忠誠の誓い

ペテロ第一3:21-22

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3:21 この水はバブテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。それは、イエス・キリストの復活によるのであって、からだの汚れを除くことではなく、明らかな良心を神に願い求めることである。
3:22 キリストは天に上って神の右に座し、天使たちともろもろの権威、権力を従えておられるのである。

 一、国家への忠誠

 7月4日はアメリカの「独立記念日」ですので、きょうはそのことからお話をはじめたいと思います。7月4日は、イギリスの植民地であったニューハンプシャー、マサチューセッツ、ロードアイランド、コネティカット、ニューヨーク、ペンシルベニア、デラウェア、メリーランド、ヴァージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージア、ニュージャージーの13州が「独立宣言」に署名をした日です。このことから、アメリカの国旗は赤と白の13の縞模様となりました。国旗の左上の青い正方形の部分には、最初は13の星しかありませんでしたが、その後、州の数が増えるにつれ、国旗の星の数も増えていきました。テキサスは28番目の州として1845年に連邦に加盟しました。1959年にはアラスカとハワイが加わって、今は、50の星が国旗を飾っています。アメリカの国旗は星と縞でできていますので、「星条旗」と呼ばれています。

 独立記念日の他、アメリカの祝祭日には「星条旗」が数多く飾られます。祝祭日でなくても、いつも、いたるところではためいています。私は最初アメリカに来たとき、政府関係の建物だけでなく、商店や企業でも星条旗を高く掲げているのを見て、自分たちの国旗を誇りをもって掲げることができる国をうらやましく思いました。

 子供たちは学校で「忠誠の誓い」をします。これは、バプテストのフランシス・ベラミー牧師とその兄弟のエドワード・ベラミーによって作られたもので、1892年に始めて公立学校でこの「誓い」が行われ、1942年に議会で公式に定められました。アメリカではさまざまな公式行事でこの「誓い」が行われます。人々は帽子を脱ぎ、右手を左胸に置いて次の言葉を暗誦します。

I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.

 クリスチャンは神の国の国民され、その国籍は天にあります(ピリピ3:20)。この世では「旅人であり寄留者」(ペテロ第一2:11)です。しかし、だからと言って、クリスチャンは、自分の生まれた国を愛さなくて良い、自分の住む国で責任を果たさなくで良いというのではありません。聖書は「あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。主権者としての王であろうと、あるいは、悪を行う者を罰し善を行う者を賞するために、王からつかわされた長官であろうと、これに従いなさい」(ペテロ第一2:13-14)と教えています。盲目的な愛国心はかえって国を滅ぼしますが、すべての人を等しく愛してくださっている神の愛に基づいた愛国心は、自分の国ばかりでなく、他の国々をも生かすのです。内村鑑三は「わたしはふたつの "J" を愛し、そのために生きる。それは "Jesus" と "Japan" である」と言っています。彼の墓碑銘には「わたしは日本のために、日本は世界のために、世界はキリストのために、そしてすべては神のために」と刻まれています。

 ですから、アメリカに住んで、その恩恵を受けているわたしたちは、たとえアメリカ市民でなくても、星条旗に誓うことができます。わたしは、この誓いをするとき、アメリカがほんとうに神のもとに(under God)立つ国であってほしい、また、この国がすべての人の自由と正義(liberty and justice for all)を追い求めることできるよう祈っています。

 二、キリストへの忠誠

 アメリカに星条旗があり、星条旗への忠誠の言葉があるように、教会にも「教会の旗(the Christian flag)」があり、それに対する誓いの言葉があるのをご存じでしょうか。「教会の旗」にも「星条旗」と同じように、「青」、「赤」、「白」の三色が使われています。「青」は「バプテスマの水」を表わします。「赤」い十字架は「キリストの血」を、そして「白」は、神の聖さと栄光、また、クリスチャンの純潔と神への服従を表わします。この旗は1897年に最初にニューヨークの教会で掲げられ、今ではアメリカのほとんどの教会に置かれるようになりました。会衆席から見て左側に星条旗、右側に「教会の旗」が立っています。

 この「教会の旗」への忠誠の言葉ですが、これはメソジストのリン・ハロルド・ヒュー牧師によって、星条旗への忠誠に似せて作られました。

I pledge allegiance to the Christian flag and to the Saviour for whose kingdom it stands; one brotherhood, uniting all mankind in service and in love.
「教会の旗」への忠誠には別のバージョンがあって、こちらのほうが良く使われます。
I pledge allegiance to the Christian flag, and to the Savior for whose kingdom it stands; one Savior, crucified, risen, and coming again with life and liberty to all who believe.

 「教会への忠誠」と言っても、実際は「教会のかしら」であるキリストへの忠誠です。キリストは、わたしたちがキリストの「からだ」である教会の一員になることによって「かしら」であるキリストにつながるようにされました。「教会員」を「メンバー」と呼びますが、聖書では「メンバー」という言葉は、たんに「集団の一員」という意味ではなく、手や足、目や鼻などといったからだの「器官」という意味で使われています。からだの各器官が神経によって頭脳とつながっているように、どの教会のメンバーもキリストといのちのつながりを持っている、キリストの器官なのです。では、人はどのようにして、キリストとのいのちのつながりを持つことができるのでしょうか。それによって、教会の一員になり、また、神の国に国籍を持つ、神の民となることができるのでしょうか。

 三、バプテスマと忠誠の誓い

 ふつう、ある国の国民になるには二つの方法があります。ひとつは、「出生」によって、もうひとつは「帰化」によってです。「出生」によってというのは、アメリカの場合、アメリカの国内で生まれるか、外国で生まれても、親がアメリカ市民であれば、生まれたときから「アメリカ市民」だということです。「帰化」というのは、他の国に国籍を持つ者が審査を受け、忠誠の誓いをして、国籍を取得することを言います。

 地上の国では「出生」か「帰化」のいずれかによってその国民になるのですが、神の国の場合「帰化」はありません。神の国に国籍を持つには、誰も神によって、神の国に生まれる必要があるのです。天に国籍を持つにはイエス・キリストを信じる信仰を通し、聖霊によって、神に生んでいただかなくてはならないのです。

 イエスはこのことを、ニコデモという学者に「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3:3)と言って教えました。ニコデモはその言葉に驚き、イエスの言おうとしていることを理解できませんでした。しかし、彼は後になってからそれを理解し、キリストを信じる者となりました。

 日本では、よく「生まれ変わったつもりで頑張る」と言います。その気持ちにウソはなくても、実際は長続きしないのは誰もが知っています。もし、「新しく生まれる」ということが、「生まれ変わったつもりで頑張る」ことだとしたら、誰も神の国に生まれることはできません。神の国に生まれるのは、決して人間の意欲や努力によるのではなく、神に対する素直な信頼、イエス・キリストに対する信仰によるのです。ですから、聖書は言います。「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。」(ヨハネ1:12-13)英語では「わたしは日本で生まれた」というのは "I was born in Japan." と言い、受け身形を使います。自分の力で「生まれた」のではなく、両親に「生んでもらった」のです。この世に生まれることでさえ自分の力によらないとしたら、まして神の国に神の子どもとして生まれることは、自分の意欲や力でできるものではありません。自分の頑張りで神の子どもになるのではありません。神に「生んでもらう」のです。そして、神に生んでいただくためにわたしたちにできる唯一のことはイエス・キリストを自分の救い主、また主として受け入れることなのです。

 よく「芸術家は作られるのでなく、生まれるのである」と言われます。それがどの程度真実かは分かりませんが、クリスチャンの場合は、「作られるのでなく、生まれる」というのは本当です。まず、神の子どもとして生まれる。それから、神の子どもらしく成長していく。まず、神の民として生まれる。それから、天に国籍を持つ者として、この世にあっても、力強く生きていく。この順序が大切です。

 では、クリスチャンに何の「努力」も要らないのかいえばそうではありません。神から生まれた者には、神のいのちが宿っています。そのいのちとともに神のご性質にもあずかっています。しかし、どんなに健康なからだを持っていても、不摂生を続けていると病気になります。からだの健康を保つために心配りをしなければならないように、霊の健康を保ち、成長するために、私たちの側で出来ることやしなければならないことが多くあるのです。わたしたちを霊的、信仰的に育てくださるのは神ですが、神は、わたしたちがそれに対して自由意志をもってこたえていくことができるようにしてくださったのです。

 そうした神への応答のひとつが、神への「忠誠の誓い」です。アメリカで生まれた子どもは生まれたときからアメリカ市民です。しかし、教育を受けない間は、アメリカ市民としての自覚を持っていません。学校でアメリカの歴史を学び、政治や社会の仕組みを学び、そして、星条旗に向って「忠誠の誓い」を繰り返すことによって、アメリカ市民としての自覚を持つようになります。同じようにイエス・キリストを信じる者も、「忠誠の誓い」を立て、それを繰り返すことによって神の民としての自覚を持ち、神の子どもとして育てられていくのです。

 「バプテスマ」や「主の晩餐」は「サクラメント」と呼ばれます。ローマ兵は忠誠心の強いことで有名で、兵士たちは入隊するときローマ帝国と皇帝に対する忠誠の誓いを求められました。ローマの軍隊ではこの「忠誠の誓い」を「サクラメント」と呼びました。教会はこの言葉を、「バプテスマ」や「主の晩餐」にあてはめたのです。「バプテスマ」は最初の「忠誠の誓い」であり、「主の晩餐」は「忠誠の誓い」の更新です。

 バプテスマが「忠誠の誓い」であることは、ペテロ第一3:21に記されています。「この水はバブテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。それは、イエス・キリストの復活によるのであって、からだの汚れを除くことではなく、明らかな良心を神に願い求めることである。」「明らかな良心を神に願い求めること」の「願い求めること」という言葉には二つの意味があって、ひとつは、「誓い」、もうひとつは「願い」です。わたしたちはバプテスマと主の晩餐によって神に忠誠の誓いを立て、また、神への忠誠の心を願い求めるのです。

 皆さんはもう、バプテスマによって神への「忠誠の誓い」を言い表わしたでしょうか。「わたしはイエス・キリストをわたしの救い主、主として、私の心と生活に受け入れます。」これはイエス・キリストを信じて神より生まれた者の最初の「忠誠の誓い」の言葉です。神はすでにあなたにその言葉を与えておられないでしょうか。それは信仰によって生まれた者の「産声」のようなものです。バプテスマによって、神に向って、この「産声」を上げましょう。バプテスマという「忠誠の誓い」によって、神の子どもとされたことを自覚し、神の民として生かされていきましょう。すでに「バプテスマ」を受けてこの「誓い」を立てた者は「主の晩餐」によって、「忠誠の誓い」を更新し、神への忠誠の心を願い求めましょう。そのとき、わたしたちは神からの大きな祝福を受けるのです。

 (祈り)

 父なる神さま、アメリカの独立記念日を前に、わたしたちがイエス・キリストを信じる信仰によって神の国の国民としていただける恵みを覚えることができ、感謝します。この恵みのゆえに、わたしたちが今住む国に対する責任を果たすことができるようにしてください。また、あなたの教会に対する愛を育ててください。わたしたちをバプテスマの時に立てた忠誠の誓いにとどまらせてください。主の晩餐によっていつもそこに導き返してください。あなたを求める人々がさらに多く与えられ、バプテスマに導かれますように。わたしたちの主イエス・キリストのお名前で祈ります。

6/29/2014