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教会の改革 10月31日というと、アメリカではすぐに「ハロウィーン」を連想しますが、実は、この日はもっ大切な日なのです。それは、今から485年前、1517年のこの日に、アウグスティヌス会の修道士で、ウィッテンベルグ大学の聖書学教授、マルティンが「免罪符」に対する95箇条の反論を書いて、ウィッテンベルグの城教会の扉に貼り出した日です。マルティンは、当時の習慣に従って、神学的な討論のためにこれを学者たちの言葉、ラテン語で書いたのですが、この「95箇条の提題」は1か月してドイツ語に訳され、ドイツ全土にまたたくまに配布され、ここから、教会の改革が起こりました。それで、この日は後に「宗教改革記念日」と呼ばれるようになりました。このマルティンとは、もちろん、あのマルティン・ルターです。 当時の教会はさまざまな迷信で満ちていました。ウィッテンベルグの城教会には、イエスが馬小屋で着ておられた産着の切れ端、東方の博士たちが持ってきた黄金と没薬、最後の晩餐のパンのひときれ、茨の冠のとげ、イエスの手に打ち込まれた釘などと言われるものがまことしやかに置かれていました。これらの宝物にはご利益があって、そうしたものを拝観し、寄附をした人々には免罪符が与えられたのです。ルターは、長い間の修道士の生活と聖書の研究によって、人が救われるのは、キリストの恵みによってであり、この救いの恵みを受け取るのは、悔改めと信仰によってだけであることを確信するようになっていました。11月1日は「万聖節」の祭日で、大々的に免罪符が販売されることを聞いたルターは、このことによって人々が神の恵みから離れていくのを黙って見ていることができなかったのです。 「95箇条の提題」は「わたしたちの主であり師であるイエス・キリストが、悔改めよ、と言われたとき、彼は信ずる者の全生涯が悔改めであることを欲したもうたのである。」という言葉で始まっています。ルターは、「義人は信仰によって生きる」(ローマ人への手紙一章十七節)という聖書の教えに立ち帰るようにと、人々に呼び掛けたのです。 当時のローマ・カトリック教会は、ルターとルターの教えに従った人々を迫害したために、彼らはやむなくローマ・カトリック教会から別れてプロテスタント教会をつくりましたが、絶えずキリストの教会はひとつであることを意識していました。ローマ・カトリック教会も、ルターやその後の改革者たちに刺激されて、自らの腐敗を浄化し、改革を進めてきました。 個人も、社会も、教会も、絶えず新しくされていかなければ、そこに腐敗が入り込んできたり、本来の目的から離れたりしてしまいます。プロテスタント教会は「改革されてしまった」教会ではなく、「絶えず、改革されてく」教会であるべきです。10月31日を迎えるたびに、ルターが聖書にもとづいて勇気ある改革の声をあげたように、私たちも聖書にもとづいて、自分たちのあり方、社会のあり方、教会のあり方がこれで良いのかを考えることができたら幸わいです。 (2002年10月)
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