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ヤベツの祈り(その二) 蚤を箱に入れ、ガラスの蓋をしておくと、蚤はジャンプしても箱から外に出られないと悟るのでしょうか、やがてジャンプを止めます。ガラスの蓋を取ってやっても「どうせここからは出られないさ」と開き直るのでしょうか、ジャンプして外に出ようとしなくなるのだそうです。この蚤のように、私たちも、何かの壁にぶつかって痛い思いをすると、もう一度やってみようとしないで、自分で自分にリミットを設けてしまい、「私はここまでしかできない」と、リミットの中に安住してしまうことが多いのです。 ところがヤベツは「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。」(歴代誌第一、四章八節)と祈りました。彼は、生まれつき背負った制限に安住することなく、神によって、そのリミットを広げていったのです。ヤベツの時代は、イスラエルの土地が各部族に分割される時期で、彼は、実際の地境が広がるように祈りましたが、私たちの場合は、さまざまな意味での「地境」―つまり、私たちの背負っているいろいろな制限に出会った時、神によってそれを広げることができるのです。 ある人にとって、その制限とは肉体的なものかもしれません。もっと背たけが欲しい、体重を減らしたいというのは、からだの不自由な人から見れば、贅沢なこと、わがままなことですが、スポーツの選手にとっては背の高さとか体重はとても重要なものです。しかし、肉体的には恵まれていなくても、その制限にめげず、練習や稽古を重ねて、それを乗り越えていった人々は大勢います。9月に、サンフランシスコで詩画展を開く星野富弘さんは、体育の先生で頑丈で敏捷なからだを持っていましたが、クラブ活動の指導中、宙返りに失敗し、首から下はまったく動かなくなってしまいました。何度も死にたいと思った彼でしたが、聖書に出会い、神を信じ、キリストに従うようになってから、口に筆を加えて絵を書き、神の愛と恵みのメッセージをその絵に詩の形で書き続けてきました。富弘さんも、神への信仰によって、肉体の制限という「地境」を広げることができたのです。 肉体の制限の他に、能力や知識、性格上の制限、制約もあるかもしれません。引っ込み思案の人には、思いきって人の中に出て行く、友だちの輪を広げていくということが必要でしょうし、短気な性格の人にとっては、忍耐や寛容という「地境」を広げていく必要があるでしょう。本当は、もっと多くのことができるのに、もっと違ったこともできるのに、自分で自分に制限をつくって、小さなところ、狭いところに閉じこもってはいませんか。全能の神によってその制限をとりはらっていただきましょう。ヤベツのように祈ってみましょう。ある人は「今までいろいろやってみたけど駄目でした」と言うかもしれません。しかし、私は言いたいのです。「神を験してみましたか。祈りを験してみましたか。」 (2001年8月)
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