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母の愛よりも 女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。(イザヤ49:15) 1963年3月31日、東京都台東区入谷町で当時四歳の村越吉展ちゃんが誘拐され、身代金五十万円が要求されるという事件が起こりました。この時、日本ではじめてテレビを使った公開捜査が行われ、吉展ちゃんの写真が連日のように放送されましたが、吉展ちゃんはその日のうちに殺され、千住円通寺の墓地に埋められていました。この事件の捜査は困難をきわめ、犯人の小原 保が捕まったのは、二年後、1965年の7月のことでした。 犯人、小原 保の母親トヨさんは、次のような手記を残しています。「村越様、ゆるしてください。わしが保を産んだ母親でごぜえます。…保が犯人だというニュースを聞いて、吉展ちゃんのお母さんやお父さんにお詫びに行こうと思ったけれど、あまりの非道に足がすくんでだめです。ただただ針のむしろに座っている気持ちです。…保よ、だいそれた罪を犯してくれたなあ。わしは吉展ちゃんのお母さんが吉展ちゃんをかわいがっていたように、おまえをかわいがっていたつもりだ。おまえはそれを考えたことはなかったのか。保よ、おまえは地獄へ行け。わしも一緒に行ってやるから。それで、わしも村越様と世間の人にお詫びをする…。どうか皆様、ゆるしてくださいとは言いません。ただこのお詫びを聞き届けてくださいまし。…」 吉展ちゃんの母親がどんなに悲しんだかは容易に想像できますが、犯人の母親トヨさんもどんなに苦しんだことでしょうか。トヨさんは、息子に「地獄へ行け。」と言います。しかし、その後ですぐに「わしも一緒に行ってやるから。」と付け加えます。息子の犯した罪を、まるで自分が犯したもののように引き受け、できれば息子の身代わりになって自分が罰を受けたい、それがかなわぬなら、息子と一緒に刑罰を受けても良いと言っているのです。このことばに母親の深い愛を見ることができます。 しかし、母親の愛がどんなに深くとも、息子、娘の罪を引き受け、身代わりになることはできません。人は、それぞれ自分の罪に責任を持つのであって、他の人の身代わりになることはできないのです。それができるのはイエス・キリストだけです。キリストは、私たちが神と人とに対して犯した罪を、まるでご自分の罪であるかのようにして、その罪の全責任を背負い、十字架で地獄の苦しみを味わってくださったのです。キリストは、母の愛にもまさる深い愛によって私たちに赦しを与えてくださいました。あなたは、この愛と、罪の赦しとを、キリストから受け取っているでしょうか? (2006年5月)
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