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ある賛美歌の物語 カナダのオンタリオ湖の湖畔に次のような標示が立っています。 四マイル北、ペンゲリーの墓地に\ 博愛主義者であり また\ 1857年 ポートポープで書かれた\ 偉大な傑作の作者である人が眠る この標示を見たほとんどの人は、その墓地を訪れると言われていますが、いったいそこには誰が葬られているのでしょうか。 この人は、1820年アイルランドで生まれ、1845年、カナダ、オンタリオ州のポートホープにやってきました。その地で家庭を築こうとし、いよいよ明日は結婚式という時、なんと婚約者が事故で亡くなったのです。彼は大きな悲しみに投げ込まれましたが、絶望に落ちこむことなく、かえってそれによって主イエスに近づき、その後、彼は、主イエスのように大工仕事をしながら貧しい人を助け、病んでいる人を慰め、徹底して他の人のために生きる人生を送りました。 1857年、彼は、アイルランドの母親が病気であることを聞き、母を慰めるためにひとつの詩を書きました。それが、アメリカのリバイバルのリーダ、サンキーの目にとまり、彼がまさに出版しようとしていた『ゴスペル・ヒムズ』の最後の曲として加えられました。この詩こそ、あの標示が言う「偉大な傑作」であり、世界中で愛唱されている「いつくしみ深き」という賛美歌となったのです。ペンゲリーの墓地に眠っているその「作者」の名は、ジョセフ・スクライブンです。 「いつくしみ深き」のメロディは、法律家にして作曲家であったコンバースが作ったものです。コンバースは当時名声をはせた人で、彼が作曲したものはシカゴやニューヨークで演奏されましたが、今、コンバースの曲で人々に覚えられているのは、当時無名のスクライブンの信仰の詩が歌詞となったこの曲以外にはありません。名声は束の間で、信仰は「いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。」(コリント人への手紙第一13:13)とあるように、時代をこえて多くの人々に光をもたらすのです。 (2004年11月)
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