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"Love is a verb." 一月になって、どの家も、アウトドアのクリスマスの飾り付けをはずしているのに、ある家だけはまだライトアップしてありました。「どうしたのかな」と思って車の窓から見てみたら、それはバレンタインデーの飾り付けでした。その近くの家でも、庭木にさまざまな色のハート型の飾りをたくさん下げていました。聖書に「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」という言葉がありますが、これをその色とりどりのハートに書き込んで飾ればいいだろうなと思いました。クリスマス・ツリーの後は「バレンタイン・ツリー」で楽しむというのもいいアイデアですね。 バレンタイン・デーのテーマである「愛」について考える時、私はいつも、聖書の中の「愛の章」と言われる個所を思い起こします。そこには次のように書いてあります。 愛は寛容であり、愛は親切です。\ また人をねたみません。\ 愛は自慢せず、高慢になりません。\ 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、\ 怒らず、人のした悪を思わず、\ 不正を喜ばずに真理を喜びます。\ すべてをがまんし、すべてを信じ、\ すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。\ (コリント人への手紙第一、十三章) 多くの人は、ここには「愛とは何か」ということが書いてあると言います。しかし、私は、ここには「愛は何をするか」ということが書いてあると思います。愛はゆるし、受け入れます。愛は真理を求めます。愛は耐え、忍び、信じ、希望を捨てません。愛は行動するのです。愛は働き者です。「愛は動詞である」("Love is a verb.")とも言われますが、まさにそのとおりですね。 愛の神は私たちを、神を愛し人を愛することができるものとして造ってくださいました。私たちは「神の作品」であると言われますが、それは置物のように飾っておいて眺めるための作品ではなく、農場で使う機械や工場で使う機械のように、何かを生み出すために、泥まみれになり、油まみれになって動くものだと思います。人を愛することの中には、親が子供の不始末を引き受け、すすんで泥をかぶらなければならないようなこともあります。母親が赤ちゃんのおむつを洗い、娘が年老いた病気の母親のおしめをとりかえてあげるように、他への愛のゆえにきれいごとで済ませることができないこともあるのです。けれども愛は決してへこたれません。泥まみれ、汗まみれでもそれは輝いて美しいものです。「絵に描いた "愛"」でなく、生きて働く愛をもって人生を送りたいものです。 (2001年2月)
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