記事の編集
もどる
バックアップの編集
復活の事実 「そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。…あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。」(使徒の働き二章十四、二三、二四節) ペテロはイエスの弟子でしたが、イエスが十字架にかけられる時、人々を恐れて「私はイエスなどという人は知らない」と、三度も、自分の主を否定してしまいました。ペテロは、主を否定したことを涙を流して悔いましたが、主イエスが死んでしまわれたことと、自分の罪に、まったくうちのめされてしまい、もはやそこから立ち上がれないほどになってしまっていました。 しかし、イエスの死から一ヶ月と少ししかたたないうちに、ペテロは百二十人の弟子たちをエルサレムに集めています。それから数日後のペンテコステの祭りの時には、彼は、「立ち上がって」、その祭りに来ている大勢の人々にイエスの十字架と復活について語り出しました。かつては、ユダヤの指導者たちを恐れて逃げ隠れしていたペテロとは思えないほど、大胆に、彼は、人々に「あなたがたが、主イエスを、十字架につけて殺したのです。」と言い切っています。このような勇気はどこから来たのでしょうか。何が彼を「立ち上が」らせたのでしょうか。 それは「神が、主イエスをよみがえらせた。」という事実です。ペテロに起こった変化は主イエスの復活なしには説明することはできません。ペテロは、よみがえられたイエスに出会い、イエスからその罪を赦していただき、主イエスの救いを人々に知らせるという使命を授かり、さらに聖霊を受け、変えられ、力を与えられ、「立ち上がる」ことができたのです。 イエスは今も生きておられ、その復活の力によって、どんなに落胆し、失望している人をも立ち上がらせることがおできになるのです。 (2002年3月)
パスワード