシヤの宗教改革
「宗教改革」といえば、今ではルターの宗教改革を指すようになりましたが、ユダの王ヨシヤが行ったことも「ヨシヤの宗教改革」と呼ばれています。「ヨシヤの宗教改革」を話すのに、彼の祖父、マナセのことから話す必要があります。
マナセのことは歴代誌第二33章に書かれています。マナセは「バアルのために祭壇を立て、アシェラ像を造り、天の万象を拝み、これに仕え」(歴代誌第二33:3)ました。神殿の庭に天の万象のために祭壇を築いたばかりか(同33:5)、神々の偶像を神殿の中に持ち込み、そこに安置しました(同33:7)。また、「自分の子どもたちに火の中をくぐらせ、うらないをし、まじないをし、呪術を行ない、霊媒や口寄せ」(同33:6)など、主が禁じておられるすべてのことを行いました。聖書は彼についてこう言っています。「マナセはユダとエルサレムの住民を迷わせて、主がイスラエル人の前で根絶やしにされた異邦人よりも、さらに悪いことを行なわせた。主はマナセとその民に語られたが、彼らは聞こうともしなかった。」(同33:9-10)
本当ならマナセのような王は即座に滅ぼされてよかったのに、「主はマナセとその民に語られた」というのです。あわれみ深い主は、たとえご自分に背く者であっても、その人を惜しんで、できれば滅ぼしたくないと考え、まことの神に立ち返れと呼びかけ、悔い改めの機会を与えてくださったのです。主は、私たちを突然、罰しはしません。優しく諭し、それでも聞かなければ警告をお与えになります。
私たちの身体はじつに巧みに造られています。身体のどこかが悪くなると、それを知らせるために痛みが生じるようになっています。痛みが小さいうちに、手当をすれば、大きな病気を防ぐことができるのです。もし、人の身体がなんの痛みを感じなければ、または、痛み止めを使って痛みを感じないようにしていたら、あるいは、麻薬を使って痛みのシグナルを無視していたら、私たちは健康を保つことができず、突然死んでしまうかもしれないのです。
これは身体ばかりでなく、霊的なことでも同じです。C. S. ルイスは「苦しみや痛みは神の警告のメガフォンである」と言いました。人が罪を犯して良心に痛みを覚え、悪をなしてその結果を身に受けるのは、人がそれ以上の罪を犯さないためです。それは、罪と悪を悔い改めるようにとの、神からの「イエロー・カード」なのです。もし、私たちが、そうした心の痛みをごまかしながら生きているなら、「レッド・カード」を突きつけられてもしかたがないのです。
マナセ王は、主から「レッド・カード」を受け、アッシリヤの将軍に捕らわれ、バビロンに引かれていきました。今まで悪のかぎりを尽くしてきたマナセでしたが、こうなってはじめて目が覚めました。バビロンの地で、へりくだり、悔い改め、主に叫び求めました。「しかし、もう遅い。今さら助けてくださいなどと祈るのはあつかましい。」だれもがそう思うでしょう。しかし、主は人の思いを超えたことをなさいました。人の悪は底知れないほど深いのですが、主のあわれみはそれにまさって深く、なんと主は、このマナセ王を赦し、もういちどエルサレムに戻されたのです。それからのマナセは以前のマナセではありませんでした。偶像と祭壇を取り除き、人々が主に仕えるように導いたのです。
ところが、その子アモンは、悔い改めたマナセの志を受け継ぎませんでした。かえって悔い改める以前のマナセをまね、ユダに再び偶像礼拝を持ち込みました。アモンは王となってたった2年で謀反人に殺されました。王位を狙った謀反人は滅ぼされ、アモンの子ヨシヤが王になりました。ヨシヤはそのときわずか8歳でしたが(歴代誌第二34:1)、やがて祖父の志を継ぐことになるのです。
ヨシヤはその治世の8年目、16歳のときから、自覚的に主を求め始め、治世の第12年目、20歳のときに、各地にあった偶像とその祭壇を取り除きました。さらにその治世の18年目、26歳のときに神殿の修理を始めました。そのとき「律法の書」が発見されました。それは、神殿の契約の箱の側に置かれるべきものです(申命記31:26)。また、イスラエルの指導者たちはその写しをいつも手元に置いて読み、学び、守らなければならないものでした。ヨシュア記1:8にこう書かれている通りです。「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。」さらに、律法の書は一般の人々にも読み聞かせられなければならないものでした(申命記31:10-12)。ところが、その律法の書が長い間行方不明となっていたのです。王も、民衆もそれを読んだことがなく、その言葉を知りませんでした。ヨシヤは、発見された律法の書を読んだ時、それが神が言葉であることを悟り、御言葉の前に自らを低くしました。そして人々を集め、律法の書を読み聞かせました。
この律法の書は、おそらく申命記のことだろうと思われます。「申命記」の「申」という字には「再び」という意味がありますから、「申命」というのは「再契約」ということになります。エジプトから救われたイスラエルの人々は「主を自分たちの神とし、自分たちは主の民となる」という契約を主と結びましたが、その世代の人々は荒野の四十年の間に皆死に絶えてしまいました。それでモーセは、その子どもたち、次世代の人々にもう一度、主との契約を結ばせたのです。申命記29:1に「これは、モアブの地で、主がモーセに命じて、イスラエル人と結ばせた契約のことばである。ホレブで彼らと結ばれた契約とは別である」とあるのは、そのことを言っています。このことは、主との契約が世代から世代へと受け継がれていくものであることを教えています。神との契約は、遠い昔に先祖が立てたから、自分が改めて契約を結び直す必要はないというのではないのです。神の民は、くりかえし契約の言葉を聞き、それを聞くたびに、自分と主との間の契約を更新していく必要があるのです。ヨシヤ王は、主を自分たちの神とし、自分たちは神の民となるという、先祖が立てたのと同じ契約を、人々に立てさせたのです。神との契約の更新が、ヨシヤの宗教改革の中心でした。
三、神の言葉とリバイバル
ユダの国が位置しているところは、北は新しく興ったバビロン、南は古くからの大国エジプトが衝突する場所でした。ユダのような小さな国が、そんな場所で、紀元前930年から568年まで何百年も保たれてきたのは、まさに歴史の七不思議のひとつ、奇蹟だと言ってよいでしょう。それを可能にしたのは、主のあわれみであり、人々の信仰でした。
ユダは最後にはバビロンに滅ぼされるのですが、ヨシヤの宗教改革は決して無駄ではありませんでした。エルサレムが滅ぼされ、エルサレムの主だった人たちはバビロンに連れて行かれましたが、ヨシヤの時代に再発見された律法の書もバビロンに運ばれ、他の聖書と共に読まれ、編纂され、それを研究する学者も起こりました。やがてユダヤの人々がエルサレムに戻ることを許されたとき、「律法の書」も再びエルサレムに帰ってきました。申命記31:10-12にこうあります。「仮庵の祭りに、イスラエルのすべての人々が、主の選ぶ場所で、あなたの神、主の御顔を拝するために来るとき、あなたは、イスラエルのすべての人々の前で、このみおしえを読んで聞かせなければならない。民を、男も、女も、子どもも、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も、集めなさい。彼らがこれを聞いて学び、あなたがたの神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばを守り行なうためである。」この言葉のとおり、祭司であり学者であったエズラは、エルサレムの広場で夜明けから真昼まで律法の書を朗読し、説明しました。ネヘミヤ8:8に「彼らが神の律法の書をはっきりと読んで説明したので、民は読まれたことを理解した」とあります。人々はそれを理解したとき、泣きました。自分たちの罪を示され、悔い改めたからです。悔い改めは尊いことですが、嘆き悲しみ続けることは主のみこころではありませんでした。それでネヘミヤは、「主を喜ぶことは、あなたがたの力である」(ネヘミヤ8:10新改訳2017)と言って、人々に主を喜ぶことを教えました。ネヘミヤ8:12には「こうして、民はみな、…大いに喜んだ。これは、彼らが教えられたことを理解したからである」と書かれています。神の言葉がはっきりと語られ、人々がそれを理解したとき、悔い改めが起こり、続いて、喜びが起こりました。人々の信仰がよみがえったのです。私たちはこうした信仰の復興を「リバイバル」と呼んでいます。神は、人々の信仰が冷え切って神から離れ、滅びていかないように、人々の心の中にある小さな信仰の火種を再び大きく燃やしてくださるのです。そういう意味では「宗教改革」も「リバイバル」も同じものです。そして、宗教改革においても、リバイバルにおいても、いちばん大切なのは神の言葉です。神の言葉はリバイバルの燃料であると言われています。
ルターの宗教改革は九十五箇条の提題を掲げたときや、ウォルムスの国会で「我ここに立つ」と言った時に始まったのではありません。それ以前、1513年から1517年にかけてルターは最初に詩篇、それからローマ人への手紙とガラテヤ人への手紙を大学で講義しています。ルターは講義のために聖書を学び直していた時、福音を再発見し、それが福音を教える新しい教会を生み出したのです。宗教改革やリバイバルはいつの時代も、人々が御言葉に向かう時に起こり、御言葉に聞き従うたましいの中から始まるのです。
200年ほど前までは、聖書に限らず、書物は誰もが手にすることができるものではありませんでした。ルターの時代以降、さまざまな国の言葉に聖書が翻訳され、出版されるようになっても、それを買って読むことができたのはほんの一部の人たちでした。人々は礼拝で朗読される聖書の言葉を暗記して信仰を保ってきました。しかし、今、聖書はどこででも手に入ります。けれども、神の言葉が、ヨシヤ王の時代やエズラの時代のように、またルターの時代のように人々のたましいの中に入っているかというとそうとは言えません。現代ほど、様々な主義主張がやかましく叫ばれている時代はありません。その騒がしい声のため、私たちの耳は神の静かな声を聞くことができなくなっています。御言葉が私たちの心の内で燃え、私たちが御言葉に燃やされていくのでなければ、リバイバルは起こらないのです。もう一度、心を静めて、御言葉に聞きましょう。御言葉が輝きを放つ、リバイバルの恵みが与えられるよう祈り求めましょう。
(祈り)
あわれみ深い父なる神さま。あなたはあなたに背いた者を立ち返らせ、遠く離れた者を引き寄せ、冷ややかな心を温め、信仰の炎を燃え上がらせてくださいます。あなたの言葉を私たちの霊のうちに注いでください。御言葉の油を注ぎ、聖霊の息吹で私たちの信仰を燃え立たせ、この地にリバイバルを与えてください。そして、イエス・キリストの福音を世界に広めさせてください。私たちの主イエス・キリストによって祈ります
10/27/2019